今朝の新聞に福島原発の設計者の証言が大きく載っている。東電の想定していた津波は最高で5・5メートルだったと言う。それでも呆れ果てるが、この件で一番重要なのは次の事だ。
M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付した。
上の事故が千年に一度だと言う事には何の根拠も無い。ありそうも無いから「千年」と言う単位が出て来ただけの事だ。だからこれは例えば二千年に一度とか三千年に一度でも同じである。重要なのは、事故が起こる確率とそれがいつ起こるのかは関係が無いと言う事である。例えば千年に一度だとして、それは「千年目に一度」ではないのだ。もちろん「500年目に一度」でもない。「千年間の最初の一年目に一度」の事だってあり得る。最初の一年目ではなく、最初の100年目だって問題だ。
それに、航空機の墜落なら、とても千年に一度などと言う有りそうも無い事ではない。あの日航のジャンボ機のように、コースを大きく外れて墜落する恐れは非常に高いはずである。地震やそれによる津波にしても、我々はそうした自然現象をすっかり解明出来ているのではない。現に、地面の下でどのような事が起こっているのか、誰もはっきりとは知らない。見た訳でもなし、何とか想像しているだけに過ぎない。
プレートが動いて衝突すると言うプレートテクトニクス論理にしたって、せいぜい1960年代に出来上がった考え方に過ぎない。そうした論理が成立していたって、現に地震の予知は出来ない。そんな程度の我々の頭脳で、M9の地震が千年に一度くらいしか起こらない、などと考える事自体が傲慢である。
自然の恐ろしさをまるで知らないような人間が寄ってたかって原子炉を作り上げ、挙げ句の果てにはその安全性を言い立てている。原子炉に対してだって、どれほどの知識を持っているのか知れたものじゃない。現にテレビに出て来る専門家は東電の技術者も含めて、何とも頼りない連中ばかりである。
我々の命に直接関わる原子力発電に関して、こんなにも馬鹿な連中にやりたい放題にさせて置いて良いのか。東京新聞ははっきりと次のように書いている。「一部政治家・官僚・電力業界の利権は強固だ。気が付けば『安全強化』で推し進める。」と。
今、一番分かり易いテレビでは毎日、それも一日中、福島の原子炉がどのように改善されつつあるかを報告している。しかしそれは改善とは言えない。単に注水が出来たとか、外部から通電が出来た、などと言う破壊された現状を少しでも元に近づける作業が出来ていると言うに過ぎない。それによって、原子炉の安全性が確保されていると言う事にはならない。もしも安全性が確保出来たと言うのなら、解説している専門家は率先してそれらの建屋の中に入って、ほらこの通り安全ですよ、と言えるはずである。
大体、我々素人には分からない原子炉の構造に関する説明しかしていない事が臭い。そして出て来るのは分かりにくい放射能の数値ばかり。それでもこれらは我々に何らかの安心感を与える効果があると思ってされているはずである。どこまで我々を馬鹿にしたら気が済むのか。こうした無責任な解説をしている連中と、それをそのまま流して納得している番組の司会者の名前と顔を我々はしっかりと記憶にとどめて置く必要がある。他人に対して何事かを言う事はそれだけの責任を伴う。かく言う私自身、責任を持って発言している。
M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付した。
上の事故が千年に一度だと言う事には何の根拠も無い。ありそうも無いから「千年」と言う単位が出て来ただけの事だ。だからこれは例えば二千年に一度とか三千年に一度でも同じである。重要なのは、事故が起こる確率とそれがいつ起こるのかは関係が無いと言う事である。例えば千年に一度だとして、それは「千年目に一度」ではないのだ。もちろん「500年目に一度」でもない。「千年間の最初の一年目に一度」の事だってあり得る。最初の一年目ではなく、最初の100年目だって問題だ。
それに、航空機の墜落なら、とても千年に一度などと言う有りそうも無い事ではない。あの日航のジャンボ機のように、コースを大きく外れて墜落する恐れは非常に高いはずである。地震やそれによる津波にしても、我々はそうした自然現象をすっかり解明出来ているのではない。現に、地面の下でどのような事が起こっているのか、誰もはっきりとは知らない。見た訳でもなし、何とか想像しているだけに過ぎない。
プレートが動いて衝突すると言うプレートテクトニクス論理にしたって、せいぜい1960年代に出来上がった考え方に過ぎない。そうした論理が成立していたって、現に地震の予知は出来ない。そんな程度の我々の頭脳で、M9の地震が千年に一度くらいしか起こらない、などと考える事自体が傲慢である。
自然の恐ろしさをまるで知らないような人間が寄ってたかって原子炉を作り上げ、挙げ句の果てにはその安全性を言い立てている。原子炉に対してだって、どれほどの知識を持っているのか知れたものじゃない。現にテレビに出て来る専門家は東電の技術者も含めて、何とも頼りない連中ばかりである。
我々の命に直接関わる原子力発電に関して、こんなにも馬鹿な連中にやりたい放題にさせて置いて良いのか。東京新聞ははっきりと次のように書いている。「一部政治家・官僚・電力業界の利権は強固だ。気が付けば『安全強化』で推し進める。」と。
今、一番分かり易いテレビでは毎日、それも一日中、福島の原子炉がどのように改善されつつあるかを報告している。しかしそれは改善とは言えない。単に注水が出来たとか、外部から通電が出来た、などと言う破壊された現状を少しでも元に近づける作業が出来ていると言うに過ぎない。それによって、原子炉の安全性が確保されていると言う事にはならない。もしも安全性が確保出来たと言うのなら、解説している専門家は率先してそれらの建屋の中に入って、ほらこの通り安全ですよ、と言えるはずである。
大体、我々素人には分からない原子炉の構造に関する説明しかしていない事が臭い。そして出て来るのは分かりにくい放射能の数値ばかり。それでもこれらは我々に何らかの安心感を与える効果があると思ってされているはずである。どこまで我々を馬鹿にしたら気が済むのか。こうした無責任な解説をしている連中と、それをそのまま流して納得している番組の司会者の名前と顔を我々はしっかりと記憶にとどめて置く必要がある。他人に対して何事かを言う事はそれだけの責任を伴う。かく言う私自身、責任を持って発言している。