雑文の旅

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猫爺の短編小説「畜生道」

2014-11-18 | 短編小説
 日が暮れかかった晩秋の山道を、何処へ向かうのか一人の旅の僧が足早に歩いていた。色あせて赤茶けた墨染めの衣、ところどころ折れて弾けた網代笠(あみじろがさ)、擦り切れた脚絆が旅の長さを思わせるが、歳は若くて二十代であろう。

 空はどんよりと雨模様。僧は雨を凌(しの)げる荒れたお堂でも有ればと心焦るが、歩いても歩いても建物らしきものは見当たらない。

 日はとっぷりと落ちて、足元が闇に包まれて見えなくなり、とうとう雨がぽつりと指先に落ちた。せめて、樵(きこり)の雨宿り洞でも無いだろうかと目を凝らしてみるが、それも見当たらない。
 
 雨は本降りになってきた。修行中の身であろうその若き僧は、法句経(ほっくぎょう)をお経のように唱えながら足早に進もうとするが、足元が暗いために走ることは出来なかった。かくなる上は、雨に打たれて夜を明かすのも修行の内と覚悟を決めたとき、目前の闇の中に瞬間ではあるが一点の明かりが見えて、そして消えた。

 今、見えたのは幻覚ではなく人家であろう。明かりが人家のものではなくとも、近くに山村があるに違いない。若き僧は仏の慈愛と信じ、心に深く感謝の意を留めて突き進んだ。

 二度目の明かりが見えた。やはり幻覚では無かった。明かりは僧の目に、どんどん大きくなり、もう再び消えることはなかった。

 やはり、人家であった。
   「お願い申す」
 戸の前にたち、大きな弾む声で僧は声を掛けた。戸を叩いてみようと思ったが、その必要はなく、直ぐに応えがあった。
   「何方(どなた)さまでございましょうか?」
 若き女性(にょしょう)の声である。
   「旅の修行僧でございますが、雨に降られて難儀をしております、一晩軒をお借りしとうございます」
 女は、警戒をするでもなく、戸を開けた。
   「これはお坊さま、むさ苦しいところでございますが、どうぞお入りになってください」
 僧は敷居を一歩またいで、はっと気が付き、踏み入れた足を引っ込めた。
   「見れば、女性の独り暮らしのご様子、拙僧は納屋をお借りすることが出来ますれば幸せでございます」
 若い僧は、自らの手で戸を閉めようとしたが、この家の主は僧の手を遮った。
   「日が落ちると、寒くなって参りました、囲炉裏に明かりを灯しておりますほどに、どうぞご遠慮なさらずにお入りになってくださいませ」
 山家の住人とは思えない品格があり、頗(すこぶ)る容姿端麗であった。
   「拙僧は修行僧の身でございます、女性独りの家に入ることは叶いませぬ」
   「では、お坊さまがお入りになられましたら、わたくしが納屋で休みましょう」
   「そのような無情なことが出来ましょうか」
 旅の僧は、尚も戸を閉めようと力を込めた。
   「とにかく中にお入りになり、濡れた衣を乾かしてくださいませ」
 僧は些か戸惑ったが、それだけならと入らせて貰うことにした。
   「何もありませぬが、粥が煮えております、どうぞ囲炉裏の傍へお座りください」
 女性の名を尾花と告げられ、問われるままに名を宗清(そうしん)と告げ、修行僧になった経緯などを話しながら粥を馳走になっていると、尾花は押入れを開け、粗末な着物と帯を取り出した。
   「父が生前使っていた着物で失礼かと存じますが、これに着替えていただけませぬか?」
 どうやら宗清が纏(まと)っている衣が、方々解(ほ)つれたり破れたりしているので、縫ってやろうと言うのだ。
   「いえいえ、そんなことまでして頂いては罰があたります」
   「これは、わたくしの仏様への帰依のつもりで、どうしてお坊さまに罰があたりましょう」
 それではと、宗清は尾花の好意に甘えることにして、隅で着替えをした。尾花は着物を広げて宗清の背にまわった。

