リッスン・トゥ・ハー

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なんのやり方も全部知っている

2007-11-17 | 東京半熟日記
(鯉に恋焦がれ倉敷編12)





おおなんか友達になれそう。
声はかけんけど、会釈で、あはは、と笑いかけて好印象。
笹の感じを近づいて撮りますその裏に美観地区ね、アングルを意識して。

なにごとにも真剣な女の子でした。





この階段は洗濯などをするための川へと続く階段なのかな。
ふいに下っていく波が起こり、おどけた水が足をつかみとり、引きずり込み、あたしは川へ、ずるずる滑る。ああ、と気付いたときにはもう、あたし川の中にいて、コケを掴み取って喰らう河童であった。
河童はくえくえと鳴き鯉と戯れすくすく育つ。

育ったあたしは河童であることにあき、上京する。
そして挫折し、川へ戻る。川はそんなあたしを何時でも受け入れてくれた。

流れが少し早くなり、あたし、ハッ、となってガソリンかぶって炎上。
燃えカスは鷺となる。


例えば呼吸をするように

2007-11-15 | 掌編~短編
A「大槻くん、世の中の人はすべてキリンと像に分けることが出来ると思うんですよ僕は」
B「すべては無理ですよ、南さん」
A「いやそれがね、可能なんですよ、僕はキリンでしょ、大槻くんもキリンかな」
B「いやちょっと待ってください、なにを根拠に?」
A「え、分かるでやろ、簡単なことやろ」
B「いや全く分からないんですけど」
A「長塚恭三は象、中西啓三も像、市川海老蔵も象」
B「ええと、百歩譲ってその人たちが象なら、僕がキリンである理由はますますわからなくなるのですが」
A「きききりんは、」
B「あ、もういいです分かりました」
A「象」
B「うーんやっぱり分かりません、理由教えてください」
A「いや、シンプルに、鼻が長い人は象、首が長い人はキリン、それだけ」
B「それだけですか、まったくピンときませんが、僕はキリン?」
A「いや、キリンでしょう、だって首長いよね?」
B「いたって普通だと思いますよ」
A「普通?それで?」(疑わしそうに首を見る)
B「普通でしょう、いままで首長いって言われたことないですよ」
A「えっ?でも(両手で50センチほど広げて首と見比べながら)だいたいこんだけあるよね?」
B「ありませんよ、そんなにこんなもんですよ(両手で実際ぐらいの長さを作って)」
A「ほな、ちょっとその僕と大槻くんのジェネレーションギャップを比べてみよか」
B「ジェネレーションではないですが、分かりました」
(近づくにつれてA手を縮めて、ピッタリ合う)
A「ぴったりやん!僕と大槻くんのジェネレーションギャップはない!」
B「南さん縮めましたよね?」
A「いやいや、一ミリたりとも縮めてないやん」(離す)
B「もう一回どんなぐらいの長さか教えてくれます」
A「もう一回か、まあ、これぐらいかな(実際ぐらいの長さ)」
B「軌道修正してる、ずるいですよ」
A「いや、はじめからこんなもんやったよ」
B「そんな短くないでしょう、こんなもんでしょう(50センチぐらいの長さ)」
A「大槻くん、それは見栄を張りすぎやろ」
B「見栄張るようなもんちゃいますよ、でもこんなもんですよ」
A「じゃあ、そのジェネレーションギャップを比べてみよか」
B「年一歳しか違いませんよね?まあいいですよ」
(互いに近づける、B近づくにつれて縮める)
B「ピッタリですよ!ジェネレーションなんて、キリンの壁の前ではちっぽけなものなんですね」
A「大槻くんあきらかに動かしてるよね?」
B「なに言ってるんですか、動かしてませんよ」
A「いや動いた確実に、あかんよずるしたら」
B「人のこと言えるんですか」
A「じゃあもう一回教えて首の長さ」
B「こんなもんですね(実際ぐらい)」
A「見事な軌道修正ぶりやね」
B「じゃあ南さんもう一度教えてくれますか」
A「ええと、こんなもんですかね(首周りの太さを表現して、探るように太くしていって両手いっぱいの円を作って)ここ、ここや!」
B「ベクトルを変えてきましたか、まあいいですよそんなに太くないですよ」
A「いやいや、あかんわ、まだ広がっていく!どんどん成長している!もう手では表現しきれない!大槻君!ちょっと助けて!(みるみるうちに広がっていく)」
B「大丈夫ですか、首周りはそう簡単に成長したりしませんよ南さん」
A「とりあえず大槻君の首まわりの右側担当して!頼んだ大槻君」
B「こうですか」(ふたりで大きな円を描く)
A「大槻君の首はふたりの両腕でも足りないほどの太さやね、お見事」
B「ありがとうございます(会釈する)」
A「うわ!動いた!(会釈に合わせて動く)」
B「いやどうなっとるんですかこれ?」
A「ほな、明日朝6時にサバンナに集合やから、おつかれっす」(ネクタイを緩めて乾杯するジェっシャー)
B「ええと、ちょっと待ってくださいまだ打上げ始めないで下さい。突然なんのことですか、サバンナって」
A「朝から首担当なんやから、大槻君が起きる前に集合してサバンナで待機しとかな」
B「ええと、よくわからないんですが、僕集合する時点でおきてますよね?」
A「仮にはね」
B「仮ですか」
A「仮に起きて集合するわけですよ」
B「首の右側を担当する為に?」
A「そう、そして、大槻くん起きる」
B「仮でなく?」
A「そう、仮ではなく起きる、そしてサバンナを全力で駆ける」
B「そんな習慣ありませんけど」
A「駆けて疲れたら、川で水浴びする」
B「え?キリン?」
A「キリン」
B「いやだから僕キリンちゃいますよ」
A「だって大槻君の首こんなもんやのに?」(50センチぐらいの長さ)

