日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

来年の抱負。

2011-12-31 23:28:45 | Weblog
さて、毎年恒例になりましたが、来年の抱負など。

阪神大震災の時は、4ヶ月で復興の見通しついたのに、野田総理は消費税増税が待ったなしなのだそうです。

野田さんが、総理になるずっと前から彼が増税派であることは分かっていたのですが、あれだけ批判されていた小泉首相の方が、よほどマシだと思えるほどの錯覚を憶えてしまいます。

ノーベル賞受賞者のクルーグマンが「ケインズは正しかった」といっている時代に、日本は、新古典派としか思えない草エコノミストばかりをテレビに出して増税は必要だとまくしたてています。

どうして、野田総理より、財務官僚より、日銀総裁より遥かに優秀なスティグリッツやクルーグマンの意見に耳を傾けないのか。

ハイエクや、フリードマンの時代は、もうとっくに終わっているはずです。

それどころか、天才バカボンのキャラクターにしか見えないNHK出身の安住淳を財務大臣に据えてしまうなんて、常軌を逸しているとしか思えません。

さて、来年の豊富ですが、本当に消費税増税が仮に決まったとしても、経済に影響を及ぼしてくるのは施行される2年後からでしょうから、復興国債を含めて過去最高と言われている予算が、少しは景気浮揚に役立ってくるでしょう。

年末の東証株価は今年最低でしたが、来春早々上がってくるものと思われます。

円高は、30兆円も為替介入可能なのに、アメリカに遠慮しながら為替介入も、金融緩和もやっていますから60円台になりそうになったら、10兆円くらい使って、いったん75円に戻してあとは打ち止めでしょう。ユーロは解散する以外に基本的に解決策がありませんから、将来的には紙くずになるでしょう。来年末は1ドル70円、1ユーロ85円くらいになっているでしょう。

株価は、東北復興という巨大な需要ができたのに、建設株がそれほどまでは上がっていないのはやはり不自然です。

トータルでみて、海外生産移転をすっかり終了させた日本の大企業にはまだ余力があるでしょう。

アパレル系も、円高の割りには値下げしていないので、けっこう儲けているのではないでしょうか。

もしかすると、年末が一番の株の買い時だったのかも知れませが、景気対策が弱いので上がったとしても、上限は1万1千円くらいでしょう。

何かしらパッとしないどんよりとした経済が、今まで同様に続いていくものと思われます。

原発については、火力発電もメンテナンスが必要なので、休止している原発を再稼動せざるを得なくなるでしょう。

その一方で、孫正義ソフトバンクCEOがすすめているメガソーラ発電は、送電分離も、買取価格も、再生可能エネルギー法で決められていないので、頓挫してしまう可能性も無きにしもあらずです。

その他は。

オレオレの代わりに年寄りが詐欺にあっている、携帯電話販売がニュースとして取り上げられるでしょう。

現状で解散なんてできっこないから、消費税増税の話は妥協含みの腰折れに終わるでしょう。

TPP参加は、アメリカの要請なので、野田総理は国民をだまくらかしながら参加してしまうでしょう。

放射能汚染の問題は、今までデータがなかったのではなくて、欧米の被害を報道しなかっただけなので、徐々に問題意識が高まってくるでしょう。(その時は、もう遅いけど)

25万ベクレルのスギ花粉が東北関東を襲うでしょう。

失望をしたくなければ幻想をみるしかないので、お笑い芸人だらけの番組も、韓流ブームも、AKB中心の歌謡界も健在でしょう。

介護職の、ノイローゼ、鬱病が問題になってくるでしょう。

自転車が車道を通ることの、交通事故が問題になってくるでしょう。

東北の不景気の深刻化が顕在化されてくるでしょう。

野田首相は、消費税が万が一通ったら、内閣総辞職して前原あたりに席を譲ってしまうでしょう。

基本的に、経団連と、アメリカが日本の政治を動かしている構図はそのままでしょう。

各国の首相が選挙の次期ですが、政権はそのままで権力温存となるでしょう。

マグニチュード8クラスの大震災が、もう一度どこかにくるでしょう

もう、やだ。こんな世の中とかは思わずに(笑)

それでは、皆様よいお年を!

