ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、手持ち無沙汰の研究

2008年03月21日 | 日々(ふつうに)
 先日、あるところで、ドラム缶の薪ストーブにあたって、暖を取っているときにふと思ったことがある。その時は、そのドラム缶ストーブがあまりに熱いので新聞紙を体の前で立ててもち、熱を遮蔽していたのだが、その格好がふとあれに似ているなと感じたのだ。
 平安貴族が持っている、「しゃく」である。おじゃるまるが持っているあれといった方が分かりいいかもしれない。そのことからまた妄想が始まった。
 あの「しゃく」というものそもそも何なのだろう? 考えてみると、あれはきっと手持ち無沙汰を解消するものに違いない。言い換えれば、他人とコミュニケーションするときの、ひとつのバリヤーである。注意を自分以外のものに引きつけさせるための小道具である。直接他人の目や気持ちを受け止めると言うことに対するストレスを、ワンクッション置いて和らげるためのアイテムと言えると思う。
 同じような用途のものはたくさんある。まず、「扇子」だ。落語家や、時にはなんでもないサラリーマンも持っていたりする、うちわを折りたたみ式にした道具である。本来の用途は涼をとるということであろうが、扇子の場合は、その本来の用途以外にこの手持ち無沙汰の解消とバリヤーの役目を負うところが大きい。
 他には、タバコ、腕組み、ボールペンなどがある。タバコ、腕組み、は分かるが、ボールペンとは何だと言われるかたもおられるかもしれないが、あのプッシュ式の上部をカチカチ押して芯を出し入れするやつがそうである。会話の間中あれをカチカチやっているひともいる。また、押しボタンがなければ親指の付け根の甲でぐるりと回したり。(これは私も練習してみたが、鍛錬が必要である。簡単には回らない。自転車乗りと同じで、何度も失敗しているうちに、ある日突然回りだすというようなものであるようだ。)
 タバコと腕組みについては、みなさんなんとなくわかるとう思う。あれらは、手持ち無沙汰の解消と、コミュニケーションのバリヤー、ポーズであることははっきりしている。
 ここで思い出したのは、私の知っている人のことである。その人はタバコを長い間すっていたが、ある日やめたのである。普通のひとなら、手持ち無沙汰の解消というか、口寂しさの解消にガムをかんだり、パイポをくわえたりするのであろうが、その人は違った。
 「くるみ」である! 胡桃の実をふたつ手に持って、手持ち無沙汰なときにふたつをこすり合わせてガリゴリ音を出すのである。早い話が、昔の『必殺仕置き人』である。ご存知でない方もおられるかもしれないが、按摩師の仕置き人が指力で仕置きを完遂するのだが、普段から指力を鍛えるためか、この胡桃を二つ持って、同じようにこすり合わせているのである。そしていざ仕置きを決行というときには、この胡桃を握りつぶすのである。それはとても迫力があった。
 その私の知っている人も、風貌はあの必殺仕置き人の指力の人に相通ずるものがあり、少し不気味である。話をしていて、いつ何時、胡桃をガリリッと握りつぶすのではないかと不安である。そこまでの効果を狙っているわけではないと思うのだが、そういう感じである。
 こうなったら、こちらも対抗するために、「しゃく」かなんかを持って障壁としなければならないかもしれない。でも「しゃく」持って歩いているやつはさすがにいないなあ。逆に流行らすかな。

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