雑文の旅

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猫爺の短編小説「勘助の復讐」  (原稿用紙約30枚)

2015-03-23 | 短編小説
 勘助は江戸の米問屋、加賀屋の三番番頭である。
   「旦那さまに、折り入ってご相談があります」 
 お店の戸締りを済ませ、帳簿をきっちり付け終えた勘助が店主のもとに来て言った。なにやら思い詰めた勘助の固い表情に、主人は勘助の方に向かって座り直し襟を正した。
   「どうしたのじゃ、そんなに神妙な顔をして」
   「明日の朝早く、わたしは旅に立ちたいと存じます
   「旅に、それはまた何故に?」
 突然のことなので、主人は怪訝(けげん)に思った。
   「私はお店のお金を二十両持ち逃げして、奥州街道を北へ陸奥に向けて旅立ちます」
   「どうした、私を驚かそうと芝居でもしているのか?」
   「いいえ、本心です、旦那さまは奉行所に申し出られて、私に追っ手を差し向けるように頼んでください」 
   「馬鹿なことを言うではない。お前が持ち逃げをする男ではないことは、私が一番よく知っています」
   「旦那さま、わたしは処刑を覚悟しています」
   「わかった、聞きましょう、事情を話してみなさい」

 勘助と耕助は一つ違いの兄弟である。幼い頃に神社の境内に捨てられていたのを、この家の夫婦に拾われて育てられた。夫婦は子供に恵まれずに寂しく思っていたので、天からの授かりものと大喜びをして兄弟を実の子のように大切に育てた。
 その二年後に、妻は諦めていた子供を宿した。実の子は女の子で、お園と名付けられ、勘助たちと分け隔てなく兄妹のように慈しまれて育った。
 勘助が十歳になったのを潮時(しおどき)に、夫婦は事実を打ち明けた。勘助は当時三才であったが、拾われたときの状況をしっかり覚えていた。勘助は、「やはりそうであったか」と、思ったが、顔色に出すこともなく、その日からはこの家の奉公人として振る舞った。お園を名前で呼ぶことは止め、「お嬢さま」と呼び、父と母は旦那さま、奥さまと呼び換えた。
 その勘助の変りようを弟の耕助は訝っていたが、深く詮索もせずに自分もまた兄に従った。お園もまた訝ったが、勘助とは実の兄妹でないことを知り、寧ろ喜んでいるようにさえ見えた。
 夫婦は兄弟の変わりように打ち明けたことを後悔したが、「これもけじめだろう」と、その変化を受け入れることにした。 


 勘助は二十二才になり、新米の三番番頭であった。勘助は旦那さまに語った。お嬢さまが兄のように慕ってくれていた自分の事を、今では将来の婿として見るようになってしまったと言うのだ。自分は使用人だから、そのような世間体の悪いことは出来ないと諭したのだが、それが却ってお嬢さまの心に火を点けてしまった。
 自分もまた、お嬢さまの心を不憫に思っているうちに恋心に変わってしまったのだと、目を潤ませながら打ち明けた。お嬢さまには大店、越後屋の次男坊との縁談が持ち上がっている。この上は自分がお嬢さまの前から消えるのが妥当と思うのだが、お嬢さまのお気持ちを傷つけないように消えるには、自分が犯罪者になって処刑されるのが一番だと考えてのこの計画だった。

   「馬鹿げた考えはやめにしなさい。この私が我が子同然に育てたお前を、そんな無実の罪を着せて死なせると思いか」
 お園とても、お前がそんなことに成れば、後を追うか、気がふれるかも知れない。お園に縁談が来ているのは確かである。断るに断れない事情もある。断れば、この店をやっていけないかも知れない。
 
