コロナ禍のさなかではあるが、世の中は(もしくは私個人的には)、無観客のオリンピックで(ある程度)盛り上がっている今日このごろである。よし、今日はこれ(カッコ())で行こう(笑)。
さて、あいかわらず、今日もこのブログはあっちこっち飛ぶよ! 飛びます飛びます!(ジローさーん♡)
◇ ◇
4,5日前のことである。仕事で、ちょっと自分ながら、失敗したかなということがあり、モヤモヤした気分で帰宅した。
こういうときはビールでも飲もうということで、飲みながらパソコンでチューブなどを見ていたら、芦田愛菜の動画に行き当たった。
そしてまさにそのときの自分に必要な言葉が、愛菜ちゃんから聞くことができて驚いた。
「人生はの結果はすべて決まっていて、自分が選択できるのは、結果ではなく、そこに行く行き方だ。」ということである。
どこかでこれは読んだことがあることだったが、まさに今このときに偶然開いたチューブの動画の愛菜ちゃんからそれを聞いてはっとした。
それが今の自分にぴったりだということも実感して、本当にびっくりした。
結果は決まっているのである。
運命に選択などはないのだ。
人間が選択できると思うのは幻想に過ぎない。(茂木さんも言っていたかな、ほかの人だったかな。)
本当かどうかはわからないが。(こういうときはユーチューブの某バイクブログではこういう「知らんけど!」笑。)
それはさておき、一面これは悲観論で、寂しいようではあるが、考えるとそうでもない。失敗したときや、がんばっても思い通りにならないときは、この言葉ほど元気づけられるものはないからだ。
今回のことも、昼から少しイライラしていて、夕方起きたことに対して微妙な自分の感情の調整ができず、最適だと思える良い反応ができなかった、ということだ。
その昼から(厳密にはだいぶ前にも原因がある)イライラしていたことの原因というのも、結果として(起きると)決まっていたのだから、私に選択肢はなかったのである。
私という人間にそういう経験と刺激を与えると、そうなるということだったのだ。(笑)
どうにもならないものはどうにもならない。(笑)
そうそう、どうにもならないものはどうにもならない。(気に入ったので繰り返す(笑))
そしてなるようになる。(笑)
うん、なるようになる。(繰り返すんかーい)
要は、がんばるだけがんばりゃあいいんじゃ、ということだ。簡単に言うと。
しかし、あまりにタイミングがぴったりだったので、うおっと思った。
たまに本屋で良い本と出会うときのタイミングによく似ている。
◇ ◇
芦田愛菜先生にあまりに感心したので、彼女の著書、「まなの本棚」を取り出して、読み返した。
それでもって、紹介されていた辻村深月という女性作家に興味を覚えた。
翌日の土曜日に図書館に行って、彼女の本を探した。「ツナグ」しかなかったのでそれを借り、あと、ネットで2冊ほど注文した。
その翌日の日曜日に届いたので(アマゾンすごい!)さっそく「凍りのくじら」を読み始めた。
面白い。やはり読書はいいなあ。これだから本は時々読まないといけないんだ。
しかし最近の作家の文章力にはとても感心させられる。言葉遣いというより、その内容だ。思考が深いというか、そこまで言葉になるか、ということ。
ストーリーは(男子としては)まどるっこしい(笑)がこんなものだろう。
◇ ◇
そうそう、話は全然飛ぶが、最近、養老孟司さんの本が面白かった。
死というものに関する考察の本だ。解剖学者の養老さんは、死について一つの見方を持っている。
「自分の死」というものはないということだ。これを考えているのはもちろん当事者の自分であるから、「自分の死」、一人称の死というのは感じることができないから、ない、のだという結論である。
また三人称(赤の他人)の死というものも、自分との関係性が薄く実感がないので、ないといってもいい。
あるのは二人称の死、―大切な人の死ということだけだというのである。
これには、まさに目を見開かされたような気がした。
死なんけど! (またパクリ 笑)
二回も飛んだぞ! 飛びます飛びます! (ジローさーん! 知らんやつのために言っておくけど、これはコント55号の坂上二郎さんのことだけんねー!)
