今日は朝から雨である。冷たい雨でもなく、暖かい雨でもない、中程度の温度の雨。激しくてたまらないというほどではなく、降ったか降らないかわからないということもない、普通の雨だ。ただ、一定の量で安定して降り続けている。たまにはこういう雨もいい。
雨を見ながら漠然と、思いをめぐらせて見たい。あまり遠い昔ではないが、知り合いの人でこうして、雨が降るのを窓から眺めているのが好きだという方がいた。そのときはちょっとその感覚から遠いところにいたので、びっくりして、面白い感覚だなあと思ったことを覚えている。
でも、今はその人の感覚がよくわかる。雨を楽しむ感覚。眺める楽しみ。
そういえば、小学生の頃、文集で詩を書いた。「はげ山」という題名だったと記憶する。タイトルは山だが、主題は雨であった。「雨が降ってはげ山がかわいそうだ、はげ山にもかさがあればいいのになあ」、と結ぶ、やさしい内容の詩であった。ところが、出来た文集を見ると、「かさがあればいいのに」とのところが、活字の拾い間違いか、公正ミスかで、「かあさんがあればいいのになあ」になっていた。かさとかあさん、気持ちとしてはおかあさんもわからないでもないが、その当時の私の趣旨はあくまで「かさ」であったので、おさな心にすこし不満であったものである。
はげ山に傘をさしかけてやりたいという、優しい子供の気持ちであったのである。おかあさんでは、主題の雨と山から遠くなりすぎるだろう。今頃改めて、すこし不服に思う。ははは、そんな何十年も前の小さなこと、考えても今更どうしようもない。第一そんな文集などもう残っていないであろう。ただ、その時点での心残りである。まさに人生はそういうことかもしれない。
話は全く飛ぶが、花札のカードの「霧」と「雨」あの二枚のカードには風情がある。特に雨。平安貴族の登場するほうでなく、あの土蔵の中で雷が光っているような(?)ほうのカードである。ものすごく想像力をかきたてるような図柄ではないか。なんだろう、あの図柄は。誰のデザインでああなったのだろう。今度調べてみよう。
「霧」の方も落ち着きがあってよい。山の木陰で静かにうずくまっているようなイメージだ。なかなかよい。いとをかし、である。
やまない雨はない、か。
しかし、いつか、確かSFでずーっと雨が降っている世界が舞台のストーリーを読んだような気がする。記憶間違いかもしれないが。
やまない雨もあるかもしれない。
いや、いつかやむのだろう。
雨を見ながら漠然と、思いをめぐらせて見たい。あまり遠い昔ではないが、知り合いの人でこうして、雨が降るのを窓から眺めているのが好きだという方がいた。そのときはちょっとその感覚から遠いところにいたので、びっくりして、面白い感覚だなあと思ったことを覚えている。
でも、今はその人の感覚がよくわかる。雨を楽しむ感覚。眺める楽しみ。
そういえば、小学生の頃、文集で詩を書いた。「はげ山」という題名だったと記憶する。タイトルは山だが、主題は雨であった。「雨が降ってはげ山がかわいそうだ、はげ山にもかさがあればいいのになあ」、と結ぶ、やさしい内容の詩であった。ところが、出来た文集を見ると、「かさがあればいいのに」とのところが、活字の拾い間違いか、公正ミスかで、「かあさんがあればいいのになあ」になっていた。かさとかあさん、気持ちとしてはおかあさんもわからないでもないが、その当時の私の趣旨はあくまで「かさ」であったので、おさな心にすこし不満であったものである。
はげ山に傘をさしかけてやりたいという、優しい子供の気持ちであったのである。おかあさんでは、主題の雨と山から遠くなりすぎるだろう。今頃改めて、すこし不服に思う。ははは、そんな何十年も前の小さなこと、考えても今更どうしようもない。第一そんな文集などもう残っていないであろう。ただ、その時点での心残りである。まさに人生はそういうことかもしれない。
話は全く飛ぶが、花札のカードの「霧」と「雨」あの二枚のカードには風情がある。特に雨。平安貴族の登場するほうでなく、あの土蔵の中で雷が光っているような(?)ほうのカードである。ものすごく想像力をかきたてるような図柄ではないか。なんだろう、あの図柄は。誰のデザインでああなったのだろう。今度調べてみよう。
「霧」の方も落ち着きがあってよい。山の木陰で静かにうずくまっているようなイメージだ。なかなかよい。いとをかし、である。
やまない雨はない、か。
しかし、いつか、確かSFでずーっと雨が降っている世界が舞台のストーリーを読んだような気がする。記憶間違いかもしれないが。
やまない雨もあるかもしれない。
いや、いつかやむのだろう。