goo blog サービス終了のお知らせ 

夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

少しでも安い物を買いたい心理を計算してみる

2011年12月13日 | 暮らし
 主婦が10円でも安いからと、ちょっと遠くの店まで出掛けて、話題に取り上げられたりする。足を運んだ時間と10円を稼ぐのに要する時間とを比較する訳だ。
 今、アルバイトの時給は良くて1000円前後。60分で1000円だから、1分=約17円。10円の節約に1分以上余分も掛ければ損になる計算だ。
 けれども、これはそうしたアルバイトが出来ると言う条件の下での計算だから、何のアルバイトもしていなければ、現金での節約の方がずっと役に立つ、とも考えられる。しかし本当にそうだろうか。確かに1分で出来る事はたかが知れている。けれども、これが100円とか200円の節約になったら、例えば100円なら約6分に相当する。6分もあれば、かなりの事が出来る。普段出来なかった手の届きにくい所の掃除だって出来るだろう。それは確実に暮らしの役に立つ。
 そして100円くらいの無駄遣いは案外多いのではないか。

 何か、つまらない話をしているなあ、と思うだろうが、今、私はそうした事に直面しているので、どうしても考えざるを得ないのだ。本来の編集とか執筆、校正、DTPなどの仕事がほとんどないので、昼間と夜の二つのアルバイトをしている。それが時給1000円。少しでも現金収入が欲しいので、採算を度外視して執筆のアルバイトに臨んだのだが、それがどのように努力しても1時間にせいぜい300円程度にしかならない。
 働いていない時間を充てているのだから、利益になると考えても、どうにも納得が行かない。300円稼ぐ1時間に、家事だって、自分の雑用だって、自分のための執筆だって、様々な事が出来る。
 うっかりと、預金の残高を確認していなかったせいで、引き落としが出来ずに、300円ほどの振り込み手数料を払わなければならない、と言う馬鹿馬鹿しい損害も、わずかの余裕があれば出来る。
 自分のための執筆だって、今すぐには現金には成り得ないが、来年、再来年の事を考えてしているのだから、重要な基礎作りをしている訳だ。そうした貴重な時間を1時間当たり300円の仕事で失ってしまって良いのだろうか、と考えてしまう。

 本当につまらない事を考えている。これは私自身の考えをまとめるために、このブログを利用している訳で、でも、中には同じような状況の人も居るに違いないとは思う。ついでだが、この執筆のアルバイトのために時間を取られて、ブログを三日ほど休んでしまった。私は文章を書くのは得意のほうなのだが、3000円稼ぐのに、ほとんど三日も掛かってしまった、と言うみっともない有様なのである。
 こんなみみっちい計算などせずに、何の努力もせずに、ほとんど働かずにお金が入って来る人が現実に居るのだから、羨ましい限りである。

市長選挙と民意

2011年11月29日 | 暮らし
 何でこんな事を考えるかと言うと、大阪市長選に関してである。
 橋下氏は「民意が我々の主張を選んだ」と言い、「民意を無視する市職員は去ってもらう」とも言う。しかし敗北した平松氏が獲得した得票率は約41%である。つまり、民意の4割は平松氏を支持した。橋下氏を支持した6割が民意なら、平松氏を支持した4割も民意である。民意に差別は無い。
 本来、民意に大きな差などある訳が無い。あるのは小さな差だけである。安全で健康で豊かな暮らしをしたい、それが民意である。そして、何が安全で、健康で、豊かなのか、と言う事について様々な小さな違いがあるに過ぎない。
  
 二人の候補が明暗を分けたのは、こうした小さな違いが原因ではない。「大阪都構想」とか、大きな問題で賛否が分かれたはずである。そして、その問題自体にしても、賛成か反対か、で割り切る事は出来ないだろう。どちらにも考えなければならない事がたくさんあるし、それぞれに歩み寄る案だってあるはずだ。
 ただ、現実に利害が絡んで来ると、小さな違いでは済まなくなるのだろう。例えば、大阪市職員にすれば、死活問題にもなる。

 橋下氏の考え方は、国政とまるで同じような気がする。国会は常に与党か野党か、で対立している。している事、考えている事など、よく似ているし、そもそもは対立して考えるべき事柄ではないだろう。
 消費税にしても、10%を打ち出してしまうから、賛成か反対かに分かれるが、例えば段階的に最初の何年かは6%に抑える、などのやり方だってあるはずだ。現在の倍にしなければやって行けない、と言うのなら、現在の様々な行政のあり方に何らかの失敗があるからだろう。それを是正する事が先決である。

