「四畳半神話大系」森見登美彦 2005太田出版
『文通は絶対に相手と会ってはならない』
その通りです。
ひとでなしな自分を見つけることになります。
『初手から何だかよくわからない汁がいっぱいしたたるような手紙を送っては、それこそ通報されても文句が言えない』
私にはそのような良識も無かった。
それさえも笑って済ませてくれた人物への非礼を詫びる事も無く。
読んでいて過去と現在の恥ずかしさが湧き上がってきた作品です。
学生時代の友人たちを思い出し、私の立場は小津に近いものもあっただろうと反省する。できれば友人たち一人ひとりに謝罪行脚をしたいくらいに思える。まさか、実際にはやりはしないが。
しかし、こういった作品は知識人(頭のいい人)たちが息抜きで読むべき本なのだろう。
バカである私がそれを読んでしまってはバカがバカに共感してバカを容認していくというばかばかしい不毛な行為になってしまうのだ。この作品は、それでも面白いからよしとしてしまう非常に罪深い存在に違いない。
アニメとの違いも大きな違和感はなく、アニメを先に見たがためにスムーズに読めたような気がする。
アニメを見ていなかったならば、第二話と第一話の間でなんども行ったり来たりした事だろう。その構造を理解するのに数週間悩んだかもしれない。それこそ四畳半無限地獄に落ち込んでいたかもしれないのだ。
アニメでは喫煙(主人公)と窃盗(小津)を自粛していた。喫煙の方は主人公のへたれ具合がアップして良かったのだが、窃盗の方は落ちまで違和感ぷんぷんになってしまった。あと、アニメでは四畳半ループ中にもう一人の自分を見かけてしまうが、原作にはない。なくて正解のはずだ。余計な事をしたものだ。
だが、それを除けば全体の構成が最終話に集約するアニメの形は成功しいているといえるだろう。
アニメという時間の中では流してしまうような意識下の想い出や連想、そういったものはやはり文章を読んでいる時の方が入り込みやすい。
だから、アニメ、そして原作と二度楽しめた。