ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、掛け声をかける

2008年03月24日 | 日々(ふつうに)
 と言っても、人に「やあ」とか、「最近どお?」とかの掛け声ではない。椅子に座るときの「どっこらしょ」、立ち上がるときの「よいしょっと」等である。
 いつの頃から一つ一つの動作に掛け声をかけるようになったのだろう、私は。うん、あれだ。腰を悪くしてからだ。ぎっくり腰と、椎間板ヘルニアを同時に患って以来、自分の体が思うようには動かないことがわかってからだ。スポーツはもちろん、日常の動作でも、油断をすると、ぎっくり腰を招く。
 思い出したが、昔知り合いの人で、ものを持ち上げるときに(そんなに重いものでもないのだが)、大きな声で「いよっ」と掛け声をかけている人がいた。そのひとも少し前までは、そんな掛け声をかけてはいなかったが、ある頃からそうやって掛け声をかけるようになったのだ。この掛け声というのは、自分の体の反応への不信感から必要だと思われる自分の体への事前伝達情報なのであると最近思う。
 歳をとると、急に動くと故障する。またはその恐れがある。動く前に、音声を発して外側から(耳を通じて)も体に事前に命令を発するというような感覚である。気合を入れるというのだろうか。実際、声を出すか出さないかで、力の入り具合も違うし、体の緊張感も変わってくる。それもこれも、自分の体を守るためのことである。
 若い頃はどうして、あのおじさんはものを持ち上げたりするときにあんなに声を出すのだろうと感じていたが、今ではよくわかる。転ばぬ先の杖? 安全第一? 備えあれば憂いなし? である。
 掛け声で、ぎっくり腰や故障が避けられるものなら、(実際そう考えているので)いくらでも声を出そうと思う。しかし、そうやって出来るだけ声を出そうとやっていると、朝から晩まで、「よっこらしょ」とか、「よいしょ」とか、ちょっと変わったところでは「やれやれ」とか、「さてっ」とか、「よし」とか、「ほっ」とか、様々な無意味な発声をしていることになる。
 そういえば、わざと気配を示すために発声するということもあるなあ。誰かいるかどうかわからないが、お互いに突然顔を合わせたりしたくないときなどである。わざと咳払いをしたり、足音を高めに立てたり(これは発声ではないが)、歌いたくない鼻歌を少し歌ってみたり。
 案外、歳をとると、意味を持った言葉よりこうした、一見無意味な発声のほうが多くなるのではないだろうか。
 熱いお茶を入れてもらって、飲んだ後、「うあー」とか。ビールをグラスで半分ほど飲んだあと「ふぉー」とか。
 でもこれはこれで必要なコミュニケーションだなあ。そう考えると、ひとり掛け声も、自分の体とコミュニケーションをとっていると言えるのかもしれない。年齢を重ねると頭と体の両方をコントロールしていかないといけないのだなあ。

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