 いつも思うのだが、政党とか団体とかに属しての選挙になるから、与党と野党に分裂する。そうではなく、単に個人の人気投票なら、当選した様々な人がそれぞれに提案をして、それを検討し、最良の政策に持って行く、と言うのが理想ではないのか。
 今の国会にしても、議員の質なんて、みんな同じじゃないか。言うならばどんぐりの背比べに過ぎないのに、与党は天下を取ったみたいな物言いをして、野党はまるで自分達が無視されているかのように不平不満を並べ立てる。

 どんぐりと山猫の話では、確か、誰が一番偉いのかでもめていて、 この中で一番駄目で、みっともなくて、だらしがなくて、と言うような最低の資格を持ったのが一番偉いのだ、と言った途端にみんな黙ってしまった、と言う話だったと思う。

 政治の世界は、要するに日の当たる所に居たい。日の当たる所でないと、冷や飯を食わされる。そうではないのだ。どんな所に居ても、みんなが日の当たる所に居るのである。そしてみんなが最善の事を考える。党利党略を離れれば、みんな程度はおんなじなんだから、平等である。何事もそうやって決める。それがどんな世界でも最良の方法なのではないのか。

KDDIはとても親切だ

2011年11月28日 | 暮らし
 光電話をNTTからKDDIに替えた。その事は先日書いた。二つの電話番号を使うためには、ルーターが二つ要る。そしてルーター同士を繋ぐための推奨のスイッチングハブも買った。ところが、指示通りの接続をしているのに、電話が繋がらない。私は方式の異なる二つの電話を持っているので、相互で確認が出来る。
 それで、問い合わせの電話をした。携帯では聞き取りにくいと言うので、別の部屋にある電話を使ったのだが、何かを確認するたびに二つの部屋を行き来しなくてはならず、非常に手間取った。でも、担当者は親切に対応してくれる。

 ルーターとハブを繋ぐ線は三本。そしてハブはその接続口が点灯する。けれども、ハブを確認したら、二つしか点灯していない。ハブの欠陥か、と思ったが、結果的には私がLANケーブルを使うべき所に電話線を繋ぐケーブルを使っていたと言う、まことにお粗末極まる単純ミスだった。逆ではジャックが入らないので、すぐに分かるのだが、うまく入ってしまうので、なかなかミスに気付けない。でも、これは単なる言い訳に過ぎない。
 結局、40分以上にも渡って、延々と私に付き合ってくれた担当者に迷惑を掛けた訳だ。でも、担当者はそうしたミスはよくある事ですと、最後まで親切だった。

 プロバイダーのソネットも親切である。徹底的に付き合ってくれる。それに対して、マックのアップルは、これはパソコンでの事だが、まず最初に相談料の提示がされる。内容を問わず相談料が掛かる。たった一言で解決する事だってあるのに。そして私の質問は、たった一言を聞きたい事がほとんどなのである。だから私はどんなに困ってもアップルには相談はしない。
 ヤフーなども不親切だ。案内のテーブが回るだけで、なかなか必要な部署にたどり着けないし、そのまま終わってしまう。嫌気がさして、金輪際、聞くものか、と思ってしまう。嫌なら利用をしなければ良い。

 考えてみると、メーカーの説明書が懇切丁寧とは言えない。そんな事、分かってるでしょう、みたいな書き方が多い。ルーターとかハブとか使うには専門的な知識が要る。しかし、だからと言って、使う人間が専門的な知識を持っているとは限らない。
 いつも思うのだが、初心者にも分かる説明をするには、初心者に近い人がする必要がある。自分がどのように分からないのかがよく分かっているから、初心者にどのように説明すれば良いかもよく分かる。
 説明がくどくたって構わない。分かっている人は読み飛ばせば良いだけの話である。

世界一星空のきれいな国ニュージーランド

2011年11月27日 | 暮らし
 「世界一星空のきれいな国ニュージーランド」と言うタイトルの番組を見た。夜空に隙間が無いくらいびっしりと星が光っている。本などで普段見ている星空と違って南半球の夜空なので、勝手が違うが、これが北半球の星空だったら、多分、星座など分からないだろう。それくらい満天の星なのである。
 私は星空に憧れている。数年前、小学生の時から欲しかった天体望遠鏡をやっと買った。火星や木星、土星などは満足に見えないだろうから、月が見たかった。赤道儀式だから天体の動きを追って望遠鏡を動かす事が出来る。
 その最初の設定が望遠鏡を北極星に照準を合わせる事だった。ところが、私の住んでいる所では北極星が見えないのだ。十二階なので、周囲の住宅などの明かりに邪魔されて、星がほとんど見えないのである。以前住んでいたのは五階で、幾つかの星は見えていたし、深夜、終電で帰って来て、バスも無く、駅から歩いて帰って来る途中にオリオン座が見えていたりしたから、まさか星が見えないなどとは思いもしなかった。
 で、泣く泣く、望遠鏡はしまって、そのままになっている。

