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作家のサミュエル・R・ディレーニイが好きである。『ワセダ三畳青春記』の記事でも少し触れたが、ディレーニイは私の青春である。
非常に才能にあふれた人で、作家としての一面のほかに、ミュージシャンと、数学者という道のどれを選ぶか、若い頃迷ったそうである。思えばうらやましいような話である。
彼の作品の中で『スターピット』というのがある。その中で、主人公に向けられた脇役の言葉、「自分の行ける方向一つを選んで、その道をどこまでも進め」。この言葉に非常に共感して、一時頭の中にこびりついていたものである。
『スターピット』は、主人公がいわゆる自己のアイデンティティを求めて悩むテーマであるが、故に自分への問いかけがいろいろ出てくる。最後の方になって問われる言葉、「おれは成長しているか?」
この言葉は今でも私の頭の片隅にいつもあって、自分がこれでよいのか、見直したり、考えたりするきっかけの言葉となっている。自分の選択と、選択による人生、はたしてこれでいいのであろうか、その問いかけと、迷いをいつも持っている。
「人間にはできることと、できないことがある。自分の行ける方向を一つ選んでどこまでもすすめ」。
勇気づけられる言葉であり、人生を考えるキーワードと言えるかもしれない。
『スターピット』の話ばかりになるが、このストーリーの舞台となっている宇宙ステーション(スターピット)にはいつも“世界風”という風が吹いている。一種独特の雰囲気をもった舞台で、若い頃感受性の強かった私は、この“世界風”という風のニュアンスもたいへん気に入って、風というものに非常にこだわりを持っていた時期があった。
そういえば小松左京の『岬にて』でも風が吹いていた。『岬』にも『スターピット』にも共通して吹いていた風。それは、『旅』としての人生を表現するモチーフだと思う。
『旅』をしている私たち、そして、移動しているものに対して吹く『風』。若いころ『旅』をしている感覚の強かった私は、そのアナロジーにある意味酔っていたのかもしれない。
私はどこに行くのだろう。どこに行こうとしているのだろう。どこから来たのだろう。今はどこにいるのだろう。
そんな『旅』としての人生への問いかけが、これらの作品や、言葉にはある。私も人生について、気がつけばその問いかけをしている。
細部も大事であるが、たまにはこうした、地を離れて高いところから自分の位置を考える時間も貴重で、好きである。
鳥になって高い空から自分の姿を眺めるのだ。『風』を感じながら。
天かける鷺の白羽にそよぐ風
一句詠んでみたが、俳句には素人の南日本海人、季語があるかどうかわからない。鷺ぐらいがなっているのではないかと思う。はは、いい加減だ。
非常に才能にあふれた人で、作家としての一面のほかに、ミュージシャンと、数学者という道のどれを選ぶか、若い頃迷ったそうである。思えばうらやましいような話である。
彼の作品の中で『スターピット』というのがある。その中で、主人公に向けられた脇役の言葉、「自分の行ける方向一つを選んで、その道をどこまでも進め」。この言葉に非常に共感して、一時頭の中にこびりついていたものである。
『スターピット』は、主人公がいわゆる自己のアイデンティティを求めて悩むテーマであるが、故に自分への問いかけがいろいろ出てくる。最後の方になって問われる言葉、「おれは成長しているか?」
この言葉は今でも私の頭の片隅にいつもあって、自分がこれでよいのか、見直したり、考えたりするきっかけの言葉となっている。自分の選択と、選択による人生、はたしてこれでいいのであろうか、その問いかけと、迷いをいつも持っている。
「人間にはできることと、できないことがある。自分の行ける方向を一つ選んでどこまでもすすめ」。
勇気づけられる言葉であり、人生を考えるキーワードと言えるかもしれない。
『スターピット』の話ばかりになるが、このストーリーの舞台となっている宇宙ステーション(スターピット)にはいつも“世界風”という風が吹いている。一種独特の雰囲気をもった舞台で、若い頃感受性の強かった私は、この“世界風”という風のニュアンスもたいへん気に入って、風というものに非常にこだわりを持っていた時期があった。
そういえば小松左京の『岬にて』でも風が吹いていた。『岬』にも『スターピット』にも共通して吹いていた風。それは、『旅』としての人生を表現するモチーフだと思う。
『旅』をしている私たち、そして、移動しているものに対して吹く『風』。若いころ『旅』をしている感覚の強かった私は、そのアナロジーにある意味酔っていたのかもしれない。
私はどこに行くのだろう。どこに行こうとしているのだろう。どこから来たのだろう。今はどこにいるのだろう。
そんな『旅』としての人生への問いかけが、これらの作品や、言葉にはある。私も人生について、気がつけばその問いかけをしている。
細部も大事であるが、たまにはこうした、地を離れて高いところから自分の位置を考える時間も貴重で、好きである。
鳥になって高い空から自分の姿を眺めるのだ。『風』を感じながら。
天かける鷺の白羽にそよぐ風
一句詠んでみたが、俳句には素人の南日本海人、季語があるかどうかわからない。鷺ぐらいがなっているのではないかと思う。はは、いい加減だ。