ちょっと、視点を変えてみる。

2011-12-30 10:20:57 | Weblog
アシストコラムより
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1196815_629.html
カダフィの通貨構想

リビアでデモが始まったのは今年2月、エジプトのムバラク政権が崩壊した後だった。カダフィを支持する人々と反カダフィ派の武力衝突が始まり、3月にはNATO軍がリビア国民を守るためとして軍事行動を開始し、4月にはミサイル攻撃でカダフィの息子と孫が殺された。その後スペインやドイツ、米英もリビアの反体制派「国民評議会」を正統な政府として承認し、カダフィ派と反体制派の激しい戦闘が続いていた。カダフィの最期は、同じくアメリカ軍に殺害されたビンラディンや、イラクのフセインを思い出させる。

リビア国内の紛争にNATO軍が出て行き反カダフィ派を支援した理由の一つはリビアの石油埋蔵量がアフリカ最大ともいわれる資源国であることは明らかだが、裁判にかけられることもなく殺害されたのは石油以外にも理由があるとみる海外アナリストがいる。それはカダフィがリビアの石油をドル建てで売ることを止め、金に裏付けられたディナール建てにすることを計画していたからだという。

現在アフリカの主要通貨となっているドルやフランは、政府の信用で流通している不換通貨で金や銀との交換が保障されていない。しかしカダフィ政権は150トンともいわれる金を保有しており、この金に裏付けられたディナールをアフリカや中東地域の共通通貨に広めていこうという目論見(もくろみ)があった。欧米の中央銀行はそれを阻止する必要があったのだという。

結局見つからなかった「大量破壊兵器」を持っているとして始まったイラク戦争も、2000年にフセイン政権が原油取引をドル建てからユーロ建てに切り替えることを要求したことが原因の一つだった。裏付けのないドルが基軸通貨から転落してアメリカに還流されなくなれば、世界最大の債務国家の膨大な債務が顕在化して残るだけだ。債務を抱えるアメリカ準備連邦制度がこれを許すはずはない。

拙著『アングロサクソン資本主義の正体』でも繰り返し述べたが、世界の中央銀行の主な役割は、通貨の発行、通貨価値の安定だとわれわれは信じている。しかし日本銀行は政府機関ではないし、欧州中央銀行もアメリカ連邦準備制度も政府の持ち物ではない。そして通貨の大部分は民間の銀行が貸出(ローン)を通して打ち出の小槌のごとくコンピューターに数字を打ち込んで作る不換通貨で、これが信用創造のシステムである。金に裏付けられたカダフィの通貨構想は欧米の銀行家たちにとって脅威であった。


(引用終わり)


金建ての信用があるディナールの流通を阻止するためにカダフィが殺害され、ドルからユーロ建てに変えようとしたフセインが殺害されたということか。

他国に打ち出の小槌を持たせないという理由なら、日本が、(死に物狂いで働く供給力を信用と見立てた)政府紙幣を発行できないのも、そのような欧米の思惑があるのではないか?

野田総理の消費税増税は、日本には多額の借金があるという理由らしいが、直近の借金で一番酷いのはドル買いのために売り出した政府短期証券の10兆円だろう。

政府短期証券は、国家予算とは別枠で毎年30兆円まで出せるので、借り換えを繰り返して最後は長期国債と化して、日本の借金に加算されてしまうのだが、35兆円もの狂気のドル買いを行った小泉政権同様、手に入れたドルはアメリカ国債を買ったり、海外に金を貸し出して円キャリートレードの原資になるのは、今後も目に見えている。

アメリカのための消費税増税なのだろう。

事業仕分けが当初の20兆円の予定が1.7兆円しか捻出できなかったのに、野田が財務大臣だったときのように気前よく10兆円もドブに捨ててしまう神経は信じられないだろう。何が消費税は回避できないだ。

そんな金があったら、政府が財政出動で需要を創出すれば景気対策になってよほどいいのだが、公共事業はゼネコンの利権だとか、公務員が無駄遣いしているとか、景気対策とは逆な話しを、未だに言い続けている。

