「対談集 妖怪大談義」京極夏彦 2005角川書店
きょくたんの感想・メモなので、本の内容とは必ずしも一致しません。
ほぼ一致しません。
厨房(中二病)的な妄想です。あしからず。
「日本は妖怪大国を目指せ」
妖怪が人間の隠したい部分の責任を負わされる存在とするならば、互いに責任転嫁をする与党と野党という存在自体が、すでに妖怪になっているということもできるのではないだろうか。
政党政治家が国を治める時代が過ぎて逝ったならば、与党と野党は本当に妖怪になるのかもしれない。『妖怪与党』『妖怪野党』と、人々から笑われる存在として。概念ですからね。たぶん、醜く吼える姿が与えられるでしょう。水木さんのキャラクター(人間)が使われるかもしれない。
「闇のわからない社会・時代」、ゲームに歩き巫女は意図的に使っているのか。無知、無意識か。
「タブー破りは自己を変革するきっかけとなるイニシエーションたり得るんじゃないかという勘違い」
あ、以前読んだことがあるな。作品の中だったっけ。
怖い、怖い。
でも、私もそう思い込んでいた時期があったよ。
それで何も起きないから、ばか者は調子に乗って犯罪者になっていくんだね。
「神秘的な技術者は被差別階級であることと引き換えに特権階級たりえた」~いまじゃ自慢、特別な能力を持つという逆差別。
でも、権力を持つ者たちへの不信が高まる昨今、警察官であるだけで軽蔑される世の中になって、同じような差別意識が生まれ始めているのではないだろうか。安定した地位への嫉妬心も加わって、権力への怖れや嫌悪以上のものが生まれているような気がする。
そして、管理社会化が進んで(表面上)治安がよくなると、警察の特権性がさらに加速しながらその数は減らしていくだろう。それは検事・判事の数も減らすことになり、やがては彼らも妖怪として語り継がれるのかもしれない。
(ただし、組織の再編などで旧来の権力構造は残るだろう。人々の負の感情も権力には利用されるものなのだ)
日常と非日常の線引。その消失(撤廃)
女性専用車両はその線引の復活ですか。では、それ以外の車両では痴漢をしてもいいはずですよね。ちがいますか、すみません。あ、そうですよね、混浴の温泉で発情するのは犯罪ですね。
「闇に目をつぶることによって無理やり去勢してしまうようなやり方が、まったく違うところに闇が口をあけてしまう原因となっているんじゃないか」
「いい者は誉める。悪い者は救う。いい人怖がらせてどうすんだ」
スピリチュアルブーム・・・まあ、ほとんどの人は冗談だと分かって楽しんでいるんでしょうが、信じ込んでしまう人ほど救われるべき人なわけで罪深い気がしますね。
手塚治虫の「どろろ」の妖怪はオリジナル創作
そんなことは意識していないので、信じてますわな。それでいいんですね。それが妖怪という存在の正体の一つでもあるわけですね。
ヒーローものなんかも実は妖怪なんでしょうね。(本当に妖怪として描いているものもあったりして)何の妖怪かというと、たぶん戦争でしょうね。世界征服なんてのは、まさしく戦争(独裁嫌悪)を表しているのでしょう。そして、そこへの憧れを持つ自分をいさめるために良心であるヒーローを応援する。
南総里見八犬伝 wikipedia
進歩主義的歴史観
これは、つまり、「歴史なんて学んでも生きる上で役にはたたない」といって、歴史の勉強をしない言い訳に使われたりするんだな。そして、それをいう人間は本気でそう思っているから困ったものだ。本人(きょくたん)がそう言うんだから間違いない。もう、そのおかげでどれだけ人生の豊かさを失ったことだろう。などと後悔している。しかし、いまさら勉強し直したいとは思っていない。
『日本妖怪学大全』
『怪異・妖怪伝承データベース』『怪異・妖怪画像データベース』
慰霊は戦後~それ以前は招魂、弔魂だお
学問的論文は『妖怪殺し』
柳田國男を語る人々を見ていると、それは伝説となって記号化しているために、実在した人間ではなくすでに妖怪として認識されているような気がする。って言うか、わたしの目には妖怪だ。
権力の正当性を主張するために必要となる怪異(敵)
その構造を使って、天下りを拡大させてきたんだな。
下々も黙ってはいない。反乱は権力の使った物を利用する。
(権力はそれをまた使って・・・)
妖怪と差別問題
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