ペリー来航

2007-11-13 | 掌編~短編
「ペリー来航」

 南家の朝は戦争そのものである。
 それぞれが一斉に起きて同じような行動を取るものだから、洗面所もトイレも早い者が優位となる。家族が多いわけではない。人数から言えば4人だ。父と母に、姉そして私。
 一番早起きなのは、恐らくたいていの一般家庭がそうなのだと思うが、母である。そこに何の疑問も抱かずにいることに、男女共同参画社会を目指す日本、いや世界の視線を感じなくもないが、ここでは紙面の関係上無視することにする。
 母は起きて、4人分の朝ごはんを作る。手際のよさはなかなかのもので、それはそれは見事にせっせと作っている。ここで具体的になにをするかを描写できないのは、私がその現場に居合わせたことがないためで、見ていないものは描写できるわけがない、だからこれで納得してもらうしかない。しかし2番目に起きた私がぼんやりと食卓に行くと、待っていたというように湯気がふわりと立つ熱いコーヒーが置いてあるのだから、手際は良いと想像できよう。
 その頃になると母はすでに自らの仕事に行く準備をはじめており、歯磨きや、朝のお通じなどはすでに済んでいるからこの物語に大きくは関係がない。
 そして怪物である姉が起きてくる。姉は巨体である。近づくとまだ幼児であれば確実に泣き出すし、小学生の低学年でも大きなものの影に隠れる。高学年になるとさすがに逃出すことはないが、決して目を合わせようとせず、必死でその恐怖に耐えている風になる。 姉は人並みはずれて肥えている。それが、起きてくると家は活気付く。丸々太った黒マグロが甲板に打ち上げられたかのように活気付く。姉がたてる鼻をかむ音や歯を磨く音やお顔を洗う音はいちいち非常にやかましい。こんなことをはっきり本人に聞こえるように言ったら殺されかねないが、その様は気持ちが悪い。
 いつも機嫌の悪そうに起きてきた姉はやはりやかましい音をたて、排便に臨むのだが、問題はここである。
 姉がトイレに入ろうとした時すでに見事に禿げた父が起きている場合、父はトイレを最低15分占拠する。
 なぜ忙しない朝の15分もトイレを占拠するのか。父の弁解によるとこうだ。
「前座に電気を通し温めることで、じわじわと腹を温めること5分、貯まった便に昨日の嫌なことを注ぎ込んで排出する準備をすること5分、固めの便をゆっくり焦らずに放出すること5分、その行程すべてを経なければ便は降臨しない」
 降臨しないのなら仕方がない。私は父の腹の中が便だらけになるさまを想像して途中で止めて、それはすさまじいし、できればすっきりださせてあげたいから15分かかってもすればいいよ、と思いそれに関して何もいわないが、怪物は違った。 
 姉は父の腹の中が便だらけになろうが、カスタードだらけになろうが全くお構いなしで、自分さえよければそれでいいジャイアンだった。いや、ジャイアンは映画版では良い奴になる分姉の方が永遠に姉であるから性質が悪い。
