夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

万葉集の解釈のし直しがやっと完成した

2011年09月15日 | 歴史
 5月の末に万葉集の解釈のし直しをしています、と書いた。それなのに、ほとんど毎日、土日も取りかかっていて、9月の半ばになった今、やっとそれが完成した。あれから何と4ヶ月も掛かっている。なぜかと言えば、読み直すたびに新しい事に気が付くからである。それは今まで考えていなかった事にもなるのだが、そうでもない。一日一日と考え方が深くなって来ているので、今まで気付かなかった事に気が付くようになったのである、と本人は思っている。

 定評ある解説書や関連する本を読むたびに、何でこんないい加減で浅い考えで満足しているのだろうと不思議になる。参考にしている日本書紀の文章一つまともに読めないのである。だから、古語辞典の説明だってきちんと理解が出来ない。そのような人々が本を書いている。でも一旦信用されると、その信用は最後まで付いて回るらしい。羨ましい限りである。
 私など、二冊ほどの本を出してもらったが、信用される身にはなっていない。著書の一冊は「こんな国語辞典は使えない」と言う辞書の批判書で、私の住んでいる所の区立図書館には4館に置かれていると言うのに、そして国立国語研究所のデータとしては別の一冊の一部が現代の書き言葉のデータとして入っていると言うのに、情けない。

 まあ、本は大量に出版されるし、今は出版不況と言われているから、私などの出番は無いのかも知れない。それでも渾身の力を込めて書き上げた。題して「万葉集で分かった古代史の真実」。本当に信じられないような事を皇后が歌に詠んでいるのである。信じられないような事だから、従来の研究者達は、無難な解釈をして通り過ぎて来たのである。けれども彼等が神の書のように信じている日本書紀にさえ、皇后の詠んだ信じられないような事実を証拠立てるような記述があるのだ。もちろん、それは日本書紀の文章を読み込む力が無ければ出来ない事ではあるのだが。
 そしてその史実から、周辺の歴史が今までよりもずっと明解に分かるようになる。様々な断片的な出来事が見事に一つに繋がって来るのである。だから、歴史書には書かれていない史実が重要になるのだ。

 出来上がった原稿を、以前、ちょっとした事を書いた事のある出版社に持ち込もうと考えているが、さて、どうなる事やら。駄目でも、その報告は正直にするつもりです。