夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビ番組の作り方がいい加減だ

2009年05月11日 | 文化
 家を劇的にリフォームして見せる番組がある。確かに「匠」と言えるほどそれは素晴らしい。どうしたらこんな発想が出来るのかと驚くくらいである。ただ、中には私だって出来るような物もある。例えば机やテーブルの中にサイドテーブルを仕込む事など。私はそれを実際に机でやっている。ただし、大掛かりな木工の工作は出来ないし、すべて既存の物を利用しての事だから、スケールは小さいし、完成度は低い。でも、机の甲板と下に納まっている引き出しとの空間を利用して、その間に縦長の厚さ8ミリほどのガラス板を入れ、それを引き出せば、簡単に30センチ×30センチほどのサブデスクが出来上がる。もちろん、ガラス板ではなく、木製の板でも構わない。私は余っているガラス板を持っていたからそれを利用しているだけの事。適当に重さがあるから、安定性が良い。
 使っている机はテーブルの利用だから、余っているもっと小さな普通の机の甲板を差し込めば、更に大きなサブデスクが誕生するが、仕掛けが複雑になるのでやめている。
 そうした工夫を徹底的にしかもあか抜けてやっている所が素晴らしい。
 そしてその結果に驚く家族の姿がまた面白い。しかしあまりにもやらせが過ぎる。明らかにおかしいと思う事を感心して見ている事は難しい。全面リフォームだから、家族も家具もすべて引っ越しをしている。だが、リフォームが完成して家族が初めて入ったはずの家には既に家具がきちんと配置されて、道具類は棚にきちんと収納されているのである。それって、きのうまで家族全員が使っていたはずの物である。それを簡単に荷造りして送り出すのはいいが、何をどこに置くのかは家族の考え次第である。あるいは家族の習慣に従う必要がある。それを一体誰がやったのか。家族が指図書を書いて、全く別の人間が配置した事は考えられる。でも、指図するには、どのようなリフォームが出来ているのかを知っている必要があるはずだ。家に入って初めて見て、びっくり、と言うような事とはどうしても思えないのだが。
 もしかしたら、番組で紹介する部分のみ、家族の指図通りに他人が物を置いたのかも知れない。それなら初めて入って、びっくり、感激、の図は出来る。しかしそれとても、やらせである。特にある程度は想定した上での事だから、驚くのが大袈裟過ぎる。
 これはドラマではない。現実にリフォーム希望者を番組は募っている。ドキュメンタリーとして、作り過ぎているのでは、と思う。あまりにも効果を狙い過ぎると、番組の底が浅くなる。リフォーム前のもの凄い使いにくさまでもがやらせだったのでは、と疑いたくもなる。

 この番組を1時間見て、9時からはNHKの「N響アワー」を見た。大作曲家の自筆の楽譜がテーマなので、面白いだろうと思った。出て来た楽譜はモーツァルトとベートーヴェン、ブラームスの三人。ベートーヴェンのは1ページ全部が破棄されている。完璧で書き直しが無いので知られているモーツァルトは、でもたった1小節だけだが、破棄されている。そうした破棄されている部分を使った曲が、完成した曲とどのように違うのかを聞かせてくれるのだろう、と私は思ったのだ。
 ところが、司会者はその破棄された1小節を簡単にくちずさんで説明しただけで終わりにした。その代わりにそれに関わる1楽章が演奏されている。もちろん、その演奏はきちんとした演奏会での演奏の一部である。それは単にある名曲の完全ではあるがわずかに1部分の楽章の演奏に過ぎない。モーツァルトのジュピターとベートーヴェンの第九、ブラームスの第四番の交響曲だからつまらない訳が無い。オーケストラと指揮者は超一流だから聞き入ってしまう。
 しかしながら、4楽章から成る曲の一つの楽章だけを聞いたって充実感は無い。歴史的名演じゃないんだから。しかも「名曲の自筆の楽譜」との関連は全く無い。一体、この番組の目的は何だったのか。
 新聞の番組欄にはこうある。
 「手書き原稿〈自筆譜〉が語る作曲家の素顔▽自筆譜から苦悩や迷いを読む」
 もちろん、私はこれを見て、番組を見ようと思ったのである。これで作曲家のどのような顔が分かったのだろうか。どんな苦悩や迷いが読めたのか。天才モーツァルトとて無謬ではない事なのか、ベートーヴェンは1ページのオーケストレーションをまるまるやった上で試行錯誤をするような作曲家だったと言うのか。ブラームスは確かページの余白に2小節付け足したのだったが。
 でも、そうした事なら、何もこのようなN響アワーでなくても出来るし、もっと完全に出来るはずだ。上の番組案内がよしんばNHKが作ったのではないとしても、番組の内容のピントが外れている事には変わりない。結局、私は1時間、無駄にしただけで終わった。