十数年お世話になっている地区である。午後7時頃に到着した。花宿手前の橋が新しくなっていて、旧の橋に繋がる道と、川沿いにスペースができていて、花宿近くに多くの車が停めれる状況だった。到着時は地区の皆さんが食事中だったが、ほどなくして出てきて、目の前を通り過ぎる際に挨拶した。
毎年ちょっとした変化点がある。太鼓の脇に歌ぐらの譜面台が設けられていた。
当地区は湯立て神事を念入りに行なう。印を結ぶところがカッコいい。
干し柿が五方の縄に掛けられた。舞庭(まいど)は四角形であるが、花祭りの方位は東西南北中央である。せんじの部屋の扉の所に二回掛けられ、食事中のせんじ担当の人達がすぐに取っていった。他のところも、誰かが取って他の人にも分けていた。
竃の湯が煮えたぎっていた。換気扇を使っているので、湯気が幻想的に上がり、漂った。
せんじを受けにAさんとお連れさんと共に行った。まだ消防団の人達が食べていた。これまでは消防の人達が食べ終えてから一般の人が入れた。消防団の担い手が少なくなっている。
「市の舞」の囃子が聴こえてきたので舞庭に戻ろうとしたが、第二のせんじの場であるいろりの所に、地区出身で豊橋在住の僕と同じ苗字の人がいたので、しばし話した。去年は仕事で来れなかったそうである。
舞庭に戻ったら、「地固め」が始まっていた。
今年は若い舞子が確保できた様で、他のお役目もある中年層の人達は大助かりだったと思う。段々とせいと衆も集まってきた。
「花の舞」。当地区のこの舞の装束は前垂れがあって、模様、色合いが大陸要素の匂いがする。
湯桶の手の前に消防による「湯ばやし」が入った。下粟代名物第一弾である。大いに盛り上がって、アンコールの声も挙がり、舞子が再度舞った。
なぜか、私が伴鬼のスカウト役を担っている(苦笑) 部屋番から各舞2人ずつ確保して欲しいと頼まれた。「山見鬼」は豊川の花キチ少年H君と、蒲郡出身で毎年来てくれている人のお連れさんに頼んだ。「と~ほへ て~ほへ」とせいと衆が熱心に囃した。しばらくしてから照明が暗くされ、親鬼様が登場。どっしりとした雰囲気となった。笛を吹きに神座へ上がったが、全然吹けずに邪魔となってしまった(汗)
②へと続く