「東京難民」福澤徹三 2011光文社
『小説宝石』2007年11月号~2011年01月号(隔月)
親が夜逃げ
大学除籍、学生証返還
保証無くまともな仕事見つからず(甘い考え)
ネカフェ難民、職務質問、拘留
治験バイト
ふらふら女について行って
ホスト
金を貸すために彼女から借りる→盗まれる
彼女にフラれ寝取られる
逃げて日雇い
捕まって中国へ売られる(逃げる)
ホームレス
オッサー(修)、覚悟のない最低男が、間違った選択肢ばかりを選んで落ちていく笑い話。
現状認識の欠如、分を弁えぬプライド過剰な馬鹿者が、最悪最低の状態でも危機感なしに、それでも生きていられたのは東京だから。
大学の同級生だってだけで「親友」とか、大して親しくもない同僚を「親友」とか気持ち悪いんだよ。
ってか、読者(私)がずっと主人公の不幸を願う作品って・・・
そのくせ不幸になっても気持ちよくない。自業自得なのに気持ち悪い。
何も知らない若いうちで、まだ何でもできる気になっている馬鹿なら、だれでもこうなってしまうかもしれない、私だってそうだったかもしれないと感じているから気持ち悪いのか。
それにしてもこの主人公が酷い。
中途半端な正義感は、優柔不断と自分で考える力がないだけ。
そしてババがいうように、「頭の中は空っぽ」本当に欲しいものもやりたいこともない。
やっと反省をするようになったかと思ったら、すぐにそんなことは忘れているし。
いつまで経っても、自分の現状を認めようとしないことが意識に現れる。どうにかなるとでも思っているのか。なんだその見栄やプライド、時間がまだ足りないのか?将来への展望とか、計画性とか、ないよね。まずは現状分析が甘い、無い。
それは現代の若者の多くがそうであるのかもしれない。
結局、ラストでまた選択を誤ってしまったかもしれないけれど、それでも安心できるのは住民票(父親)による社会とのつながり(信用)があることと、そこが何かありそうな東京であるからだろう。しかし、今のままの修が大成することは無いだろう。体験を踏まえて他人を踏み台にできる人間へ変わらなければそれはない。そうなっても、どこかで誰かの騙されてすべてを失うだろう。つまり、「東京難民」とは修のそれまでの体験ではなく、これからの生涯の生き方を表していると考えるべきだろう。東京に残る選択をした時点で、難民としての生き方を選択してしまった。