先日、パソコンでニュースを読んでいたときのこと、
背後から、「また、無視して~!!」という娘の怒り声が、
聞こえました。
実は、無視して~の前にも、娘は私にたくさん話しかけていて、
私は相槌をうったり、
一瞬、娘を振り返ったりしていたらしい。

文字を集中して読んでいるときは、
耳に言葉が入っても意味に変換してくれない…という
やっかいな脳を持っている私は、
これまでも家族から、この手の苦情を、
しょっちゅう受けています。
その度に、謝ったり事情を説明したりしているけれど、
「無視する」という表現は、違う…

というあたり、
はっきりさせたくて、言い合いになってしまうときもあります。
娘いわく、
「話しかけてて、ふつう、聞こえないなんてことは、
ありえない。
第一、本当に聞こえてないなら、何で相槌がうてるわけ?
それは、ふつう、わざと無視しているって
取られて当然なのでは…?」という意見。
まあ、ごもっとも…。
ふつうは…

。
でも、これまで生きていて、私の辞書に、
「聞こえているのに、
わざと無視する」…という対応はないんですよね

。
無視しているように見えるのは、
本当に聞こえていないからで…
ちょっとでも、聞こえた(理解できた)時点で、
「えっ、何?」と問い返しています。
と その返事が、
「もう、いいよ!!」

「えっ、何のこと?」

「こんだけ無視されて、何で話さなきゃいけないの?
それほど大事なことでもないし…。」

まあ、それもごもっともです…

。
それにしても、やっぱり「無視」という言葉は誤解です~。
私が家族以外の人の前で、文章を読みながらその人の話を聞けるのは、
意識して集中力を耳と目に分けているからで、
やろうと思えばできるんですよ。
しかし、無防備に字を目で追っているときは、
自動的に他の機能をシャットダウンしているので、
「ふつう」の基準が満たせていないんですよね。

私はこの「ふつう」でない機能のおかげで、
効率よくできることもあるし、
「私らしさ」を作るもとにもなったと感じています。

写真は、小6のときの「夏休みの記録」です。
子供時代を通して、読書記録の欄だけは、びっしり隙間がありません。
読んでる本は子供らしい児童書なんですが、ページ数はかなりの
ボリュームだったはず…。(中高も怖いほど読みました。)
でも、読み終わるまで、一切、音もなければ、お腹もすかず、
疲れたも何もない世界に没頭できたこと…。
それは、このやっかいな脳のおかげです。
今の私に、多くの財産を残してくれていると思います。
しかし、そのせいで、誤解は受けるし、
「ふつうじゃない…」とか人間失格みたいなレッテル貼られるし…。
やれやれです…ね

多数派が「ふつう」というのは、どうなんでしょうか?
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