   「お園はどんな事をしても説得するから、お前は生きて上方へでも行って一旗揚げておくれ。 
 旦那は、心のなかで勘助に手を合わせて願った。
   「この二十両は、持ち逃げしたものでは無いことを書状にしたためるから、どうか断らずに持って行ってほしい。このくらいのことしかしてやれない私を、許しておくれ」
 旦那は、白髪が混じる頭を下げた。翌朝早く、勘助は上方を向けて旅立った。

 案の定、それを聞いたおそのは、勘助の後を追うと泣き喚めき、止められると部屋に閉じ籠ってしまった。そんなお園の傷心も知らずに、越後屋では祝言の準備が着々と進められていた。 
   「お兄さんの薄情者!」
 お園は勘助を恨んだ。そんなお園に謝り、励まし、どんな時にもお園の味方をしたのは、勘助の弟耕助であった。 


 勘助は、上方に着いていた。道中、二人の男に絡まれている若い商家の娘と乳母らしい初老の女に出あった。勘助は、喧嘩などしたことは無かったが、米俵を担いでいた所為で腕っ節には自信があったので、難なく男ふたりを追っ払った。
   「お怪我はありませんか?」
 勘助は女に訊いた。娘の方が男たちから逃れようとして足を挫いていた。 
   「むさ苦しい男に背負われるのはお嫌でしょうが、せめて駕籠が見つかるところまでお連れしましょう」
 背中を向けて腰を下ろした。娘は恥ずかしそうに躊躇(ためら)ったが、初老の女が娘に言った。
   「お嬢様、お言葉に甘えましょうよ」
 娘は初老の女に諭されて、恐る恐る肩に手を掛けた。
   「こんな時に限って、駕籠が見つからないものですね」 
 勘助がいった。
   「重いでしょうに、ごめんなさい」
 娘が済まなさそうに言った。 
   「旅人さんは、どちらから…」
 初老の女が勘助に訊いた。
   「江戸です」
   「まあ、それはお疲れでしょうに、申し訳ありません」
   「いえ、力仕事は慣れていますから」
   「お仕事は?」
   「米屋の番頭でした」
   「お止めになりはったのですか?」
   「ええ、まあ、商いの都で勉強したいと思いまして… 」
   「偶然だすなあ、お嬢様のお家も米屋ですねん」

 人通りが目立ってきたところで、駕籠が見つかった。娘を駕籠に乗せて勘助は娘に別れを告げた。
   「それではお達者で…」
 勘助は娘たちを見送って別れようとしたとき、初老の女が勘助の元に走り寄って来た。
   「これから行くあてはおありだすか」
 勘助に訊いた。
   「取り敢えず、旅籠(はたご)を探そうと思います」
   「それでは、ぜひ私共の店においでください、主人もお礼が言いたいと思いますので」
   「よろしいのですか? こんな見ず知らずの男を連れて帰って」
   「旦那様も、きっと喜びはると思います。ねえ、いとはん」
 初老の女は、娘の同意を求めた。 駕籠の中から、嬉しそうに、「はい」と、返事が返ってきた

 娘の店は、浪花屋という米問屋であった。使用人が十数人も居そうな大店で、初老の女の話を聞いて旦那とお家(妻)が揃って店先に出てきた。
   「娘を助けて頂いたうえに、大変ご迷惑をお掛けしましたようで、ありがとうございました」
 夫婦は丁重にお礼をいった。
   「もし、あなた様がお通りにならなかったら、娘たちはどうなっていたことやら」
 夫婦は胸を撫で下した。
   「娘の乳母に聞きましたところ、お米屋さんの番頭はんやそうで、奇遇だすなあ」
   「上方へお商売の勉強に来はったそうで、お江戸のお店の名前はなんと?」
   「はい、加賀屋でございます」
   「あれあれ、これまた奇遇だすなあ、加賀屋さんとはお米の買い付けでご一緒したことがあります」 
 勘助は、懐の書付を出して見せた。
   「加賀屋の旦那さまが持たせて下さったものです」
 浪花屋の旦那さまは、
   「ちょっと、待っておくれやす」
 と、奥の座敷に入り、紙切れを持って出てきた。
   「これは、その時に書いてくれはった加賀屋さんがある町名と略図だす」
 そのうち、江戸へ行くことがありましたら、お店に立ち寄らせてもらいますと、社交辞令のつもりで言ったら、律儀にこの紙片を渡してくれたそうである。
   「同じ字だすなあ、加賀屋さんは良い人だした」
 浪花屋の旦那は、思い出すように目を閉じていった。
   「どうただす、このお店で勉強していきはりませんか?」
 旦那は、勘助の目を見て言った。 
   「あんさんも、加賀屋さんみたいに良い人らしいので、うちは大歓迎だす」
 勘助は、この偶然を夢かと思った。

