日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

青空文庫と、w-zero3と、ラジカセと

2008-04-07 23:33:43 | Weblog
昨日、吾が愛機w-zero3 esに、青空文庫から色々ダウンロードして名作をつめ込みましたよ。

鴨長明の「方丈記」、夏目漱石の「草枕」「坊っちゃん」「我が輩は猫である」「こころ」、立原道造「暁と夕の詩」、太宰治の「人間失格」「眉山」、島崎藤村の「破壊」、西田幾多郎「善の研究」など、50作品くらいを常時読めるようにしてみると、いささか気分が良いです。

携帯電話を所有したこともありましたが、docomo,au,ddiポケットと次々渡り歩いてきて、結局たどりついたのがウィルコムのスマートフォンなのでした。

今では、似たようなスマートフォンも色々ありますが、これらはパソコンと同じで自由度が高い反面、携帯のつもりでこの機種に乗り換えた人は、使いかっての悪さにかえってとまどうようです。

操作性を追求された携帯電話と比べると、こやつの操作性は最悪で、基本的にオンナ・コドモが扱える代物ではないです。しかし、自分好みの自分だけのカスタマイズをしてしまえば、もう手放すことはできなくなります。

たった一台の携帯機器に、400曲の音楽、500本のゲーム、50冊の文庫本、ワンセグ(オプション)、インターネット、メール、カメラ、ワード、エクセル、パワーポイント、名刺スキャナなどなど、竹村健一じゃないけど「私なんて、これだけですよこれだけ」ってなことを言っても、今の30代以下の人には分からないか(笑)

子どもの頃の、ラジカセブームを思い出しますね。

当時のラジカセには、内蔵マイクが必ず付いていて、AM、FMだけではなく、短波放送まで受信できたり、本格的なイコライザーが付いていたり、カセットテープのタイムカウンターや、ワイヤレスマイクが搭載されていたり、テレビ搭載機、レコード搭載機などが次々発売され、ダブルデッキに、倍速ダビング機能、一発選曲機能、オートリバース機能など、今の携帯電話市場の活気に近いものがありました。

音楽なんて、レンタルレコードからのダビングや、エアチェック(死語ですが)が普通でしたから、今のwinnyからダウンロードする人たちと、そんなに変わらないことをしていたような気がします。

ラジオは中島みゆきや、ビートたけしのオールナイトニッポンは面白かったなあ。コッキーポップなどは才能のある歌手ばかりでした。

近年、北野たけしがインターネットの掲示板をみて、「あれは、俺たちがラジオでやっていたことと同じじゃねえか」

といっていましたが、当時はハガキに書いて、ラジオで採用されてようやく情報をアップできたのですから、発信側の自由度はまったく違ったんですけどね。

いろいろな時代を経て、パソコン通信が出てきて、ニフティーサーブに初めてアクセスしたときは興奮しましたね。

みんな色んなこと考えてるんだなって。

それまでは、人付き合いというのは挨拶と世間話くらいでしたから、人が本心で何を考えているかなんて、分かりませんでしたからね。

今の若者は、インターネットすらやらないようになり、モバゲータウンだそうです。

って、青空文庫の話から、ずいぶん脱線してしまいました(笑)