 いつからだろう姉と父は朝、互いを憎しみあい、罵り合うようになった。
 そしてある日、「この剥げはよでてこい」という姉の言葉にキレた父は全く譲らず、30分を超えようかというのにもかかわらず、トイレに入ったままで、いや、トイレと言う名の意地に入ったまま出てこない。明らかに会社は遅刻であろう、意地の為に会社を遅刻する、社会人らしからぬ行動である。姉が意地の扉の前で悲痛な叫び声をあげる。しかし、言ってることは「くそじじいでてこねえと毛抜き倒すぞボケ」だから、父がでてくるわけがない。
 やがて怪物は、あひー、とひとつ鳴いた。そして大変哀しげにへなへなと座り込んだ。「お父さん、ダメ、お姉ちゃんが・・・・」と私は意地の向こう側でおそらく聞き耳を立てている父に言ったが、時はすでに遅しであった、そのあたり一面を異様な匂いが立ち込めた。
 意地の扉は開かれた。涙と便を垂れ流す姉を呆然と見る家族はしばらくの間何もできずに立ち尽くしていた。やがて母がほら、シャワー浴びなさいと促し、それに大変素直に従って姉は風呂場に向かった。
 その日、姉は学校を休み、父も会社を休み、私もちゃっかり学校を休み、母は通常通り会社にいったけれど、3人で少しはなれた場所にあるファミリーレストランで、長い話し合いの末、7時15分までは父のもの、それ以降は姉のものという協定をむすんだ。他の家族は全く蚊帳の外である、そこに私と母が踏み込む余地は残されていやしない。とにかく父と姉は協定を結んだ。
 我が家の夜明けであった。

スプレー

2007-11-11 | 若者的詩作
スプレー際限なく出っぱなしの真昼間
ヘリウムガスは小さな町に充満する
オウムが1匹
それは自分の声の変化に戸惑いながら
「日光猿軍団」と繰り返す
聞いていた腕利き刑事は襟を立てて西へ向かう
襟を立てて西に向かう

ジェットコースターから降りようロマンス

2007-11-10 | リッスン・トゥ・ハー
最近、私は何をするにしても、ずっと胸がすぅーとしていて、それは、誰かを思ってしまうからで、どうしようもないのだ。とても気になる。ジェットコースターのあの胸がすぅっと涼しくなる様な感じで、好きな人はすきなんだろうけど、私は昔からどうも苦手で、ああ、どうしたことでしょうか、と神様に嘆いてみても、やはり何も変わりなく、やっぱりすうぅと胸が痛いのだ。

GO BACK TO CHINA/THE WORLD IS MINE

2007-11-09 | 若者的図鑑
飛んだ人気曲。

後のくるりドラマーとなるクリストファーが30回連続してこの曲を聞いたという話は有名です。
くるりの持つ様々な要素を混ぜ込んで吐き出したミクスチャー。
詩の置き方が変わりましたね、完全に。ワールドエンド、以降の曲でしょうが、だから詩がよりメロディと混ざり合って深くに届きます。