 暫くはこの家の娘、琴音(ことね)の客人として、やがて勘助の事情をすっかり聞いた浪花屋の旦那は、勘助を最初は手代から店で働いてもらおうと考えた。
   「ぜひお願いします」
 勘助は、深々と頭を下げた。

 
 江戸の米問屋加賀屋の娘お園は、越後屋の次男坊仙太郎と祝言を挙げ、仙太郎は加賀屋の入婿に納まった。染まぬ縁に隠れて涙を流す日々のお園だったが、年月と共に諦めが付いて、加賀屋の跡取りとしての自覚も芽生えていたが、仙太郎は商売など何処吹く風で放蕩に明け暮れた。そのうえ、従来から居る使用人を、一人、二人と難癖をつけては追い出し、親元越後屋の使用人を呼び寄せた。挙句は、越後屋の圧力を持って加賀屋の旦那夫婦を隠居させてボロ家に住まわせ、店の実権を我が物にしてしまった。無理矢理に隠居させられた加賀屋は、落胆のあまりに床に就いてしまった。最後に残った耕助はお園を護るべく、頑なに店に残った。仙太郎や使用人たちの嫌がらせを受ける耕助だったが、今度はお園が陰になり、日向になり耕助を護った。

 それも一年が限界だった。 耕助の些細なしくじりを咎められ、耕助もまたお払い箱になった。泣いて見送るお園に、耕助は言った。
   「兄を頼って上方へ行きます」
 言い残して旅立ったが、途中で気懸りな隠居夫婦に会っていった。
   「お園が来て面倒をみてくれるので、私たちは大丈夫」
 隠居夫婦は笑って言ったが、どこか寂しげであった。


 耕助は、上方の浪花屋の店先に立っていた。
   「勘助兄さんに、弟の耕助が江戸から来たと伝えて下さい」
 丁稚らしき少年に声を掛けた。
   「お待ちください」
 暖簾を潜って奥に入ると、勘助が飛び出して来た。
   「耕助、耕助なのか? あゝ、耕助だ。逢いたかった」
 勘助は、耕助に抱きついた。 
   「旦那さまと奥さまはお達者か? お園さんはどうして居なさる」
 矢継ぎ早に問いかける勘助に、耕助は一部始終を告げた。勘助は泣いた。芯の強い兄の、どこにこんな涙が潜んでいたのかと思う程であった。 

   「初めてお目にかかります、勘助の女房琴音です」
 さらに、旦那さん夫婦が挨拶にでて来た。 
   「浪花屋の主人だす。耕助さんは勘助さんにそっくりだすなあ」
   「あなた、そんな暢気な挨拶を交わしている場合じゃありまへんで」
 お家は、先ほどから耕助が上方へ来たいきさつを聞いていた。そのお家から、旦那もすっかり話を聞いた。 
   「越後屋が汚い商売をすることは噂に聞いて知っとりましたが、お店の乗っ取りまでしているのかいな」 
 浪花屋の旦那さんは、呆れた風であった。 
   「勘助、行っておいなはれ江戸へ」
 お前も浪花屋の跡取りだ。浪花屋の名前を出しても良い。資金は私が出すから、加賀屋を再建して来なさいと、数日間耕助を休ませたのち、旦那さまは勘助にお金を手渡した。
   「これは、とりあえずの路銀だす。勘助から預かっていた二十両と、わたしから八十両を足して百両入っています。加賀屋さんの真似ですが、書付も入れときましたよ」
 あとは、必要に応じて両替屋(今の銀行)に振込みますと、快く送り出してくれた。
   「あなた、わたしは道中足手まといになったらいけないので、後から連れの者達と追いかけます」
 琴音は、遊山の旅のように浮かれていた。初めて見るお江戸の町に、心を捉われているようすだった。


