夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「あと」には「前」と「後ろ」の両方がある

2010年09月16日 | 言葉
 きのう、「先」に「前」と「後ろ」の両方の意味がある事について考えた。そこで今日は「あと」にもその両方の意味がある事を考えてみる。

 A それはあとでするよ。
 B 彼はあとから来る。

 Aの「あと」は「この先」の事である。
 Bの「あと」は「後ろ」の事である。
 「あと=後ろ」なのに、なぜAの「この先」が成立するのか。もちろん、Aは「この先でするよ」との意味なのだが,なぜか、そうは言わない。近い未来なのに、どうして「あと」などと言うのか。それは発言者が「する事」に関して後ろ向きになっているからだ。発言者の前には発言者が夢中になっている事柄がある。つまり、発言者の前、言い換えれば発言者の近い未来に発言者の関心は向いている。「あとでする」事柄は発言者の近い未来の更にその近い未来にある。しかし関心が無い。
 関心事が済んだその先にするのに、発言者にとってはそれはあくまでも「後ろ」なのである。

 「あと」を国語辞典は「時間的にうしろ」だと説明する。言葉としてはそれは正しい。しかし「あとでする」は「この先でする」と言う事である。国語辞典は「あと」の言葉その物の意味に囚われてしまった。「あとでする」と言っている人間が「この先」を自分の後ろに置いている事を忘れている。と言うか,気が付いていない。
 せっかく「あと」を「背中の向いている方向」と説明している辞書も、もう一つの意味として、「現在から隔たった時点。将来・今後を指すことが多い」と簡単に終わってしまっている。「背中の向いている方向」と「現在から隔たった時点」の関係を説明しない。何よりも「将来」と「今後」と言う二つの言葉が同じ意味であるおかしさを何とも思っていない。
 その辞書は「今後」を「現在より後。これから先」と説明して、平気な顔をしているのである。「後」と「先」が同じ意味になる事を不思議とは思っていない。

 上記の私の考え方が正しいとは限らない。けれども、そうとでも考えなければ、「前=後ろ」である不思議さは解決が出来ないと思う。