夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

マスコミの言う「支持率」は正しいのか

2010年09月07日 | 社会問題
 テレビも新聞も連日のように菅総理と小沢氏の支持率がどうのこうのと言っている。私は東京に何十年も住んでいて、固定電話も二つの全く別の番号で持っている。しかしこうした調査にぶつかった事は無い。いや一度だけあった。それは留守番電話に入っていた何かの調査で、留守なのでパスする、との事だった。周囲の知人にも居ない。
 まあね、千人とかせいぜいが2千人くらいを相手の調査だから、遭遇する方が難しい。それにしてもたかだか千人や2千人で、世の中の動向が分かるのか。無差別抽出の千人や2千人だから世の中の縮図だとは思えるが、それにしても、大胆と言うか無謀と言うか。
 だから私はこうした支持率の調査を全く信じてなどいない。だが、こうして出されている数字を見ると、影響を受ける事だってある。そうか、小沢はこんなにも支持率が低いのか、などと思ってしまう。もちろん、世間は表面的な事しか考えない事が多いし、様々な記事に簡単に騙されているから、その支持率も騙された結果だろうとは思う。

 私は以前『こんな国語辞典は使えない』と言う本を出してもらった事がある。そこでは著名な権威あるとされている国語辞典の説明の仕方を批判している。そうした批判は今もなお変わらず、新たな原稿を書いている。それは徹底的に数冊の国語辞典の説明を検討する作業をして、言葉の説明の難しさを浮き彫りにしているのだが、編著者があまりにもいい加減に日本語に取り組んでいる。それがまざまざと分かる。辞典の説明と言う明らかな証拠があるのだから、あとはその解釈次第になる。中にはそれはお前さんの勝手な論理だ、と言う人も居る。だが、私は真剣に説明の真意を汲もうと真面目に取り組んでいる。言葉の説明だから、緻密でなければいけないのだ。それは単なる解釈の仕方の違いなどではない。本当に言葉を知っているのか、と言う所まで行き着いてしまうのである。
 私は常にそうして物事を考えている。ただ、政治などの複雑な事になると、国語の辞書を調べるような訳には行かない。新聞やテレビの支持率の数字を穴の開くほど見詰めたって真偽のほどは分からない。数社の結果が同じようだとしても、何しろ千人くらいが対象なのである。中にはいい加減に答えている人だって居るはずだ。その数が決して数百人にはならない、などと保証出来る訳でもない。
 国語辞典のいい加減な説明を鵜呑みにしている人が大多数なのだから、いい加減ではない考え方の人間が一体どれほど居るのか、と大きな疑問になる。

 だから、こうした支持率の調査とか発表や、選挙前の出口調査などは本当はやるべきではないと思っている。それは簡単に世論の誘引になる。選挙などでは、そうか、そんなに支持率が低いのか、それならここは俺が、なんて考える人は多分居ないだろう。そのような人はほとんど居ないのだ、と言うのがそもそもは前提になっているのだから、どうせ投票するなら、死に票ではもったいない、と考えるだろう。
 この世の中は我々庶民のためにあるのだ、なんて言う事は、理想論としてはあっても、所詮、現実はそうではない。大昔から、一部の人間の利益になるようにしかやって来ていない。民主主義だって、それは理論であって、理想であって、つまり、それを目指しているんだよ、と言って勝手な事をしているのである。理想が隠れ蓑にされている。だから余計に注意をしなければならないのだ。
 その最も分かり易い例が、私は大企業だと思っている。世のため人のためを目標として掲げ、その実、本当は個人的な金儲けが目的なんだ、と思っている。その経過の中に、世のため人のためになる事が多少はある、と言う程度の問題だと思っている。そしてその「多少はある」事を針小棒大に宣伝しているのだと思っている。