 勘助兄弟は、加賀屋の隠居宅に揃って着いた。父親の看病をしていたお園が、勘助に走り寄ろうとして思い留まった。
   「お園さんは、毎日こうして旦那様の看病に通っていなさるのですか?」
 勘助が訊いた。
   「いえ」
 遅のは、文箱から紙切れを取り出して勘助に見せた。三行半(みくだりはん)の離縁状であった。 
   「糞っ! 仙太郎のヤツめ、どこまで卑劣なのだ」 

 翌日、兄弟が加賀屋のあった場所に行ってみると、看板は越後屋に変わり、厚化粧の女が使用人を叱りつけているところだった。入り婿の分際でお園を追い出して、あの女を女将に据えたのだなと、兄弟は拳を握った。

 加賀屋の暖簾が外され、越後屋の暖簾に掛けかえられた越後屋分店の程近くに、小さな空き店舗が見つかった。勘助兄弟は取り敢えず手付を打って借受け、御上に加賀屋の再建を届け出た。主人は元加賀屋の旦那さま、現ご隠居の加賀屋幸兵衛、後見人として上方の浪花屋左右衛門とした。後見人が大店の浪花屋であり、加賀屋は小さいながらも老舗であったことから、数日後にはもう鑑札が下り、その頃には勘助の妻琴音も遅れて江戸に着いていた。

 まだお店は開業していないが、勘助と耕助は病の店主に代わり同業者へ挨拶のために米問屋の寄合の席に顔を出し、座を見渡したが仙太郎は居なかった。
 勘助は、米を買占め、値段を吊り上げ、庶民には古米を押し付け、暴利を貪る江戸の米問屋のやり口を批判した。
 越後屋朔兵衛は鼻で笑って無視しょうとしたが、店の乗っ取りの手口を突かれたときは、不快感を顕にして言った。
   「若造がなに寝言を言うか、乗っ取りとは、片腹痛いわ、傾きかかった店を、倅が婿入りして立て直したのだ」
 越後屋はそう言って嘯いた。加賀屋の名前では店を存続できないので、信用ある越後屋に名を替えたと言うのが朔兵衛の言い分だった。寄合に参加した者の大凡は大袈裟に頷いていたが、その中で何某かの心ある人は、内心では勘助の言い分に同意していた。 

   「私たちの商いのやり方に不満のある者は、商人組合から外れてもらいましょう」
 あくまでも批判をする勘助に、朔兵衛は口を荒げてそう言った。 
   「そうです、止めて貰いましょう。組合から離れたら、商いは出来なく成るでしょう」
   「若造は引っ込め、番頭如きが来る場所ではない」
   「そうだ、そうだ」
 座がざわついた。そのとき、襖が開いて恰幅の良い初老の男が入ってきた。勘助は驚いて言葉を失った。
   「はい、みなさんお邪魔をします。わては、加賀屋の後見人上方の浪花屋左右衛門でおます」
 勘助の義父だった。浪花屋といえば、暖簾分けをしたお店が、四十を下らない大老舗、誰もがその名を聞き及んでいた。
   「さっき、ここへ来る前に、勘定奉行様に会って来またけど、上方の米相場と、江戸の米相場がえろう(たいへん)かけ離れていることを話したら、驚いてはりましたわ」
 みんな黙り込んでしまった。 
   「勘定奉行の甲斐守さまとお知り合いですか?」と、意地悪げに朔兵衛。
   「いやいや、お知り合いという程のものではありまへんが…」
 浪花屋左右衛門は、甲斐守とは上方で顔見知りになった。
   「上方では、普請奉行をされていましたのやが、その折にちょくちょく進言させてもらいました」
 江戸の米相場にも進言したいことがあるので、上方へ戻る前にもう一度お会いする約束をしてきたのだと浪花屋は言って話を続けた。
   「囲碁の相手をさせられましたが、お奉行さまは強くて、歯が立ちませんでしたわ」
 どうやら、また相手をさせられそうだと、作り笑いをした。