しかし、読書というものは本当にためになるなあ。
今日のま・な・び(笑)!
(そういう結論)。
さて、あいかわらず、今日もこのブログはあっちこっち飛ぶよ! 飛びます飛びます!(ジローさーん♡)
◇ ◇
4,5日前のことである。仕事で、ちょっと自分ながら、失敗したかなということがあり、モヤモヤした気分で帰宅した。
こういうときはビールでも飲もうということで、飲みながらパソコンでチューブなどを見ていたら、芦田愛菜の動画に行き当たった。
そしてまさにそのときの自分に必要な言葉が、愛菜ちゃんから聞くことができて驚いた。
「人生はの結果はすべて決まっていて、自分が選択できるのは、結果ではなく、そこに行く行き方だ。」ということである。
どこかでこれは読んだことがあることだったが、まさに今このときに偶然開いたチューブの動画の愛菜ちゃんからそれを聞いてはっとした。
それが今の自分にぴったりだということも実感して、本当にびっくりした。
結果は決まっているのである。
運命に選択などはないのだ。
人間が選択できると思うのは幻想に過ぎない。(茂木さんも言っていたかな、ほかの人だったかな。)
本当かどうかはわからないが。(こういうときはユーチューブの某バイクブログではこういう「知らんけど!」笑。)
それはさておき、一面これは悲観論で、寂しいようではあるが、考えるとそうでもない。失敗したときや、がんばっても思い通りにならないときは、この言葉ほど元気づけられるものはないからだ。
今回のことも、昼から少しイライラしていて、夕方起きたことに対して微妙な自分の感情の調整ができず、最適だと思える良い反応ができなかった、ということだ。
その昼から(厳密にはだいぶ前にも原因がある)イライラしていたことの原因というのも、結果として(起きると)決まっていたのだから、私に選択肢はなかったのである。
私という人間にそういう経験と刺激を与えると、そうなるということだったのだ。(笑)
どうにもならないものはどうにもならない。(笑)
そうそう、どうにもならないものはどうにもならない。(気に入ったので繰り返す(笑))
そしてなるようになる。(笑)
うん、なるようになる。(繰り返すんかーい)
要は、がんばるだけがんばりゃあいいんじゃ、ということだ。簡単に言うと。
しかし、あまりにタイミングがぴったりだったので、うおっと思った。
たまに本屋で良い本と出会うときのタイミングによく似ている。
◇ ◇
芦田愛菜先生にあまりに感心したので、彼女の著書、「まなの本棚」を取り出して、読み返した。
それでもって、紹介されていた辻村深月という女性作家に興味を覚えた。
翌日の土曜日に図書館に行って、彼女の本を探した。「ツナグ」しかなかったのでそれを借り、あと、ネットで2冊ほど注文した。
その翌日の日曜日に届いたので(アマゾンすごい!)さっそく「凍りのくじら」を読み始めた。
面白い。やはり読書はいいなあ。これだから本は時々読まないといけないんだ。
しかし最近の作家の文章力にはとても感心させられる。言葉遣いというより、その内容だ。思考が深いというか、そこまで言葉になるか、ということ。
ストーリーは(男子としては)まどるっこしい(笑)がこんなものだろう。
◇ ◇
そうそう、話は全然飛ぶが、最近、養老孟司さんの本が面白かった。
死というものに関する考察の本だ。解剖学者の養老さんは、死について一つの見方を持っている。
「自分の死」というものはないということだ。これを考えているのはもちろん当事者の自分であるから、「自分の死」、一人称の死というのは感じることができないから、ない、のだという結論である。
また三人称(赤の他人)の死というものも、自分との関係性が薄く実感がないので、ないといってもいい。
あるのは二人称の死、―大切な人の死ということだけだというのである。
これには、まさに目を見開かされたような気がした。
死なんけど! (またパクリ 笑)
二回も飛んだぞ! 飛びます飛びます! (ジローさーん! 知らんやつのために言っておくけど、これはコント55号の坂上二郎さんのことだけんねー!)
しかし、読書というものは本当にためになるなあ。
今日のま・な・び(笑)!
(そういう結論)。