野田政権の中核は、矛盾した緊縮財政の議論のループから抜け出せない阿呆な人間ばかりだ。

消費税を上げると、税収が減るのだが。

2011-12-29 14:40:39 | Weblog
消費増税、2014年に先送りも検討…民主税調(読売新聞 - 12月29日 03:07)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111228-OYT1T01215.htm

こんな分かりきったこと、橋元内閣の時に行った現在の5%消費税で実証済みだろう。

当時、消費税税収は増えたけど、2%消費税増やしただけで銀行がバタバタ倒産するような大不況になって、税収全体では4兆円も減らしてしまったんだから、愚策を繰り返すのもいい加減にしろと言いたい。

だいたい国民の可処分所得から税金抜いたら、消費が落ち込んで、不景気になるのは当たり前だろう。

今より20年も昔は消費税なんてなかったけど、今より税収は20兆円も高かっただろう。


そもそも、海外には消費税なんてないんだよ。

海外で行われている累進制の付加価値税value-added taxと、金持ちも貧乏人もフラットな消費税を一緒にしちゃいかんだろう。輸入ウィスキーが高かった物品税と同じ性質のものなのに、なんで食料品等最低限の必需品にまで税金かけたんだか。

一方で、金持ちたちの税金(所得税・地方税最高税率の合計)は、昔は90%くらい取られていたのに、現在は50%と半分くらいになってる。相続税も殆ど取らなくなって。

こんなの、リストラのときに「会社に協力してくれ」といって社員を辞めさせた側の役員報酬が、2倍になっているのと同じ理屈だ。

「なんでお前らは、会社に協力しないんだ」と誰も言わないんだろう。

「国会議員も、公務員もどうして国に協力しないんだ」と。

結局、みんな騙されてるんだよ。

消費税増税なんて、金持ちたちは消費性向が低いから、たくさん収入があるうちの消費した分にしか税金がかからない。

つまり、控除だらけの所得税と同じってこと。

金持ちの収入が10倍だからって、同じスーパーで醤油や米買ってるのに、10倍食費がかかるわけじゃないだろう。

貧乏人は(収入=消費)みたいなもんだから、控除なしの所得税と同じ。

本質が、貧乏人増税なんだよ。

どこの国でも、金持ちから金をぶんどって、貧乏人に配るのが国の仕事なのに。

累進制と逆の、逆進性を今より進めてどうするんだ?

だから、金持ちや大企業の貯金ばかりがどんどん増えていって、それが市場に出回らなくなって不景気になっているのに。

だから、あのスウェーデンよりも、日本の全税収内の消費税率は26%と、高福祉国家の3%も高くなっているのに。

小泉時代は医療費等の国家負担を1000億円も毎年減らして、公共事業は無駄だとかいって予算を半分にして、小さな政府がいいとかいって行政サービスはどんどん減らして。

国債なんて、金持ちたちから税金を取らなくなったから、足りない分を金持ちたちから借りていただけなんだよ。

国の借金は、俺たちの借金じゃない。

それを、国の借金が国民一人当たり1000万円とかいって騙しているわけだが、国の借金は銀行や郵便局に預けている金持ちたちの貯金なわけだ。

どこの国の金持ちたちでも、貧乏人のサービス負担をしたくないんだよ。

だから、99%の貧乏人が世界中でデモを起こして騒いでいるのに、日本人はピンと来ていない。

野田政権は、一部の権力者のためだけの、お手盛りを助けているだけだろう。

昔気になったスピリチュアル

2011-12-25 18:20:51 | Weblog
誰しも、若いときはスピリチュアルなものが気になった時期があると思うのですが、下は某チャネラーさんの文章。

自分がキリスト教法人の職場の中にいながら、薄っぺらいと思ってしまうのは、それ以外に仏教、儒教、道教、霊学、神秘学、チャネリングなど、世の中には本当に色々な精神世界があると感じているからで。トータルでは、シュタイナー思想の先生に出会ったのが大きかったかな。

簡単に言えば、キリスト教には死後の世界の話がすっぽり抜けているし、仏教は反省行によって人間の内面に向かいすぎなので、苦悩にしばられすぎてそこから出られないという欠点がある。

