夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

死んでからもエコ?

2009年08月21日 | 社会問題
 映画「おくり人」の影響もあって、葬送の事が時々話題に上る。先日は「エコ棺」、商品名は「エコフィン」と言うそうだが、段ボールにレーヨン製の布を張った棺桶が新聞に載っていた。段ボールなので、製造に使用する木材が合板制のほぼ半分で済むのだと言う。更には火葬時の燃料消費量も棺だけなら、合板製の半分程度なのだそうだ。その結果、二酸化炭素や窒素酸化物などのガスの排出量を3分の1に削減出来るのだと言う。
 エコ結構。地球環境を悪くする排ガスの削減結構。だが、こうした事はもっとほかで実行出来る事があるはずだ。不要不急の製品の製造や利用で考えるべき事があるだろう。贅沢品の利用で考えるべき事があるだろう。
 そうした事を徹底的にやった上での事なら大変結構だと思う。しかしながら、中途半端な事をしていて、人間の最後の時に、やれ、エコだのCO2の削減だのと言う事は無いだろう。

 死ぬのは一度だけだ。その大事な死をそんなエコ感覚で私は迎えたくないし、迎えさせたくない。迎えさせたくない方の気持の方がずっと強いが。「最後の社会貢献に選ぶ人もいる」と製作・販売会社は言うが、ずっと社会貢献をして来た人なら、最後くらい、ゆったりと贅沢に送られたってバチは当たるまい。
 「人の尊厳を生かしたい」と社長は言い、一棺につきモンゴルで10本の植林をする仕組みを導入したのだそうな。亡くなった後、新しい木々が芽生え、さらにその木が人々の役に立つと言う。
 これまた結構な事だ。だが、それは人が亡くならなくたって出来る事ではないか。更にはこれが「人の尊厳を生かす」事とどのように結び付くのか。

 エコも排ガス削減も大変に結構な事だ。だが、棺桶でのエコと排ガス削減は、すべてのエコと排ガス削減が達成出来た、その最後の最後にして頂きたい。それが「人の尊厳を生かす」事ではないのか。何か、人間死んだらおしまいよ、のようで非常に虚しいし、私は嫌だ。嫌悪感ばかりしか感じない。
 肉体が死んでも、人は死なないのですよ。生き残ってその人の事を思い出したり、考えたりする人が居る限り、その人は死なないのだと、私は信じている。だから、事故の責任者らが安易に「ご冥福を祈ります」と言って、幕引きをしてしまう事に憤りを感じる。彼らの言う「ご冥福を祈ります」は絶対に幕引きでしかないのである。