ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、俳句にはまりそう

2008年03月22日 | 日々(ふつうに)
 南日本海人、もとより詩人ではあるが、最近どうも俳句にはまりそうな予感がある。お正月の歌会始の記事で短歌に興味を持ったことを書いたが、短歌も俳句もいずれ劣らぬぐらい難しい。ただ、短歌は気持ちを詠まなければいけないのに対し、俳句は一瞬のシャッターチャンスを捉えて、風景とともに心情を詠み込むということで、なんとなく、チャレンジしやすい気がする。
 思うに、写真を撮るように言葉で風景を切り取ればいいのである。まあ、それが難しいと言えば難しいとも言えるが。良いのは、季語という制約だ。この短さで文章を作るには、かえって制約があったほうがやりやすい。五・七・五の字数の制約もいい。
 表現したいことを、季語と字数に沿って、パズルのように組み立てていくような感覚である。もっとも、写真と同じで、ただ風景を撮ればよいというのでもなく、ちゃんと形が撮れているうえに、それにかかわる創作家の視点や気持ちがあらわれてこそ、完成品であろうと思っている。
 言葉をひねくり回すのは得意というか、性格上好むところなので、苦にはならない。あとはシャッターチャンスを見つける『目』の問題である。これこそが、写真家や芸術家の神髄なのであるが、そこのところだけは自分でなんとかしなくてはならない。人に教えられたものはその人の“目”ではないからである。
 まとまりのない話でいつも申し訳ないが、最近の心境である。
 ネタを見つけるためには、いつも(寝ているときも)注意して物事を見ていなければならない。そして、これはイケルと思ったものは、ブログやエッセイに、もっと単純にポイント的に表現したいときには、俳句に、または写真に、という感じであろうか。
 ずーっと続けていると、面白いことにだんだん勘が働きだす。「あ、これ」と言う感じで一瞬にしてネタがインプットされるようになってくる。夢などでもそうだ。ネタになりそうな夢は、見て起きた瞬間にそれがわかる。(くだらないが。くだらないのが、身上であるのでいいのである。)
 この前ネットの名言をみていてこういうのがあった。
「プロの作家とは、書くのをやめなかったアマチュアのことである。」―リチャード・バック。
 非常に勇気づけられることばである。有難い。

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