乳癌の『悪性化』スイッチを力いっぱい引く
ハーヴァードSEAS(Harvard School of Engineering and Applied Sciences)のデイビッド・ムーニー教授によって指揮される研究者たちは、乳房の上皮組織において正常な細胞が悪性化する可能性がある機序を特定した。
密度が高い(dense)乳房組織は乳癌リスクの強い指標として長く認識されてきた。
しかし、これまでそのような組織密度の重要性はよく分かっていなかった。
ムーニーと彼の研究チームは、インヴィトロで機械的および生物学的変数を個別に分離することによって、それらの密度の高い組織の物理的力と化学的環境が、どのように浸潤、増殖性の様式へと細胞を駆り立てるかについて発見した。
「遺伝的な突然変異が癌の根源にある一方で、この10~20年にわたる多くの研究は、腫瘍の進行を促進するか抑制することにおいて重要な役割を果たすとして、細胞の微細環境を意味付けてきた」、ハーヴァードのムーニーLabで以前のポストドクターであり、最近スタンフォード大学の機械工学学部に加わった筆頭著者のOvijitチャウドゥーリーは言う。
今回の研究で、細胞外マトリックスの剛性ならびにある種のリガンドの有効性は、どちらも、実際にどの遺伝子を呼び出すか、そして、正常な上皮細胞が悪性の癌細胞に特有の習性を示し始めるかどうかを決定できることが判明した。
「この微細環境の組成を評価することは、乳房X線撮影の密度に加えて、乳癌リスクのより望ましい評価を提供できるかもしれない」、チャウドゥーリーは言う。
ムーニー研究所が研究しているのは、細胞が環境を感知してそれに反応し、お互いに信号を送る方法に対して、自然バイオマテリアルと合成高分子の物性がどうやって影響を及ぼすかである。
細胞外マトリックス(生きている細胞を互いに接続してそれらの間のコミュニケーションを容易にする、クロスリンクされたタンパク質とポリマーの複雑なネットワーク)は、挑戦的な問題を研究に提供する。
ペトリ皿の二次元の細胞培養は、三次元の組織の劣ったモデルであると判明した。
「バイオエンジニアとして我々は、組成、空隙率、そして剛性のような環境因子の腫瘍形成に関する重要性を研究するために、それらを正確に調整できる三次元培養システムを設計できる」、ハーヴァードSEASのムーニー研究室で働く共同執筆者Sandeep Koshyは言う。
「これらの因子のいくつかは従来の2D細胞培養で観察するのが不可能であるが、細胞行動への重大な影響がある。」
先行研究は線維性蛋白のコラーゲンを様々な量で使用して、細胞外マトリックスの剛性を調整している。
しかしムーニーのチームは早くから、コラーゲンが細胞に対して単純な力学的な影響を与えるだけではないと認識していた。
つまり、それはある種のシグナル経路を引き起こすことができる。
線維コラーゲンは乳房上皮を囲む基底膜では通常は見られないので、どんなコラーゲン・シグナル伝達であれ、それらの研究の結論を混乱させる可能性がある。
コントロールできない変数を除去するために、研究チームは新しい具体的なモデルを設計した。
どんな細胞受容体とも結合することなく細胞外マトリックスを強化するために、彼らはコラーゲンの代わりにアルギン酸ゲルを使用する。
このモデルがその最も柔らかいモードであったとき、正常な、そして良性の乳房上皮細胞は、それの中で通常通りふるまった。そして、正常な生体内での乳房上皮の多くの重要な特徴を捕える腺房と呼ばれる細胞の構造を形成した。
しかし、ゲルがより硬かったとき、細胞は癌関連の遺伝子の発現を上向き調節し始め、細胞増殖と浸潤を引き起こすPI3K経路の活性が増加した。
「我々が『硬い』マトリックスで観察した浸潤性の構造は、早期のステージの浸潤性腺管癌の形態学に似ている。それらはまた、細胞分裂を引き起こすエストロゲン受容体アルファ[ER+]遺伝子の発現の増加も示す」、Koshyは言う。
「これらの多くのヒト癌で見られる変化が、単にそれらを囲んでいるマトリックスの剛性または組成を変えることによって、正常な乳房上皮細胞で誘発されることができることは印象的である。」
剛性は今回の話で重要であるが、しかしそれだけではない。
更なる実験は、細胞がラミニンの濃度の上昇にさらされると、高い剛性のゲル類において正常な行動を回復することを示した。ラミニンは基底膜で自然に見られるタンパク質である。
細胞外マトリックスが非常に柔軟であるとき、または、ラミニンの高濃度が確実に利用できるとき、細胞膜に存在するα6β4インテグリンはラミニンと結合して、ヘミデスモソームという構造を形成する。それは上皮細胞を基底膜に定着させる。
そして蛍光顕微鏡による研究により、硬いマトリックスの細胞は全くヘミデスモソームを形成していなかったことを明らかにした。
そのためムーニーのチームは、硬いマトリックスならびにラミニンの不足は、α6β4インテグリンを尾部がぶら下がって結合していない状態のままにすると仮定した。
チームの最終的な実験は、これらの結合していないインテグリン尾部が、実際、良いことには決して関係しないことを証明した:
それらは2つの重要な生化学的経路(PI3KとRac1)の活性化に関与し、それは生体外の上皮組織で悪性の細胞の挙動を誘導するのに必要かつ十分である。
この研究の癌生物学にとっての意味に加えて、アルギン酸塩ベースの細胞外マトリックス・モデルの発展も重要である。
「多くの他の生物学的プロセスの研究が、このシステムから利益を得る可能性がある」、ムーニーは言う。
「種々の組織と器官の幹細胞生物学、創傷癒合と発達に関する研究は、このシステムを利用することができる。」
学術誌参照:
1.細胞外マトリックス剛性と組成は、乳房上皮において悪性の表現型の誘導を共同で調節する。
Nature Materials、2014;
http://www.sciencedaily.com/releases/2014/06/140616141444.htm
<コメント>
細胞の悪性化には細胞外マトリックスの性質も重要かもしれないという研究です。
日光に当たらない足の裏にできる皮膚癌などもこういう機序によって起きるのかもしれません。
先月号のNatureダイジェストにも似たような内容の記事がありました。
http://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/toc/11/6
>「細胞の形の変化が、その細胞の運命を決める」との、逆説的にも思える成果