ライブでの盛り上がりはトップクラス、これは歌いあげてもいいから岸田さん、乗せてってちょっとそこまでといわずに上海あたりまで。

しかしここで、くるり文芸ロックとの決別を感じます。
それがいいとか悪いとかそういうことではなくて、バンドとしての方向が明らかに変わりはじめていた。
日本語で歌う意味というのをくるりは重く置かなかった。それがベストの判断だと思います。
だから進化止まらず現在も突っ走っている。先を読む力があったというわけでしょう。

ふたつにひとつ。

誰が為に亀は降る

2007-11-08 | 掌編~短編
 降ってきたのは午前二時、無数の亀がぼとぼとと。
 腐った水の匂い。亀が吐き出す泥の匂いで町は埋もれる。後頭部に直撃すれば、即死も避けられぬ程の重さ、大きさ。
 亀は降ってきて、くるりと回転してうまく着地し、衝突する際の衝撃もなんのその、すぐに歩きはじめる。どの亀も一様に同じ方向に歩いていく。その先にあるのは高い高い塔だった。著名な芸術家が造ったてっぺんが見えぬほど高い高い塔を目指して、亀は本気になって歩んだ。
 ここまで読んであなたは亀の群れが同じ方向に歩く、のどかな光景を思い浮かべるかもしれない。しかし、あなたは亀の本気の速度を知っているだろうか。普段は手を抜いているから遅いようなイメージがついてしまったが、本気の亀はチーターぐらい早い。本気を出した亀は、一般の成人男性の動体視力では捉えることができない。イチローであれば、シアトルマリナーズのイチローであればかろうじて、バットに当てることはできる。しかし、当ててファールにし、せいぜい時間を稼ぐことしかできない。ファールラインより内側に打ち返すことはできない、それほどの速さなのだ。
 したがって、のどかとはかけ離れていると分かっていただけたであろうか。
 チーターの速さで、硬い甲羅を持った生き物が這っている。その軌道上に足でも出していようものなら、風のようなものが通り過ぎたと思ったらすでにもぎとられているにちがいない。
 塔にたどり着いた亀はなんのためらいもなくその直角にある壁を登りはじめた。亀の手足の爪を器用に使い、ひっかけて、直角の塔を登り始めた。ロッククライマーのように登る亀は、力強く、美しくさえあった。登る亀にうっすらと伝説のクライマーの姿が見えた。どの亀にも同じ伝説のクライマーがいた。クライマーの名を、竹内・ジョン・カビラという。知る人ぞ知る伝説のクライマーだった。クライマーの神様といわれるクライマーだった。そのクライマーが透けて見えたのだから亀のクライムは堂に入ったものだった。亀は次から次へとクライムした。先頭の亀は疲れる様子など全く見せずにぐんぐんとクライムし続けた。ファンタスティック・クライシスだった。それでもてっぺんにたどり着きそうになかった。それほど高い塔だった。亀は途切れることなく塔をクライムし、やがて、その数5億匹ほどの群れはすべてクライム状態に入った。5億匹を受け入れるだけの広い領域を塔はもっていた。
 「で、クライム状態って何?」
 「わかりませんわ」
 クライム状態の亀はそのような会話をしている。けっこう余裕があるのだ。
 人間とは違うからだの構造、不器用とも思えるその体は、実は器用さの塊で、垂直の塔をのぼることぐらい造作ないことであった。
 亀はのぼってのぼって、やがて頂上にたどり着く。
 5億匹の亀がすべてのぼりきった頂上は狭く、坪数で言うならば6坪であったから、たまらない。当然すべての亀がやれやれと休んでいるわけではない。休むスペースなどないのだから、上ってきた亀は次から次へと休んでいる亀の上に上って休む。その繰り返しで、塔は遠くから見ればずんずんと伸びているように見えた。たけのこのようだ、と窓際のよし子は思った。

深緑/AJICO

2007-11-05 | 若者的図鑑
ブランキージェットシティの浅井さんとかUAさんとかRIZEの人とか(あんまり知らん)ファンはよだれたらってなってぬらぬらの地面で滑りそう。

