死刑制度について。
亀井静香さんが死刑廃止議連の会長をつとめて長いのですが、24日のとある集会で「冤罪を受けた方に国民のひとりとして、国会議員だった者として謝罪します」と言っています。
もう、かなり前から死刑廃止が世界の主流です。
たとえば、EUは死刑制度廃止の国でなければ参加できませんし、先進国で死刑制度を存置しているのは、アメリカと日本くらいのものです。日本では死刑存置を希望する国民が多く、なかなか廃止に進みません。
なぜそうなるのか。日本の場合「殺された被害者家族の心情よりも、加害者の方を守るのか」というところで、議論が止まっているからです。
ヨーロッパでなぜ死刑制度が廃止になったかは、もちろん加害者を守っているわけではなく、「一人の加害者に復讐をすることでカタルシスを抜くよりも、一人の冤罪者を出さないことを優先させる」といった、哲学的議論や神学的議論を積み重ねた後の人々の総意なのです。
日本人は何も積み重ねていません。
EUでは日本のような死刑制度ではなく、終身刑が死刑制度の代用の役目を果たしています。もちろん日本の死刑廃止議連も同じことを言っています。
法務大臣が死刑を行わなければ非難し、何人も死刑にすれば称賛する日本人の心根は概ねサディスティックです。鳩山邦夫や、長勢甚遠のように10人以上も死刑の判子を押した大臣の方が、褒められるチャイルディッシュな社会性が日本にはあります。
死刑存置を希望する人々にとっては、極めてパーセンテージの低いたった1人の冤罪者が出たとしても、何とも思わないようです。犯罪を犯していなかったとしても、自分たちの復讐心を昇華させる欲求を優先させたいのでしょうが、1人の冤罪者にとっては、100パーセント自分の人生の大問題なのです。
更に言えば、亀井静香さんは警察庁時代に、冤罪者の出しやすい日本の警察の実態を知っているから反対しているのです。
死刑制度を賛成している人と、自殺者が出ても仕方ないと思っている人と、低所得者層の努力が足りないと思っている人は、だいたい同じ人です。
私は何度もお会いしたことがありますが、亀井静香さんは弱い立場の人間に合わせて、とても目線を低くしている政治家という印象です。死刑制度賛成の人たちは、たいがい目線が高いのです。
http://amzn.to/1t4iHAR
亀井静香さんが死刑廃止議連の会長をつとめて長いのですが、24日のとある集会で「冤罪を受けた方に国民のひとりとして、国会議員だった者として謝罪します」と言っています。
もう、かなり前から死刑廃止が世界の主流です。
たとえば、EUは死刑制度廃止の国でなければ参加できませんし、先進国で死刑制度を存置しているのは、アメリカと日本くらいのものです。日本では死刑存置を希望する国民が多く、なかなか廃止に進みません。
なぜそうなるのか。日本の場合「殺された被害者家族の心情よりも、加害者の方を守るのか」というところで、議論が止まっているからです。
ヨーロッパでなぜ死刑制度が廃止になったかは、もちろん加害者を守っているわけではなく、「一人の加害者に復讐をすることでカタルシスを抜くよりも、一人の冤罪者を出さないことを優先させる」といった、哲学的議論や神学的議論を積み重ねた後の人々の総意なのです。
日本人は何も積み重ねていません。
EUでは日本のような死刑制度ではなく、終身刑が死刑制度の代用の役目を果たしています。もちろん日本の死刑廃止議連も同じことを言っています。
法務大臣が死刑を行わなければ非難し、何人も死刑にすれば称賛する日本人の心根は概ねサディスティックです。鳩山邦夫や、長勢甚遠のように10人以上も死刑の判子を押した大臣の方が、褒められるチャイルディッシュな社会性が日本にはあります。
死刑存置を希望する人々にとっては、極めてパーセンテージの低いたった1人の冤罪者が出たとしても、何とも思わないようです。犯罪を犯していなかったとしても、自分たちの復讐心を昇華させる欲求を優先させたいのでしょうが、1人の冤罪者にとっては、100パーセント自分の人生の大問題なのです。
更に言えば、亀井静香さんは警察庁時代に、冤罪者の出しやすい日本の警察の実態を知っているから反対しているのです。
死刑制度を賛成している人と、自殺者が出ても仕方ないと思っている人と、低所得者層の努力が足りないと思っている人は、だいたい同じ人です。
私は何度もお会いしたことがありますが、亀井静香さんは弱い立場の人間に合わせて、とても目線を低くしている政治家という印象です。死刑制度賛成の人たちは、たいがい目線が高いのです。
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おそらくは彼が、自らが冤罪を作り出す立場の人間として多くの無実の人間を罪に陥れてきた事を自覚しており
その贖罪意識がこういう行動を採らせているのではないかと推測していましたが、その通りのようですね。
自らが冤罪システムの中枢にいながら何の反省もなく、他人事のように冤罪システムを批判するのは卑怯という
ものでしょう。
それにこれで問題となるべきは死刑制度ではなく冤罪を作り出すシステムそのものではありませんか ?
中世レベルと酷評される日本の司法システムを見直さなければ冤罪など無くならない。
ところが彼の主張では何故かこの肝心な部分がすっぽり抜け落ちている。
おそらく彼には日本の司法システムを見直そうなどという気は全くないのでしょう。
だが無実の人間を死刑にするのはさすがに後ろめたさを免れない。
死刑制度さえ無くなれば「安心して」冤罪を量産する中世レベルの強権的司法システムを維持できる。
私は彼の本音はこんなところなんだろうと思っています。
完全に論点がズレてますね。
それによって、警察や刑法の意味を考えさせられるまま 社会は犯罪への認識について混沌とするでしょう。