 尾花は、着物に着替えた宗清に、父親の面影が見え、思わず知らず宗清の背に寄り添ってしまった。宗清は「あっ」と、大袈裟に叫んで尾花から離れた。
   「済みません、ついお坊さまの背に亡き父の面影を見て、寄り添ってしまいました」
 宗清は、思春期以前に落飾(らくしょく)したので、大人になって以来女性に触れたことはなかった。
   「いえ、拙僧こそ、大きな声を上げて失礼致しました」
 尾花は着物の繕いを始めたので、宗清は母屋から出ていこうとすると、尾花が止めた。
   「お坊さま、尾花はお坊さまにお願いがございます」
   「拙僧に出来ることでしたら、何なりと」
   「今宵、わたくしを抱いて頂きとうございます」
 宗清は大仰に驚いた。
   「それは叶いません、僧侶の身で、それも修行中でございます」
   「お坊さまだからこそ、わたくしの魂を救って頂きたいのでございます」
 
 尾花は自分の身の上を宗清に打ち明けた。この家で暮らすのも今宵限りで、明日は意に添わない村長(むらおさ)の嫁にされるのだと言う。村長は、今までも女を引き入れては嫁にして、馬車馬のように働かせながら飽きるまで弄び、一年経っても子が生まれないと家から放り出てしまうのだそうである。その所為か、村長は四十路半ばというのに、子宝に恵まれていない。
 
 明日からは無感情な(ぬひ)となり、身も心もぼろぼろになるほどまで働かされて、やがて追放されるのだ。
   「わたくしを女にして頂きたいのでございます」
 宗清は戸惑った。願いを叶えてやれば、自分は僧侶の戒めを破り畜生道へ墜ちる。それに、宗清は男女の営みを知らない。
   「わたくしがこの村を追放されて自由の身になりましたら、比丘尼(びくに)となり、生涯仏様にお仕えして許しを乞いましょう」
   「わかりました、それで貴方さまが救われるのであれば、拙僧は畜生道へ堕ちましょう」
 宗清は、決して投げやりになったのではない。女の色香に迷った訳でもない。尾花が哀れに思えてならないのだ。
 
 その夜、宗清は尾花の成すがままになり、目を閉じて心で法句経を諳んじていた。一度目は、尾花に男の一物を触られていると思っただけで、自分の身体から熱いものが迸るのを感じた。
 二度目は、もう何も考える余裕がなかった。ただ身体の根幹を突き上げる異様なまでの快感に酔い痴れる自分が、そこに横たわっていた。

 夜が明けると、宗清は尾花に別れを告げ、山家を後にした。山道を更に奥へ歩き続けると、水が落ちる音を聞いた。宗清は、その音に誘われるように突き進んだ。
 細くて長い滝であった。宗清はここで頭陀袋を外し衣を脱ぎ下帯だけになると、心身を清める為に滝に打たれた。自分は仏の戒律を破った破戒僧である。許されないまでも、せめて身を清めてどこぞの寺で寺男として働きたいと考えたのである。
 晩秋の水は冷たかったが、宗清は自らを無にして、三日三晩滝に打たれ続け、やがて岩の上で身を横たえて気を失った。


 宗清は、薄暗いあばら家で目を開けた。額には濡れ手拭いが乗せられ、枕元には水の入った手桶が置かれていた。宗清ははっとした。自分は知らず知らずのうちに尾花の住み家へ戻ったらしいと思ったのだ。
   「お坊さま、お気が付かれましたか?」
 尾花ではなかった。物静かな尾花とは違って、明るく溌溂とした娘であった。
   「お熱は下がりましたか?」
 臆面もなく、宗清の額に手を当てた。
   「ああ良かった、一時はこのままお亡くなりになるのでは無いかと思ったのですよ」
 宗清は自分がどんな格好をしているのか気になって、そっと布団の中で身体を触ってみた。着物も下帯も、さらっとした感触であった。
   「あなた様が着替えをさせて下さったのですか?」
   「そうですよ」
 娘は平然としていたが、宗清は赤面した。
   「滝からここまで連れてきてくださったのも?」
   「はい、苦労をしたのですから…」
 娘は悪戯っぽく言った。
   「ここには、あなた様お独りでお暮らしですか?」
   「はい、父と二人暮らしでしたが、二ヶ月前に父は亡くなりました」
   「そうでしたか、ご愁傷でございます」
 娘の名は萩女と名乗った。萩女は寂しそうな素振りもなく、すこし微笑みさえ浮かべて頭を下げた。
   「町へ出ようかとも思うのですが、ここに居ると父と一緒に居るようで寂しくないものですから」

 命を救って貰ったお礼にと、宗清は丸太を削って墓標を建てたり、板切れで戒名を作り、仏壇を作ったりしていたが、娘が食料に窮しているのを知り、町まで出かけて寺男の仕事を見つけてきた。葬儀が入ったときは、穴掘りなど力仕事を引き受け、境内や墓掃除とよく働いた。

