はじめ私は、
先生は子どもに完璧を求めすぎているんじゃないか?
トータルでみると、
どう考えても問題児とは言い難いし……。
人間、ひとつくらい苦手があってもいいんじゃないか……?
と先生の言葉に反発していました。
宿題もちょっと量が多すぎる気がしていました。
また、算数は担任の先生が評価しているのではないのですが(算数専門の教師がいました)、
数学が得意で灘中の問題でも自力で解いてしまう息子が、
公立小の通知表で算数がBと言うのも、(テストも答えそのものは全て正解しているのに、先生に習った通りの手順を式にして解いていない……自分の考えで答えにたどり着いているというものは、数学としては正しくても全てバツでした)
腑に落ちない気もしていました。
それも含めて先生の息子に対する捉え方に、
悪意すら感じていたのです。
が、先生と何度か話し合ううちに、
いくつかお互いに誤解があることに気づきました。
6年にあがった時点で、先生には、(お願いする書類もあったので)
私立中に行きたがっている旨を伝えてありました。
たった1年の学習期間しかないので、3教科入試を考えていることも話していました。
しかし、それを伝えたために、
息子の社会科に対する
いい加減な学習態度が、
「受験に出ない教科はしなくていい」という発想から来ているもの…
と感じていたようなのです。
しかし実際は、息子はあまりできることのキャパシティーが広いタイプでなく、
ある部分、がんばると、必ず手薄になるところがでてくる…
アマちゃんなのです。
それで、いろいろがんばりすぎたあげく、
苦手な社会の授業は、ぼ~っとしちゃっていたようなのです。
また、私が、受験させる気持ちは伝えながら、
塾に入れるでなし、夜間にパートに出たりもしているので、
子どもに対してあまりに無責任にな態度ではないか…?と
疑問に感じていたようです。
先生とすれば、陰ながら息子を応援してくれていたんですね。
で、この親なんだろう…??と怒りすら感じていたのでしょうか…?
そこで、私は、あれこれ事情を説明したり、
親子ともども、
ワーキングメモリーに問題を抱えているので、
気をつけていてもうっかりが多いことなどを
話しました。
とりあえず、受験を優先して、学校をなめているのでないことだけは、
わかってもらわねば……。
そして、帰宅した後、よくよく今回の問題について
考えてみることにしました。
すると、6年生になった息子には、
そろそろ厳しさが必要なこと。
本当は、私がそろそろ引き締めていかなきゃならないところ、
先生が厳しくしてくれてるんで、
それなら……とその上であぐらをかいている自分がいたことに
気づきました。
そろそろだれか厳しいこと言わなきゃならない時期がきていたんですね~。
すると、
私自身が甘めな教育をしてきたため、
結局、まじめな先生が肩代わりしてそれを引き受けている……
という それまで見えなかった事実が
見えてきたんですよ。
私が甘めの教育をしてきたことは、
それまで息子にたくさんのプラスの効果を与えてきました。
学ぶ喜びや、自分への自信を持って、
くじけずチャレンジする心を育ててこれたのです。
しかし、中学生になろうとする息子には、
そろそろ社会の期待に応えていく心構えが必要となっていました!!
(受験勉強がしんどいからと、社会の授業中よそ見しているようでは困ったもんですよね)
先生が、たとえ自分が悪者になってでも、
厳しく教育してくださろうとしているときに、
親が子どもを抱え込んでしまってはいけないなぁ!と反省。
そこで、先生には、
「本来、親がしつけるべきところを、
先生に肩代わりさせてしまってすいません。
今は、わからなくても、先生に指導していただいたことに
あの子が、感謝する日が来ると思います。」
といった内容の話を伝えました。
その後、その先生と私は、とても親しくなりました。
実際、その先生は、非常に子ども思いで、
その熱心さが厳しさとなっていたのです。
親しくなってから、私は、その先生の不器用なほど一生懸命な姿が、
よく見えるようになりました。
その後、本人が希望していた学校の合格はかなわなかったものの、無事、受験に合格した息子は、
公立での厳しさなんてものの比でない厳しい生活にどっぷりつかり……
ちょっとだけ、大人になったのでした。
話し合うことって本当に大事だなぁと感じた出来事でした~
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先生は子どもに完璧を求めすぎているんじゃないか?
