「大人の発達障害<アスペルガー症候群・ADHD>シーン別解決ブック」司馬理英子 2015主婦の友社
アスペルガー症候群、ADHD・・・どちらも思い当たることだらけだ。
親族、友人知人、小説などの作中人物、芸能人、みんなほとんどがそうじゃないのか?人類の半分は当てはまるだろう?いや、項目別で見ればほとんどだろう。
年齢を重ねると落ち着いてくるけれど、認知症になるとまた出てくるんじゃないか?
アスペルガーは何が悪いのかわからないといいますが、私はこの本で問題視することの何が悪いのかわかりません。
それって性格じゃないですか?それをいけないというのは人格否定じゃないですか?
ほとんどが家庭環境とその教育からの無知による態度じゃないですか。だから、アスペルガーの親はアスペルガーであり、ADHDの子供はADHDが多くなってはいないか。もちろん遺伝的なものもあるでしょうが、それは性質(能力)であって病気じゃないでしょう。蛙の子は蛙。
問題は社会側からの「無知」なんじゃないでしょうか。
個人を『患者』として『治療』しようとするのではなく、社会が理解を示すべきじゃないでしょうか。(まあ、角度を変えて見ればそのための本なのでしょうけど、立場と認識と表現を変えて欲しい)
社交辞令なんて、そういう環境で育って親から教えられなければ憶えないし!
思い当たることが多過ぎ。
そして、病気扱いされている人間の方が信頼出来て好きだ。
嘘にまみれた「社会」の方が狂っていると思える。気持ち悪い。
「解決ブック」?解決になっているか?
『割り切る』という部分だけは納得だ。出来なくても仕方ない、それで気持ちが楽になれば好転する。環境が同じ状態でも精神的な安定感は天地の差がある。どっちみちできないのだから、どちらが幸せなのかは明らかだ。どうだ、それこそ社会の見る目、理解の問題ではないか。
そう、周りがサポートすべきなのだ。それはお互い様だ。アスペルガーが周りをサポートしている部分だってあるだろう。その点はお互いの理解が通っていないだけのことだ。学者はその理解をすすめることを考えてくれ。
病気はもっと細かく別々に分類すべきだろう。特に依存症は大きな括りだ。
その原因としてアスペルガーなどという概念を作り出す必要はなかったのではないか。
アスペルガー症候群もADHDも症状の範囲が広すぎるだろ、正反対であったりするものまでひとくくりで!
「病気」として≪治療≫しようとするのは、個性を潰して型にはめようとする姿勢。そんな社会が面白いか、理想なのか。
それは≪治療≫ではなく「教育」すべきことだろう。家庭の環境で学びそこなっただけの部分が大きいように見える。
そう、必要なのは「教育」と「理解」