スピリチュアルな体験は、幽体離脱も、精神世界好きな人間が求めてやまない解脱経験もあるけど、シュタイナー思想と合わせて、宗教への興味はほとんどそれで終わり。

結論は、今自分たちが生きているこの世の中というのは生きる甲斐のある世の中だと思っているし、従って、実際の生活や社会のあり方の方が大事なので、多くの年寄りを見て分かるとおり、宗教も、哲学も、年をとるとどうでもいい話になってしまうわけです。

それがベースになって、政治的な視点では、庶民の幸せの為には、どのようにコミットしていけばいいかということになるのですが、やはり仏教の影響は未だに顕在なためか、日本人は苦悩のループにはまると抜け出せなくて、米英韓国のプロテスタントたちの押しの強さに負けてしまうところが見えてしまうのが、それが今の20年不況から抜け出そうとすら思わない根源的な理由なのだと思う。(まあ、チベットやタイのように貧しくて微笑のある幸せな国というのも、ちょっと違うような気がするのですが)

共産主義国は、宗教を禁止にしてるけど、人間が死んでしまうとゴミ袋に入れて捨ててしまうような感性というか、やはり、儀式的なものであっても宗教がないというのは味気ないものがあります。

神道(教義のないものを宗教と呼べるかどうかという問題はあるのですが)だと、金銭崇拝主義者のようにお金の絶対量なんて屁にも思わないだろうし、もう少し根が明るいんと思うんですけどね。共産主義の方も、創価学会の方も、もうすこし天皇陛下を大切にしましょう(笑)

それにしても、最近までの10年間は、マクロ・ミクロのお金の勉強ばかりしていたなあ。お金持ちにはなれなかったけど、お金の仕組みはよく分かった(笑)

ということで。↓バシャールほどにはあまり世に知られていないチャネリングだけど、この辺りは、久々に読むと針が打たれるようで痛いわ。


 02/22 自らの決定に間違いを見つけたなら、即やり直す勇気を持ちなさい
 02/23 自らの心に耳を澄ますと、恥ずかしい事もある…それで当たり前だ
 02/24 問題は恥ずかしいと思うことではなく、それを隠し偽る事にある
 02/25 他者に対し、何かを隠し偽りたく思う時の自分の望みは何だろう?
 02/26 外的評価を思いのままにしたいと望む時、往々にして偽りが生じる
 02/27 外的評価を思いのままにしたとて、自分自身が変化する訳ではない
 02/28 自分の「心=魂の前庭」に沿わない事は、「腑に落ちない」ものだ
 
 03/01 腑に落ちない事を放置し続けると「心=魂の前庭」の機能が落ちる
 03/02 「心=魂の前庭」の機能が落ちると、良心の働きが悪くなる
 03/03 良心の働きが悪くなると、人は人であることの意味すらも見失う…
 03/04 悲しいかな、影法師は己より大きいゆえ、それを自分だと言う者…
 03/05 自己犠牲という言葉に潜む、傲慢の大きな罠に気付きなさい
 03/06 良かれと思って為すことが、必ず待ち望む結果を生む訳ではない
 03/07 ここで注意すべき事は、待ち望む結果が必ず正しいと思い込む事だ
 03/08 自分自身の存在や生き方・考え方を正しいと感じるのは勝手だが…
 03/09 自らの思い、考え、感じが普遍的にも正しいと勘違いするなかれ
 03/10 自らの思い、考え、感じが普遍的にも正しいと勘違いするなかれ
 03/11 自説と他のどこがどう違うのか?を見つけ、それは何故かを考える
 03/12 そして飾らずに素朴に、自説とはこういう風に違う、と相手に示す
 03/13 要は相違点を見出す際に、自らを正とした判断を基に話さないこと
 03/14 あくまでも「異なる、違う」だけの事、これで糾弾するのは勘違い
 03/15 では何をすべきか?…お互いに腑に落ちるところまで会話する事だ
 03/16 腑に落ちるまで会話する努力によって、一人では見えないものが…
 03/17 見えてくる…しかし、これに陶酔してはいけないのだが…
 03/18 分かりあえたと思い、その状態に酔うと再び見えなくなってしまう
 03/19 あなたがた、物事を一方向から見て判断してはいないか?
 03/20 種々のものよ、眠りを貪る時は過ぎた…起きて目を開けなさい
 03/21 火は起こさずともある、そこにあることに気付けば大きな炎になる
 03/22 火は全てを焼き尽くす力と融合させる力を併せ持つ…幽遠なる命
 03/23 限りなく融合を望み、限りなく離反することも望む…命とは?
 03/24 あなたが本当の気持ちを表現すれば、出来れば…誤解は減る
 03/25 本当の気持ちは、時たま「言いたいこと」とはズレることがある
 03/26 しかし「言っていること」で相手は、あなたを理解しようとする…
 03/27 あなたは相手の言っていることで、理解しようとしているか?
 03/28 あなたは相手の言っていることで、理解しようとしているか?
 03/29 自分の考える相手像を相手に投影して、会話を進めていないか?
 03/30 それは見ているようで、相手を決して見ようとしない事に等しい…
 03/31 自分の考える「相手像」を当てはめ、相手を見ようとしないのか?
 
