南日本海人、よい願掛けはないか、考える 2008年03月05日 | 日々(ふつうに) 苦しいときの神頼みではないが、人間の努力を超えたところにあるなにかの力を味方にしたいために、願掛けというのをすることがある。 お守りとか、ミサンガとか、茶断ちとか、お百度参りとかいったことである。何かを願ってするわけであるから、何らかの対価を伴う。つまりお金を払ってお守りを買うとか、コーヒー等を飲む快楽を断つとか、そういうことである。 また、何かを必死になって願っているとき、時として人は思い . . . 本文を読む