トータルでみると、
どう考えても問題児とは言い難いし……。
人間、ひとつくらい苦手があってもいいんじゃないか……?
と先生の言葉に反発していました。
宿題もちょっと量が多すぎる気がしていました。
また、算数は担任の先生が評価しているのではないのですが(算数専門の教師がいました)、
数学が得意で灘中の問題でも自力で解いてしまう息子が、
公立小の通知表で算数がBと言うのも、(テストも答えそのものは全て正解しているのに、先生に習った通りの手順を式にして解いていない……自分の考えで答えにたどり着いているというものは、数学としては正しくても全てバツでした)
腑に落ちない気もしていました。
それも含めて先生の息子に対する捉え方に、
悪意すら感じていたのです。
が、先生と何度か話し合ううちに、
いくつかお互いに誤解があることに気づきました。
6年にあがった時点で、先生には、(お願いする書類もあったので)
私立中に行きたがっている旨を伝えてありました。
たった1年の学習期間しかないので、3教科入試を考えていることも話していました。
しかし、それを伝えたために、
息子の社会科に対する
いい加減な学習態度が、
「受験に出ない教科はしなくていい」という発想から来ているもの…
と感じていたようなのです。
しかし実際は、息子はあまりできることのキャパシティーが広いタイプでなく、
ある部分、がんばると、必ず手薄になるところがでてくる…
アマちゃんなのです。
それで、いろいろがんばりすぎたあげく、
苦手な社会の授業は、ぼ~っとしちゃっていたようなのです。
また、私が、受験させる気持ちは伝えながら、
塾に入れるでなし、夜間にパートに出たりもしているので、
子どもに対してあまりに無責任にな態度ではないか…?と
疑問に感じていたようです。
先生とすれば、陰ながら息子を応援してくれていたんですね。
で、この親なんだろう…??と怒りすら感じていたのでしょうか…?
そこで、私は、あれこれ事情を説明したり、
親子ともども、
ワーキングメモリーに問題を抱えているので、
気をつけていてもうっかりが多いことなどを
話しました。
とりあえず、受験を優先して、学校をなめているのでないことだけは、
わかってもらわねば……。
そして、帰宅した後、よくよく今回の問題について
考えてみることにしました。
すると、6年生になった息子には、
そろそろ厳しさが必要なこと。
本当は、私がそろそろ引き締めていかなきゃならないところ、
先生が厳しくしてくれてるんで、
それなら……とその上であぐらをかいている自分がいたことに
気づきました。
そろそろだれか厳しいこと言わなきゃならない時期がきていたんですね~。
すると、
私自身が甘めな教育をしてきたため、
結局、まじめな先生が肩代わりしてそれを引き受けている……
という それまで見えなかった事実が
見えてきたんですよ。
私が甘めの教育をしてきたことは、
それまで息子にたくさんのプラスの効果を与えてきました。
学ぶ喜びや、自分への自信を持って、
くじけずチャレンジする心を育ててこれたのです。
しかし、中学生になろうとする息子には、
そろそろ社会の期待に応えていく心構えが必要となっていました!!
(受験勉強がしんどいからと、社会の授業中よそ見しているようでは困ったもんですよね)
先生が、たとえ自分が悪者になってでも、
厳しく教育してくださろうとしているときに、
親が子どもを抱え込んでしまってはいけないなぁ!と反省。
そこで、先生には、
「本来、親がしつけるべきところを、
先生に肩代わりさせてしまってすいません。
今は、わからなくても、先生に指導していただいたことに
あの子が、感謝する日が来ると思います。」
といった内容の話を伝えました。
その後、その先生と私は、とても親しくなりました。
実際、その先生は、非常に子ども思いで、
その熱心さが厳しさとなっていたのです。
親しくなってから、私は、その先生の不器用なほど一生懸命な姿が、
よく見えるようになりました。
その後、本人が希望していた学校の合格はかなわなかったものの、無事、受験に合格した息子は、
公立での厳しさなんてものの比でない厳しい生活にどっぷりつかり……
ちょっとだけ、大人になったのでした。
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