 04/01 自分の考える「相手像」は、あなたの分身の投影でしか無いのだよ
 04/02 そうして、あなた方は「相手という名の自分」しか見ないのだが…
 04/03 見ている対象が「自分」では無いので、厭な所は簡単に攻撃する
 04/04 自分の厭な所を相手に見出して、それを攻撃することで何を得る?
 04/05 自分に向けるべき刃を他人に向けても、自分の厭な所は変らない…
 04/06 他に刃を向けると、相手が傷つき屈する事が目的になりかねない
 04/07 己に刃を向けると、己が傷つくかも知れない…だから怖れ、避ける
 04/08 本当に傷ついた経験の無い者ほど、傷つくことを怖れるという現象
 04/09 傷つくことを知らないままに、傷つく想像は成長してゆくが…
 04/10 肥大した「傷つく」想像の産物は、真に傷つく事より始末が悪い
 04/11 真に傷ついた経験のある者は対処法を知るが、想像経験者には無い
 04/12 傷つくことを恐れ、特定他者の言動を攻撃と勘違いしていないか?
 04/13 己が傷つく仮定を基に、自己防衛しながら会話をしても響かない…
 04/14 響かない理由を、更にそこで相手に追求すると…会話は成立しない
 04/15 己の言いたい事を、お互いに声高に叫び続けるのは会話ではない
 04/16 自分の主張を相手が聞き入れることが目的になってはいけない
 04/17 あなたの意見に反することを言う相手を、あなたは嫌いだろうか?
 04/18 殊のほか大切に思い、大切にしてきたものが簡単に壊れる瞬間は?

売り手と、買い手。

2011-12-10 04:54:11 | Weblog
人の気持ちを慮る(おもんばかる)のは、とても苦手だ。

たとえば、自分で作った料理を自分で食べるときは、ストレートに美味しいと思っても何の問題もないだろう。

しかし、それを誰かに食べさせたときに、相手に満足のいくものになるかは難易度が100倍上がってしまう。

主観から、客観への一歩はそこから始まる。

それが料理人になってくると、何百人も顧客を相手にしなければならないので、さらなる客観性が必要になってくる。

客観視とは、その字の顕すとおり、客から見た目のことだ。

それがサービス業なのだが、サービス業を生業(なりわい)とすると、相手が本当に満足を感じているかどうかを、真剣に考えなくてはならない。

閑古鳥が鳴いているの外食店の店主は、外食を殆どしない場合が多い。

味覚を客観視できないと、自分を評価できなくなってしまうのだが、凝り固まった自分を相対化させることは本当にキツイことだ。、第一、小さな個人事業主には、誰も注意してくれる人がいない。

例外として、その事業主が客の厳しい視点よりも、さらに厳しい視点を持っているか、最低限顧客のクレームは自分たちを育てるものだと思える人間だけが生き残れるのだが、一度組織に所属して教えられた人間でないと、自力でそれを掴むのは至難の業だろう。

日本人は優しいというが、それは家電を梱包するダンボールがが少し破れていただけで返品されてしまうような厳しい客観性に鍛えられた供給者であるからで、一方では、「お客様は神様です」などという三波春夫の言葉が合言葉になってしまった世界一厳しい消費者でもあるということを、忘れてはいけない。

