「冤罪と裁判員制度」と題する記事がある。初めての裁判員参加の裁判が東京地裁で始まった時でもあり、読んだ。だが、私は途中で何がなんだか分からなくなった。
ある記者が17年前、警察署でじりじりしながら取り調べの推移を見守った、との話から始まる。菅家さんの足利事件である。DNAという動かぬ証拠があるのに、なぜ容疑を認めないんだろう、と言うのが記者の思いであり、菅家さんに対する不満だった。
話はがらりと変わる。小見出しは「痛恨事」である。
記者が菅家さんと再会したのは無期懲役が確定した2000年。取材時の記憶も薄れていたが、菅家さんが公判の途中から一貫して無罪を主張している事に衝撃を受けた。ここからは記事の引用である。
弁護側の主張を読み込み、解説記事で次のような指摘をした。
「最高裁が『DNA型鑑定は万能』とお墨付きを与えたわけではない。捜査機関は『過大評価は冤罪を生み出す』との弁護団の意見を謙虚に受け止めるべきだ」「鑑定の過大評価は地道な基礎捜査を軽視する危険性もはらむ。あくまでも『間接証拠』と位置づけた抑制的な運用が求められる」
鑑定の過大評価を戒めたのはせめてもの救いだが、菅家さんを犯人視した報道を繰り返した汚点は消えない。上告審での確定後も再審請求の動きを注視せず、昨年末に再鑑定実施の動きが出てきた時までまるっきり無関心だったことは、司法の取材が長い私の記者人生の中で痛恨事だ。
私が分からなくなってしまった最大の原因が「せめてもの救いだ」にある。
「救い」とは「救う」とは別の言葉である。岩波国語辞典は載せていないが、新明解国語辞典には「どん底にある(悲惨な思いをしている)人の気持を幾分でも解放させるもの」との説明がある。明鏡国語辞典も同じように「人の気持に安堵感や安心感を与え、ほっとさせるもの」と説明している。
上記の引用記事で「悲惨な思いをしている」あるいは「安堵感を持っていない」人に相当するのはこの記事を書いた記者ではなく、菅家さんが犯人である事に疑惑を抱いてその記事を読んだ読者なのである。「鑑定の過大評価を戒めた」事がそうした読者にとって救いになったか。とんでもない。記事は相変わらず菅家さんを犯人視し続けたのだから、何の救いにもなっていない。
はっきり言って、この記者は言葉を知らない。自分は現在でこそ「悲惨な思い」をしている。なぜなら、菅家さんを犯人視し続けたのだから。それが「消えない汚点」であり、「痛恨事」なのである。「せめてもの救い」なのは、現在から考えれば、なのであって、当時は救いにも何にもなっていないのである。何と自分に甘い事か。
でも、記者たる者、言葉遣いを知らないはずが無い。そこで記事を読み返した。そして改めて気が付いた。記者は1991年から2008年末に至るまで、ずっと菅家さんが犯人とされた事に無関心だった。と言うより、犯人であると思い込んでいたはずだ。
それなのに、途中の2000年に、DNAの過大評価は冤罪を生み出す、との弁護団の意見を謙虚に受け止めるべきだ、と書いたのである。それが「弁護側の主張を読み込」んだ結果であるのは明白だ。だがそれなのに、菅家さんを犯人視した報道を繰り返したのである。では、一体、何のために過大評価を非難したのか。意図が全く分からない。
上記の文章は何度も推敲を繰り返してやっと完成した。それほど私にとっては難しい記事なのだ。
「過大評価に疑問を投げ掛けた」とある。しかしそのすぐ次の段落は「鑑定の過大評価を戒めたのはせめてもの救いだが」とあるので、えっ? 「疑問を投げ掛けた」のは別の記者だったのか、と思ってしまったのだ。そうでしょう。そこまでの記事で、現在は菅家さんの無実が確定しているのだから、記者が明らかに間違っていた(間違った捜査と判決に同意していた)のがはっきりしている。私は捜査した人間も判決を下した人間も共に菅家さんと同じ期間、懲役刑に服すべきだとさえ思っている。従って、こうした判断に盲従していた記者は最悪なのである。それなのにそこに「せめてもの救いがある」と言うからには、二つの記事の筆者は違う事になる。
実にお粗末な捜査と司法判断に追随した記者は全面的に×で、過大評価に疑問を投げ掛けた記者は○である。ただ、その大きさは×の方がはるかに大きくて、○はゼロに近いくらいに小さい。判決に何の影響も与えなかったからだ。単に主張しただけに終わった。ただ、正義の心で立ち向かったとの点で評価出来る。それが「せめてもの救いだ」になるはずなのである。
そこまで読んで、何でこの記者は自分の犯した過ちを全面的に反省するのではなく、逆に賞賛しているのか、と不思議に思った。「せめてもの救い」にはそれだけの重さがあると思う。彼は安易に周囲の動きに流され続けて来たのである。それなのに「せめてもの救いだ」と自分を持ち上げる。ここには反省がまるで感じられない。いくら「痛恨事だ」と言っても口先だけにしか聞こえない。だから私は分からなくなったのである。記事の締めくくりは「裁判員を冤罪に巻き込まないためにも、取り調べの全面録音・録画を求めたい」だから、主張している事は分かるのだが、以上のような経緯なので、私にはこの記者の真意が信じられないのである。そんなはずはないのだから、自分の頭の程度を疑ってしまうのである。
これは「メディア観望」と題する8月3日の朝刊の記事で「記者の眼」と言う括りの中の一つである。論説室の記者が書いている。だからこそ、余計に自分の頭が疑われるのである。
