ただいま猫科の獣と戦いが始まったところである。近所で飼っているのか、それとも野良なのかは知らないが、猫科の獣がうちの敷地内に侵入してくるのである。
猫科の動物といっても実はネコなのであるが、昔はネコを飼っていたこともあるのだが、最近はすっかりやつらが嫌いになってしまった。奴らは、人にことわりもなしに、侵入してきて、あろうことかフンまでして帰ったりするのだ。ご存知のとおり、ネコのフンはとても臭い . . . 本文を読む
私ぐらいの年代の人には共通であると思うのだが、バナナの皮のことである。バナナの皮というのは、踏んでつるりとすべるものという印象がある。だが、最近よく考えると、バナナの皮で滑って転ぶなど、現実生活ではもちろん、アニメでもマンガでもほとんど見たことがない。アイドルの出る軽いテレビドラマでそのシーンがあったような記憶があるぐらいだ。
だから最近の若い人などは「バナナの皮は滑る」という感覚は持っていな . . . 本文を読む
秋である。さんまの美味しい季節である。さんまの塩焼きに、大根おろしと醤油で、ご飯と味噌汁があれば、あと、わしなーんも文句言わない。以上。終わり。
と、まあ、終わってはいけないと思うので、もう少しぐだぐだと書き足すのである。が、あくまで結論は冒頭の文章であるのでお忘れなく。
秋になると、美味しいものがたくさんあるなあ。秋刀魚をはじめ、鍋物もいいなあ。
すき焼きもいいし、水炊き、ちゃんこ鍋、し . . . 本文を読む
朝起きて、外に新聞をとりに出ると空気が秋の気配だった。それまでの朝晩が涼しく(寒く)なってきたね、という感じではなく、本格的な秋ですよという冷え込みである。もう少ししたら、今度はもう冬だけんねーという厳しい風も吹き始めるだろう。
さて、本格的な秋がやってきたこの時季、南日本海人には一つの作業が待っている。我が家のマツのモミアゲ剪定である。毎年この時季になると、ボウボウに伸びた我が家のマツを見な . . . 本文を読む
仕事場に行くのに、スクーターまたは徒歩、または車で移動している。以前は徒歩が多かったが、最近ではスクーターがメインである。時々車で行くこともあったりする。
ある朝、さて、今日も行くかとスクーターのところまで行くと、キーがないことに気づいた。あれ? あれ? ということで、再び家に入り、机の上や箪笥の上など、ありそうなところを探してみる。が、ない。
こういう時に限って、時間ぎりぎりまでゆっくりし . . . 本文を読む
昔SF小説界で、ニューウェーブ(新しい波)運動というのが起きた。一九六〇年代後半頃だったか。それまでのSFは、スペースオペラやタイムマシン等が中心のいわば外向きの冒険活劇が中心だった。それがこのニューウェーブという運動は、それまでの外的な宇宙を題材にした志向を改めて、内なる世界に目を向けて行こうというものであった。これを境にSFは、宇宙や活劇ではなく、人間の内面や精神的なものに題材を移していくよ . . . 本文を読む
仕事場に取引先の人がお土産をもってきた。まんじゅうである。外国土産だそうな。え、台湾…だいじょうぶか。そう言いながらみんなで一つまたは、二つあて食べた。
私も食べたが、微妙に酸味があり、「これすっぱくない?」と言いながら腹に入れた。他に一緒に食べた人も、あまり「これはうまい」とは言わなかった。まあ、こんな味なのだろう。二つもらったが、一つだけにしておいた。
夕方になって、そのことが話題になり . . . 本文を読む
気分を集中させたり、体を臨戦態勢に持っていったりするときには、体を物理的に締め付けたほうがよい。
例えば、「サラシを巻く」(いざ出陣!)、「ハチマキを巻く」(やるぞがんばるぞ)、「手袋をつける」(作業開始)、「腕ぬきをつける」(書類の山をこっちへ)、「脚絆をつける」(今日も一日けがのないように)、「ジカ足袋をはく」(これをつけなきゃ屋根の上には上がられねえ!)、「ツナギを着る」(今夜の爆走はどこ . . . 本文を読む
先日、息子と温泉施設に行ったおり、休憩室で囲碁の道具を見つけた。かねてより遊びモードの二人、すぐにそれを持ち出して、対局を始めた。
囲碁ではない。五目並べである。三、四局して、私の勝ちが三、息子が一ぐらいの見当であったかと思う。五目に飽きたので、オセロをやることにした。はさんでひっくり返すかわりに、自分の石と取り替えるわけである。
この勝負で発見があった。オセロの盤は八×八の六四マスである。 . . . 本文を読む
すっかり秋めいて過ごしやすくなった。空気も澄んで気持ちがいい。そんな朝、起きて茶の間の窓から外をのぞくと、幸せをひとつ見つけた。以前に紹介した、近所の屋根のアンテナにやってくるとんびのひょろ吉のことである。
いつもアンテナの上でいつも「ぴーひょろぴーひょろ」と鳴いているひょろ吉、今日は鳴いていない。しかもそのアンテナの反対側には、なんと別のとんびが止まっているではないか。
おお、ひょろちゃん . . . 本文を読む
「駄菓子」、「駄法螺」、「駄洒落」のように、接頭辞で「駄」という言葉がある。みてごらんのように、どうやら「くだらない」とか、「役に立たない」というようなニュアンスの言葉である。もしかしたら「ダサい」の「ダサ」にも通ずるのかもしれない。
この接頭語、かなり便利であるような感がある。あまりこの頭がついた言葉は少ないが、いくらでもできるような気がするのだ。
「駄政治家」、「駄マスコミ」、「駄タレント . . . 本文を読む
最近、何も考えずにボーっとしていたいと思うことがある。なんとなく、自分の直感がそういうものを求めている気がしている。
だが、この何も考えないということが案外難しいものだ。言い換えれば無心である。
禅宗の瞑想であれ、武士道であれ、スポーツや勉強であれ、集中と無心という究極の対極は実は案外近いところにある。最大限の集中は、一見無心(放心)のように見える筈である。
この無心というものはいったい何 . . . 本文を読む
七年ぶりぐらいに、山へ行った。行先は、南日本海地方は邑南町中野冠山。近くに香木の森公園や、石見温泉、断魚渓などの景勝地が連なる、私のたいへんお気に入りのエリアである。
しかも、この冠山はそれらが一望できる、すばらしいスポットで、私マウンテンライフ(そんなおおげさなものではない)の中でももっとも大好きな、安らぐ山なのである。
そしてこの旅の山行きは、特別なものであった。息子と初めて登山をしたの . . . 本文を読む
おいおい、どうして今まで誰も教えてくれなかったんだ。ハンドルカバーの使いやすさを。今まで、なんだかあれはヤンキーの人か、カーマニアの人が付けるものだとばかり思っていたが、それはとんだ勘違いであったのだ。
仕事でよその車を運転する機会があり、ハンドルカバーの付いたハンドルで初めて運転して感じたのである。なんともはや、握りやすくて気持ちいいではないか。ソフトな感触で、軽くなった感じでとりまわしもよ . . . 本文を読む
少し前に、面白いものを見た。我が息子の小学校の運動会でのことである。運動会の途中、陣地で息子を見かけた。彼は、ハチマキをしていたが、陣地のテントの隅のほうでどうやら自分が脱いだ帽子を探しているらしかった。
そこら辺りには、他の子供も帽子を脱いでおいているらしく、たくさんの中から自分のものを見つけなくてはならないらしい。名前は書いていないのかなあと、心配しながら、傍らにいた妻に、その様子を指し示 . . . 本文を読む