客観性といえば、アダルトビデオでも、ボーっとして眺めているのと、どうすれば技術向上できるか考えながら見るかでは、かなり違う。

テレビゲームでも、ゲームが上手いといわれている人間は、自分のミスをいちいちメモに書いて同じ失敗を繰り返さないように、フィードバックさせているから上手いのだ。

女性にモテる人間は、通常まったく関心の必要のないはずの女性の興味について、根気よく付き合っているだろう。

同姓から学ぶものは殆どなく、自分を全面否定されるという失恋経験によって、女性から人生を学ぶことができるというのは、そういうことなのだろう。

それは、主観から客観へと、生まれ変わることができる人生のターニングポイントなのだ。

反対に、アニメオタクが就職試験の時に煙たがられるのは、オタクと思われる人々のたいがいが主観と消費中心に生きているからだ。

役所で働く人間たちも、他業種との競争がないと自分の仕事の客観性が薄らいでしまうので、大したサービスができていない。

中国人や、韓国人と話していると、一番の違いは主観で生きていることだろう。

サービス業が未成熟な国では、相手の気持ちを考えずに、まずは自分の言いたいことを吐き出すのだろう。

この日本で、徹底して顧客が第一だという、ドラッカーの本が売れてしまうのは客観性重視が性に合っているからなのだろう。

ところが、ここまで書きながら、これには弱点があることも書かなければならない。

それは、かなり健康で勤勉な人間であっても、客観性重視の社会は、そうとう生きにくくなっているということだ。

自殺者や、鬱病患者が大量生産されているということは、どこかに供給重視の集団指針が間違っているということにも気がつかなくてはならない。

毎日、年寄りの顧客を相手にして思うことは、気持ちの伝わらないビジネスライクな仕事には厳しい評価を下す一方で、多少の仕事のミスには、今の若い人たちよりも優しさがあるということ。

それは、供給者でもなく消費者でもなく、昔は、買う側も売り手を人間として認めていたし、消費者も売り側に名前で呼ばれるお客さんであった。そこにはただ人間としての付き合いがあったということだ。

小泉政権以降、非正規社員の積極雇用で、人は完全に使い捨てになったが、民主党は本気でそれを問題視しているのだろうか。

日本人が、客観性を持つよき仕事人であり、優しき消費者でもあるということ。

互いを人間視できる、もう少しウェットな関係であること。

そういう社会が必要だろう。

放射線と健康

2011-12-04 06:14:12 | Weblog
http://fujiwaratoshikazu.com/2011disaster/

↑福島原発だけではなく、放射線問題は、昨日今日の問題ではないのですね。

シベリアは地上核実験時代に広島原爆の5000発分だから、確かに規模がでかい。

ネバダの核実験や、世界一の原発保有国アメリカでは死ななくていい人が2000万人死んでいて、面積あたり世界一の日本にも同様の問題があるということでしょう。

福島原発事故の起こるはるか前から、広島長崎の原爆、ソ連・中国の核実験、狭い国土に50基を越える原子力発電所、チェルノブイリ原発事故、世界一レントゲン撮影を受けてしまう検診頻度、そして福島原発事故と、放射線に非常に縁のある国が日本なのでありました。

政府は癌をタバコのせいにしたがってるけど、喫煙率がめちゃくちゃ下がっているのに、癌が増え続けているのはタバコと癌との関連性がないということです。

脳梗塞や脳出血による死亡率も、1970年から横ばい状態ですからねえ。

アメリカ人の研究者が世界でまれにみるデータだって絶賛しているのに、今後のことは誰にも分からないなんてねえ。

だいたい予想できるじゃん(笑)

福島を中心に、癌や白血病の死者数・患者数が、今までの増加率に加算されるって、単純な話です。

癌っていうのは、遺伝子に異常をきたして人間の細胞の形を保てなくなった「悪性新生物」のことでしょう。
放射能は、体内に取り込むと遺伝子を傷つけるものだし、遺伝子の修復が間に合わなくなると癌になるっていうのも、とても単純な理屈でしょう。