 思い出したように、左右兵衛は勘助と耕助を見た。
   「勘助、それと耕助さん、わては、まだ加賀屋さんに会うてませんのや、これから会いに行くから案内してくれへんか」と促し
   「ほな、みなさんお喧しゅう、勘助、行こうか」 
   「はい、承知しました」
 一同は、唖然としている。ちょっと喋って、さっさと帰る左右兵衛に付いて耕助、勘助は後を追って座をはずした。

 父親と別れて、お伴の手代と琴音お付の乳母と共に琴音は加賀屋の隠居宅へ来ていた。琴音とお園は、何やら話し込みながら門口で二人の帰りと、浪花屋左右兵衛の到着を待っていた。

   「加賀屋さん、昔の約束通り浪花屋が参りましたよ」
 加賀屋幸兵衛は、布団の上に半身起き上がって浪花屋を迎えた。 
   「こんなむさ苦しいところへ、よくお出で下さいました」
   「こないむさ苦しいところへ幸兵衛さんを追い遣ったのは、何処のどいつだす」
 左右兵衛は、胸が痛む思いだった。
   「幸兵衛さんと御寮さん、待っていておくれ、耕助さんとうちの勘助が、頑張りますさかい」
 そして 「なァ」と、二人の肩を叩いて同意を求めた。 
   「懐かしいですね、左右兵衛さん。越前の丸岡藩でお会いしてからもう何年になりましょうか」
   「そうです、藩の余剰米を買い付けて、その年の不作を凌ぎましたな」 
   「そうでした」
 二人は若い頃の苦労話に話を弾ませた。
   「幸兵衛さん、この紙を見とくなはれ。あなたが、わたいに書いてくれはったものだす」
   「あゝ、これは懐かしい、これが役に立ちましたか」
   「立ちましたとも」
 年寄り二人が懐古の情に酔い痴れている間に、勘助は旅籠の手配に出かけた。     
   「わたいも行きます」と、琴音。
 耕助とお園は家に残り、奥の座敷で募る話に涙を流していた。 

 
 左右兵衛と手代が上方に戻り、一ヶ月ほど経った日、加賀屋が店を開いた。米の仕入れを妨害した越後屋だったが、勘定奉行甲斐守の気転で難なくことが運んだ。元加賀屋で働いていた使用人は、既に他の店で働いていた者を除いて呼び寄せられた。主人に復帰した幸兵衛も、生きる張り合いが出来た所為か、ぼちぼちと商いの舵をとっていた。勘助と琴音夫婦も、まだ上方へ戻らず、店の手伝いをしていた。