ある記者が17年前、警察署でじりじりしながら取り調べの推移を見守った、との話から始まる。菅家さんの足利事件である。DNAという動かぬ証拠があるのに、なぜ容疑を認めないんだろう、と言うのが記者の思いであり、菅家さんに対する不満だった。
話はがらりと変わる。小見出しは「痛恨事」である。
記者が菅家さんと再会したのは無期懲役が確定した2000年。取材時の記憶も薄れていたが、菅家さんが公判の途中から一貫して無罪を主張している事に衝撃を受けた。ここからは記事の引用である。
弁護側の主張を読み込み、解説記事で次のような指摘をした。
「最高裁が『DNA型鑑定は万能』とお墨付きを与えたわけではない。捜査機関は『過大評価は冤罪を生み出す』との弁護団の意見を謙虚に受け止めるべきだ」「鑑定の過大評価は地道な基礎捜査を軽視する危険性もはらむ。あくまでも『間接証拠』と位置づけた抑制的な運用が求められる」
鑑定の過大評価を戒めたのはせめてもの救いだが、菅家さんを犯人視した報道を繰り返した汚点は消えない。上告審での確定後も再審請求の動きを注視せず、昨年末に再鑑定実施の動きが出てきた時までまるっきり無関心だったことは、司法の取材が長い私の記者人生の中で痛恨事だ。
私が分からなくなってしまった最大の原因が「せめてもの救いだ」にある。
「救い」とは「救う」とは別の言葉である。岩波国語辞典は載せていないが、新明解国語辞典には「どん底にある(悲惨な思いをしている)人の気持を幾分でも解放させるもの」との説明がある。明鏡国語辞典も同じように「人の気持に安堵感や安心感を与え、ほっとさせるもの」と説明している。
上記の引用記事で「悲惨な思いをしている」あるいは「安堵感を持っていない」人に相当するのはこの記事を書いた記者ではなく、菅家さんが犯人である事に疑惑を抱いてその記事を読んだ読者なのである。「鑑定の過大評価を戒めた」事がそうした読者にとって救いになったか。とんでもない。記事は相変わらず菅家さんを犯人視し続けたのだから、何の救いにもなっていない。
はっきり言って、この記者は言葉を知らない。自分は現在でこそ「悲惨な思い」をしている。なぜなら、菅家さんを犯人視し続けたのだから。それが「消えない汚点」であり、「痛恨事」なのである。「せめてもの救い」なのは、現在から考えれば、なのであって、当時は救いにも何にもなっていないのである。何と自分に甘い事か。
でも、記者たる者、言葉遣いを知らないはずが無い。そこで記事を読み返した。そして改めて気が付いた。記者は1991年から2008年末に至るまで、ずっと菅家さんが犯人とされた事に無関心だった。と言うより、犯人であると思い込んでいたはずだ。
それなのに、途中の2000年に、DNAの過大評価は冤罪を生み出す、との弁護団の意見を謙虚に受け止めるべきだ、と書いたのである。それが「弁護側の主張を読み込」んだ結果であるのは明白だ。だがそれなのに、菅家さんを犯人視した報道を繰り返したのである。では、一体、何のために過大評価を非難したのか。意図が全く分からない。
上記の文章は何度も推敲を繰り返してやっと完成した。それほど私にとっては難しい記事なのだ。
「過大評価に疑問を投げ掛けた」とある。しかしそのすぐ次の段落は「鑑定の過大評価を戒めたのはせめてもの救いだが」とあるので、えっ? 「疑問を投げ掛けた」のは別の記者だったのか、と思ってしまったのだ。そうでしょう。そこまでの記事で、現在は菅家さんの無実が確定しているのだから、記者が明らかに間違っていた(間違った捜査と判決に同意していた)のがはっきりしている。私は捜査した人間も判決を下した人間も共に菅家さんと同じ期間、懲役刑に服すべきだとさえ思っている。従って、こうした判断に盲従していた記者は最悪なのである。それなのにそこに「せめてもの救いがある」と言うからには、二つの記事の筆者は違う事になる。
実にお粗末な捜査と司法判断に追随した記者は全面的に×で、過大評価に疑問を投げ掛けた記者は○である。ただ、その大きさは×の方がはるかに大きくて、○はゼロに近いくらいに小さい。判決に何の影響も与えなかったからだ。単に主張しただけに終わった。ただ、正義の心で立ち向かったとの点で評価出来る。それが「せめてもの救いだ」になるはずなのである。
そこまで読んで、何でこの記者は自分の犯した過ちを全面的に反省するのではなく、逆に賞賛しているのか、と不思議に思った。「せめてもの救い」にはそれだけの重さがあると思う。彼は安易に周囲の動きに流され続けて来たのである。それなのに「せめてもの救いだ」と自分を持ち上げる。ここには反省がまるで感じられない。いくら「痛恨事だ」と言っても口先だけにしか聞こえない。だから私は分からなくなったのである。記事の締めくくりは「裁判員を冤罪に巻き込まないためにも、取り調べの全面録音・録画を求めたい」だから、主張している事は分かるのだが、以上のような経緯なので、私にはこの記者の真意が信じられないのである。そんなはずはないのだから、自分の頭の程度を疑ってしまうのである。
これは「メディア観望」と題する8月3日の朝刊の記事で「記者の眼」と言う括りの中の一つである。論説室の記者が書いている。だからこそ、余計に自分の頭が疑われるのである。