 山家を出た二人は、寺の敷地を借りて小屋を建て、二人は世帯を持った。やがて夫婦は子宝に恵まれて女児を出産し、名を清水(きよみ)と付けた。


 歳月は流れ、清水は十七歳になっていた。読み書きは父の宗清に習い、聡明で美しい娘であった。弟も生まれ、十五歳の屈強な若者であった。

 ある日、清水は一里ほど行った母親の元住み家である山家の近くにある祖父の墓参りに出かけて、近くの村の若者に声を掛けられた。
   「お一人で何処へ行かれるのですか?」
   「この先に、祖父の墓がありますので、お参りに…」
   「わたしもこの道を行きますので、ご一緒しましょう」
 恐る恐る始めた会話であったが、次第に打ち解けて笑い声まで出るようになった。男は宗春と名乗った。
   「お坊さまですか?」
   「いえ、僧侶のような名前ですが、わたしはこの先の村の者です」
   「お百姓ではないようですが…」
   「いえ、百姓です、父は村長(むらおさ)ですが」
   「そうでしたか、宗春さまは何れ村長さまですのね」
   「はい、父は歳をとりましたので、私が村長の仕事を任されています」
   「お若いのに、大変ですね、お幾つですの?」
   「十七歳です」
   「あら、奇遇ですね、わたくしも十七歳ですのよ」
   「気が合う筈です」

 やがて、二人は逢瀬を重ね、将来の共通の夢を持つようになった。夫婦になることである。ある日、宗春は意を決して清水の両親に会い、夫婦になる許しを乞うことにした。清水の家を訪ねると、母の萩女が暖かく迎えてくれた。
   「夫は仕事に出かけて留守ですの」
 萩女は、済まなさそうに言った。
   「いえ、突然押しかけた私が悪いのです」
 近くの村の村長の嫡男だと聞いて、萩女は躊躇した。
   「身分が違います、宗春さまのご両親が、お許しにはならないでしょう」
   「いえ、前もって話してあります、父はともかく、母は大乗り気です」
   「お父様は、反対なさったのですか?」
   「いいえ、歳の所為で弱ってしまい、何もかも母任せなのです」
   「まあ、そうでしたか、清水は優しい娘です、きっと手厚くお世話をすることでしょう」
 清水の父には、日を改めて会うことにして、次は清水を宗春の両親に会わせるのだと、宗春は喜々として戻って行った。

 宗春の母も、清水を暖かく迎えてくれた。
   「それで、お父様は何のお仕事をなさっておられるのですか?」
   「町のお寺で、寺男として働かせて頂いております」
   「わたくしも、お会いしとうございます、お名前は?」
   「はい、宗清と申します」
 母親の顔色が変わった。
   「もしや、元お坊様ではありませぬか?」
   「はい、自分は破戒僧だと父は申しております」
 母親尾花の表情が固くなった。
   「この縁談、母は反対です」
 今までの暖かく優しい態度から一変して、頑なに拒む物分かりの悪い母親になった。
   「お母さん、どうしたのです?」
   「どうもしません、清水さん、どうぞお帰りください」
   「お母さん、訳を言ってください」
 宗春が幾ら尋ねても、尾花はその後一言も口を利かなくなった。

 清水は家に戻り、泣いて母に訴えた。
   「お父さんが元は僧侶だったことがいけないようですね」
 萩女は、どうにも納得がいかない様子で、その夜宗清が戻ると全てを話して聞かせた。
   「その母親の名は、尾花と言ったか?」
   「はい、そうです」
 清水は、宗春から聞かされた宗春の父の話をした。次々と幾人もの妻を娶ったが子宝に恵まれず、四十路を半ばにして娶った尾花が男の子を産んだ。それが宗春である。村長の父は、やっと願いが叶ったと、尾花を大切にした。
 
 宗清は、畳に額を擦りつけて謝った。
   「私は、尾花と言う女に利用されたようだ」
 宗清は、何もかも包み隠さず尾花との経緯を話した。子供が出来ない村長に嫁ぎ、子供を産んで追放されぬばかりか、あわよくば我が子に後を継がせるために、たまたま雨に降られて立ち寄った宗清を誑かしたのだ。
   「では、清水と宗春は…」
   「そうに違いない、二人共わたしの子供だ」
 宗清は思った。若い二人に罪はない。自分が尾花を説得して、清水と宗春を添わせてやろうと。まだ近親結婚が禁止されていない時代の話である。
   
 
 
        -終わり-


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