   「勘助、耕助、ちょっと旦那さんの寝所に来ておくれな」
 二階から降りてきたお内儀が二人に声をかけた。
   「へい、ただいま」
 手を止めて二人はトントンと二階へ上がっていった。
 そこには、旦那さまの前にお園が座っていた。
   「なあ勘助、耕助をお園の婿になって貰おうと思うのだが、どんなものだろう」
   「私は一度嫁いだ出戻りです。そんな耕助に申し訳ないことはできません」
 お園が遮った。 
   「お嬢さん、そんなことはありません。お嬢さんは騙されたのです」と耕助。
   「いやいや、騙されたのは私です、お前たちには悲しい思いをさせました、許しておくれ」
 どうせこんな事になるなら、店を捨ててもお園に無理強いするのではなかったと、幸兵衛は後悔していた。
   「お嬢さま、私はお嬢さまの婿でなくても構いません、使用人としてお傍に置いてください」
 耕助はそれで良いと思っていた。お園をお護りできたらそれで満足だったのだ。
   「耕助は、お園さんのことが好きです、旦那さまが許して下さるのですから、私達夫婦が上方へ戻るまえに、お園さんと耕助の祝言を見とう御座います」
 勘助の本心である。お園さんの気持ちを知りながら、身を引いた自分の不甲斐なさ思いを、耕助に救ってもらいたいのだ。
   「耕助さえよければ…」
 お園が先に折れた。
   「お嬢さんさえよければ…」
 惚れているくせに、気持ちを表せずにいる耕助も折れた。

 二人の祝言の日取りが決まったある日、越後屋の仙太郎が酒に酔い出刃包丁をもって加賀屋の店に怒鳴り込んできた。 
   「お園を出せ! お園はわしの嫁だ!」
 喚き散らしたうえ、店の道具を叩き壊し、止めようとした使用人二人の腕に傷を負わせ、奥から飛び出して来た勘助に取り押さえられた。手代を番所まで走らせ、同心が岡引き連れてすっ飛んで来た。やがて、医者を呼び、傷を負った使用人の手当をして貰った。仙太郎は、同心に引かれて奉行所に連れていかれた。

   「加賀屋さん、この通りです。どうか訴えを取り下げて下さい」
 店先で懇願するのであった。加賀屋の旦那に代わって、勘助が対応した。 
   「加賀屋の旦那さまと相談したのですが、それには一つ条件があります」
   「なんなりと…」
   「加賀屋さんから奪った、もと加賀屋さんの店の権利書を返して下さい」
   「わかった、越後屋の店の者も引き揚げさせましょう」

 もとのお鞘に収まった加賀屋では、お園と耕助の祝言が行われていた。幸兵衛と内儀は、もとの古巣へ戻った嬉しさと、幸せそうなお園の姿を見て泣いていた。

 高砂や この浦船に 帆を上げて 月もろともに 入り潮の 波の淡路の 島影や 近く鳴尾の 沖すぎて はや住之江に 着きにけり

 今や謡の真最中に、飛脚便が届いた。上方の浪花屋からである。そこには、浪花屋左右兵衛の字で、
   「勘助、琴音、はよう帰ってきて、商いに精を出しておくれ。わし、もうあかん、死にそうや」
 上方から江戸まで、男の足でも十五日はかかる。飛脚便は五日もあれば届くが、容態を問い合わせても往復で十日は掛る。これはどうしても帰るしかない
   「こんなん嘘だっせ、ほっといたらええのや、なあ」
 乳母に同意を求める琴音。乳母も笑っていた。
   「それでも、心配です」
 勘助は、やはりすぐに帰ることにした。 
 
 加賀屋幸兵衛、耕助、ほか、店の者全員が揃って勘助夫婦と乳母を見送った。 
   「帰ったら、早速様子を知らせておくれ」
 すっかり元気を取り戻した幸兵衛が言った。
   「私も頑張りますから、お兄さんも…」 耕助。
   「お達者でね」 お内儀。
   「私達も、きっと上方へ行かせてもらいますからね」 とお園。


 やはり、手紙は嘘だった。元気すぎるくらい元気な左右兵衛が二人を迎えた。 
   「千両くらいは送れというのかと思うりましたが、あの百両で間におうたのか?」
 勘助が何も言わなくても、琴音が一部始終をペラペラ喋っていた。左右兵衛は、面白そうに、
   「そうか、それからどうした」
 にこにこしながら飽きることなく聞いていた。

 (勘助の復讐 終)


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