現在充電中である。それにつき、頭に浮かんだ名言のなどを静かに紹介して、つれづれの妄念を記してみたい。
「沈黙は金」
たしかにそのとおり。大切なのは、言いたいことを言わないのではなく、つい言いそうなことを、一拍置いて、言うか言わないか考えるのがいいようである。どちらかというと、言わなくてもいいことのほうが、多いような気もする。
それと黙して考えたり、状況を受け止めたりしていると、ある時点で突 . . . 本文を読む
南日本海人、超初心者のバードウォッチャーである。知っている鳥、見分けがつく鳥は、スズメ、ツバメ、カラス、ハト以外では、メジロとヒヨドリとセキレイとサギとゴイサギぐらいである。あ、あとモズのハヤニエというのも知っている。モズが、捕まえた虫や小動物を木の枝に刺して置くあれである。だが、モズ自体の見分けがつくかどうかは定かではない。
そういうわけなので、バードウォッチの本などを寝る前に読んで勉強中で . . . 本文を読む
ついにカラータイマーが点滅をはじめたようである。電池が切れて、止まる寸前である。心身ともに充電を必要としているようだ。このままでは、郷秀樹に戻ってしまう。確か郷秀樹だったよな。
こういうとき、ウルトラマンは、太陽エネルギーを体に満たすために宇宙空間へ飛んでいくのであっただろうか。
私の場合は単に、家で一日(欲を言えば二日ぐらい)ぼーっとして、家族と過ごしたり、庭木などをいじったり、夕方に近く . . . 本文を読む
昔、暇だった頃、よく脳内映像の旅というのをやった。それは何かと言うと、頭の中で映像を思い浮かべる単純な遊びである。これだけでは何のことかわからないと思うので説明する。
私の場合、よくやったのは脳内カー(自転車のこともある)ナビとでも言おうか、道路の映像を思い浮かべるのである。自分がよく通って覚えているルートの道路の状態や風景を頭の中でグーグルアースのように思い描くのである。
中学校の頃、夏休 . . . 本文を読む
といっても野村マサキが好きなわけではない。(このパターンの書き出し、前に二回使ったな。もう一回ぐらいいけるか…。…。しかし、この書き出しを理解できるのは、私の世代以前に限るなあ。この書き出しをみても何の反応も示されない方は、私より年下であるということかもしれない。)
それはともかく、南日本海人、植木や庭をいじるのが好きなのはご存知のとおりであるが、一番よく触るのはマサキの生垣なのである。家の二 . . . 本文を読む
毎日雑事に追われている。ふと気づいたら九〇歳ぐらいになっているかもしれない。人生は雑事の積み重ねではあるかもしれないが、たまにはほっと一息つきたいものである。自分の時間が持てるときは、植木や庭などをいじって過ごすのが好きであるが、昔一頃、海岸によくいっていたこともある。
少し前に記事に書いた、サミュエル・R・ディレーニーというSF作家の作品の中に、「流れガラス」というものが出てくる。英語でいう . . . 本文を読む
今日は朝から雨である。冷たい雨でもなく、暖かい雨でもない、中程度の温度の雨。激しくてたまらないというほどではなく、降ったか降らないかわからないということもない、普通の雨だ。ただ、一定の量で安定して降り続けている。たまにはこういう雨もいい。
雨を見ながら漠然と、思いをめぐらせて見たい。あまり遠い昔ではないが、知り合いの人でこうして、雨が降るのを窓から眺めているのが好きだという方がいた。そのときは . . . 本文を読む
と言っても、人に「やあ」とか、「最近どお?」とかの掛け声ではない。椅子に座るときの「どっこらしょ」、立ち上がるときの「よいしょっと」等である。
いつの頃から一つ一つの動作に掛け声をかけるようになったのだろう、私は。うん、あれだ。腰を悪くしてからだ。ぎっくり腰と、椎間板ヘルニアを同時に患って以来、自分の体が思うようには動かないことがわかってからだ。スポーツはもちろん、日常の動作でも、油断をすると . . . 本文を読む
久しぶりにフリー休がであったので、生垣のマサキを見て回ったり、他の植木の様子も見て回ったりしていて気づいた。カイズカイブキの生垣の部分があり、去年それを低く強めに剪定した。
今年になってずいぶん伸びてきたな、と思いながら見ていると、スギ葉を発見した。スギ葉というのは文字通り、スギの葉状の針のように尖った葉である。
カイズカイブキというのはふだんは、シダ状というか、先が丸い葉なのだが、時々変異 . . . 本文を読む
南日本海人、もとより詩人ではあるが、最近どうも俳句にはまりそうな予感がある。お正月の歌会始の記事で短歌に興味を持ったことを書いたが、短歌も俳句もいずれ劣らぬぐらい難しい。ただ、短歌は気持ちを詠まなければいけないのに対し、俳句は一瞬のシャッターチャンスを捉えて、風景とともに心情を詠み込むということで、なんとなく、チャレンジしやすい気がする。
思うに、写真を撮るように言葉で風景を切り取ればいいので . . . 本文を読む
先日、あるところで、ドラム缶の薪ストーブにあたって、暖を取っているときにふと思ったことがある。その時は、そのドラム缶ストーブがあまりに熱いので新聞紙を体の前で立ててもち、熱を遮蔽していたのだが、その格好がふとあれに似ているなと感じたのだ。
平安貴族が持っている、「しゃく」である。おじゃるまるが持っているあれといった方が分かりいいかもしれない。そのことからまた妄想が始まった。
あの「しゃく」と . . . 本文を読む
私が住んでいる南日本海地方、それはもう日本の『地方』というものを代表するような田舎である。故に、老齢化もとてもすすんでいる。
この前車を運転していると、たまたま前の車にもみじマークが貼ってあるのに気づいた。高齢者が運転していますよということである。高齢者の人の運転は一般に運行速度が遅いので、内心あまり歓迎ではない。予想外の運転をすることもあるし、少し気を使わなければならないこともある。まあ、お . . . 本文を読む
作家のサミュエル・R・ディレーニイが好きである。『ワセダ三畳青春記』の記事でも少し触れたが、ディレーニイは私の青春である。
非常に才能にあふれた人で、作家としての一面のほかに、ミュージシャンと、数学者という道のどれを選ぶか、若い頃迷ったそうである。思えばうらやましいような話である。
彼の作品の中で『スターピット』というのがある。その中で、主人公に向けられた脇役の言葉、「自分の行ける方向一つを . . . 本文を読む
不惑も過ぎてずいぶんたつが、この歳になってみると自分で決断を下すということが非常に多くなってくる。いや、大したことの決断ではないのだが、こまごまといろんな決断を自分でしなくてはならない立場になるということがわかった。
能力がないので、その決断を下すときにはいろいろなアドバイスというか、自らを勇気付けるための言葉を探して集めて、座右に置いている。今日はその言葉の紹介をしてみたいと思う。
現在の . . . 本文を読む
今日も(?)真面目である。ついこの間の、輸入冷凍食品の事件で世間はずいぶんと騒いだが、あの事件の影響でよいことが一つあった。
我が家の食卓に乗る、ギョーザとハンバーグが冷凍食品でなくなったのである。ギョーザもハンバーグも手作りとなり、手前味噌で申し訳ないが、美味しくなった。やはり手作りの方がうまいのである。家人たちは手間であろうが、食べる私たちはありがたい。
料理は手作りに限る、以上。と、終 . . . 本文を読む