なるべく放射性物質を体内に取り込まないようにしましょうというのも、当たり前の理屈です。

こういうときに限って、タバコ税をもっと値上げするとか、肉食の人のほうが癌死亡率が高いとか、どうでもいい報道がされてしまうんですよねえ。

BNF氏の話とか、99%の人の話とか。

2011-12-03 22:06:41 | Weblog
↓ちょっと古い記事ですけど、着実に資産を増やして行っていたのだなあ。

■BNF氏がまた秋葉原のビルを170億円で購入
http://media.yucasee.jp/posts/index/8183

職場の人が、どういうキャリアを積んでいきたいかを僕に聞いてきたけど、できれば遊んで暮らしたいなんてことは言えないなあ(笑)

まあ、BNF氏が遊んでいるとは思えないけど、キャッシュで90億円やら、170億円の不動産を買うってのはどうなんだろう。

ラオックス・ザ・コンピュータ館跡地は、パソコン大盛況時代の自分らにとってはとても思い入れのある場所ではあるのだけれど。

ロケット跡も、ラオックス跡も、テナント収入が、ほかのにぎわっているビルよりもあるとは思えないのですが、ビルの管理費というのは、清掃やら警備やら設備のメンテナンスやらでかなりコストがかかるものでしょう。

秋葉原に不動産を持ちたいという気持ちはある種の人にはあるわけで、おそらく彼は好きなものを買ったということなのでしょうか。

まあしかし、彼はすでに1%の勝ち組ですから、99%の負け組みの我々にとって、長期デフレの時代には、住宅ローンなんかは年々重みを増していって傷口を開いていってしまっているような気がします。

昔のインフレ時代に家を買った人は、住宅ローンの最後の方には給与の方がずっと高くなっていて、負担感がどんどん軽減されていったのですよね。

誰だ? 性懲りもなくデフレの方がいいなんて言っているやつは?

介護職っていうのは数少ない成長産業で、経済的にはあくまで理性的な選択ではあったのですけれども、専門職の道のりというのは、今までの仕事の中でもっとも厳しいものでありました。

どうせ辛い人生を生きるのなら、一発当てたい夢もあったのですけれどもね~。

会社に出勤さえしていれば、大半の人がそこそこの老後を迎えられた20年前にどうして戻れないのか。

アメリカンドリームという空想に翻弄され続けてきた貧しいアメリカ人同様、新自由主義が上陸してきたあとの日本では、自分も他に違わない99%の中の一人にすぎなくなったのでしょう。

将来65歳で定年になって(68歳を言い出したキチ○イ政党がありますが)、平均寿命まで15年足らず。

そのうちの健康な期間は、ほんの短い何年かなのですから、サービス残業をゼロにするとか(こんなもの違法なんですよ、違法)、就業期間というものをもう少し気楽なものにしましょうや。

消えた「癌保険」

2011-12-03 07:28:51 | Weblog
今日のミーティングで、これから末期がんの患者が増えていくので、一日一日が大切な利用者さんのことを思いながら、スキルアップさせていかなければならないという話がありました。

ベッドとエアーマットレスを出しても数ヶ月で亡くなってしまうお客さんだと、手間ばかりかかってお金にもならないんですが、そいういう弱者に必要なものこそ介護保険なわけで。

がん保険などというアメリカ生まれの民間の保険は、原発事故のあとにテレビコマーシャルをあっという間に止めてしまいました。

それを言ってしまった芸人のほっしゃんは、テレビ画面から姿を消されてしまいました。

これから癌がはっきり増えると分かってしまえば、今までのような安い掛け金では、回らなくなるのは分かるんですが、人間の生き死にに関係することが不思議と報道されません。

それも利益追求集団であるスポンサーと放送局という、金の亡者たちの権力が強いからなのですが、がん保険が加入しにくくなると、高額な医療費負担の発生する癌になったときに大変不便になります。

脳梗塞だと美味しくご飯を食べられないこともないのですが、ご飯の代わりに点滴やら、効かない抗がん剤やら、これからは十分放射線を浴びている人ばかりなのに放射線治療やら(笑)、やっぱり癌は良くないですね。