とっても可愛らしいジャケットデザイン、其の他歌詞カードなどトータルでセンス抜群であります。音楽は、浅井さんはもっと文学的なものがやりたいんだ、といってブランキー解散したような気がしましたが、その部分がちょっと見える。
シャーベッツ、ではもっと濃いのかな。

UAさんとのツインボーカルが強いなあ。
打ち消しあってしまわずに倍々となる。

トータルでアーチスト全開な一枚であります。

細かいところですが、AJIKOでなくてAJICOとしたところが憎い。
ここは絶対的な差がありそうです。

誰だって覚えていない記憶があるのだ!

2007-11-04 | リッスン・トゥ・ハー
 おしゃべりが好きなおばさんで、私は彼女をほんの少し苦手としていて、いや、とてもいい人なのだけれど、いい人すぎて、おせっかいで、私を見ると色々世話を焼いてくれるもので、余計な、とはあえて言わないけれど。
 寝てたら、外が賑やかになって、聞き覚えのある俊の割に甲高い声がガラス戸を簡単に跳び越えてくるので、眠れなくなって、どうせ中に入ってくるに違いないと、それならいっそこちらから出て行ったほうが潔いと思い健康サンダル履いて、どうもーこんちわー、と外へ出た。手を叩いてベテラン漫才師なみのノリで。おばさんは、孫娘を連れてきていて、孫娘はてくてくとおぼつかない足取りで狭いわが庭を歩いていた。犬がつながれている小屋に近づいて手を出す。犬が吠える。噛まれるからあや!とおばさんは叫ぶ。孫娘あやはその声を無視して手を出し続ける。犬は吠えるのをやめた。あやがうふふと笑う。犬もうふふと笑った。ふたりは長年連れ添った夫婦のようであった。おばさんはそれを見てほんの少し嫉妬していた。かわいい孫娘を略奪されたような気になったのかもしれない。将来、大いにもめそうだと私はほくそ笑んだそっと。

アイヴィー/徳永憲

2007-11-03 | 若者的図鑑
徳永憲さんは、音楽シーンの隅っこの方でちょこんと座ってタンポポの綿毛なんかを風と吹き飛ばしているような、独特の脱力世界を持っていて、現在も活動を続けておられます。

「魂を救うだろう」のエキゾチックというか意表をつくメロディに乗せた強い癖を持った、詩のわけの分からなさは貴重ですからぜひ、生き残り続けて欲しいですね。

「怒らせた牛を血塗れにしてスターに鳴る人もいりゃ/牛糞を固めて家を建てそこで暮らしてく人もいる/祈りを捧げりゃ自分のために神は何かをするだろう」

好きですね。この世界。

次のフルアルバムのタイトル「眠りすぎた冬」も好きですね。
結局買わなかったけどね。

GUILTY/THE WORLD IS MINE

2007-11-01 | 若者的図鑑
方便でゆらりとはじまって激情、津波のイメージと誰かは言います。
盆地に突如としてやってきた津波が街を飲み込んで、手を差しのべるのは、コーラスの声らーらららららららーらら。すべての人を救ってあげる。
このアルバムを象徴している一曲目としてピッタリ過ぎる一曲。

それらは全部仕組んでおいたことだけどねふふ。

「どうにかなるかな金持ったらかわるんかな/誰かを守るために変われるかな/すぐに忘れるわこんなこと」

このような構成に弱いのですよねわたし。突然テンポ、音量、上げて上げて、一気に突き放されていく感じが。Mですから。残されたあたしたちはどうなるのですかって。不安と興奮とがいりまじって心地よい。

ザワールドイズマインはわたしが一番好きなくるりのアルバムですね。
いまだその座は変わらず。
曲選と、曲順、構成、ジャケットデザインから、先行シングルから、ここまで完璧なアルバムは他にない。くるりを含めてどんなバンドであろうとこれから先ももうでない、とさえふと思う。そして、いいや、と首を振る。