 このニュージーランドの町は、世界遺産への登録を考えているそうだが、登録されたら星空が見えにくくなるのではないか、との危惧もある。世界遺産の土地だから、観光客が増えて、それを目的に様々な商売が始まる。それが町を明るくしてしまって、星空の美しさが損なわれる恐れがある。町の発展を考えると、痛し痒しである。
 でも、町の発展とは何なのだろうか、と考えてしまう。経済的な発展イコール町の発展だと言えるのだろうか。

 お金があって、どんどん進化するケイタイを買ったり、便利な電化製品を買える事よりも、満天の星空を眺められる事の方が大事だ、と私は思う。ケイタイで様々な情報を得るよりも、夜空を埋め尽くす星を見て、そこには様々な生物や文明がある事を思い、我々自身の事を考える方がずっと有意義だと思う。

2本目の電話番号をもらった

2011年11月24日 | 暮らし
 4日もブログを休んでしまった。仕事が立て込んで来ると、ブログを書いている暇が無い。読んでもらってもあまり意味の無い事は書きたくないので、短時間にさっと、と言う訳にも行かない。でも今日はあまり意味の無い事を書く。
 今までNTTだった光電話をKDDIに替えた。私は元来面倒臭い事が嫌いなたちで、そうした事は無視して来たのだが、今回は営業マンの説明が良く、いつまでもNTTの独占ではないだろう、と替えてみた。
 そこで、一つの電話で複数使えた番号が使えなくなった。私は第二の番号をFAX専用にしていた。番号が一つでもFAXはほとんど掛かって来る事が無いので大丈夫なのだが、電話が鳴ると、FAXも同時に鳴ってうるさくてかなわない。メーカーの言う配線に替えたのだが、それでも鳴る。
 それで、やはりもう一つの番号を復活する事にした。元の番号が使えないかも知れないとは覚悟の上だが、局番まで変わるのは嫌だなあと思い、KDDIに問い合わせた。局番は変わらないと言う。安心した。そして、電話番号が決まって連絡が来た。ところが、局番は全く別の番号である。で、係の人に、局番は変わらないと言う話だったのに、と言うと、その答が想像を絶する答だった。
 「ええ、市外局番は03で変わっていません」

 東京の電話で、局番がどうの、と言う話で市外局番が問題になるとは思いもしない。だから私は言った。「あのねえ、東京の電話が045や048になる訳がないじゃないですか。東京の電話で局番、と言ったら市内局番に決まってるじゃありませんか」
 東京は23区は03で、23区以外でも例外として03の所もある。それらくい03が広範囲で使われている。そして電話に出ている担当者は私が23区の外に移転するのではない事は知っている。それなのにこの対応である。
 ただ、よくよく考えて、無理もないのかも知れないと考え直した。どこかの市と接している境界線付近の人なら、03以外の所にも頻繁に電話をする事があるのだろう。そうした所に居る人は、電話番号を言う時には、常に03から始めるのだろう。だから、局番と言うと、咄嗟に市外局番を考えてしまったに違いない。
 そうは言っても、相手は電話会社の人間なのだから、電話番号については精通していて当然だと思う。

リライトのアルバイトに挑戦したが…

2011年11月13日 | 暮らし
 仕事が無いので、インターネットで「副業」の「執筆・リライト」を探した。一つは現在選考中だが、もう一つはすぐに依頼があって、早速作業に取りかかった。
 私はパソコンの入力はほとんどプロ並みで、リライトも経験豊富である。ところが、やってみたら、始めてだから段取りに手間が掛かるのは当然だが、結構大変である。11本のリライトをするのに、ほぼ一日半も掛かってしまった。それで単価200円×11=2200円である。
 書き始めの1本は2時間近くも掛かってしまったが、最後の2本は1本が25分ほど。それでも1時間当たり400円と激安である。
 現在のアルバイトの相場である1時間1000円に届くためには、1時間に5本の記事を書く必要がある。

 一つの記事で最低800字は書かなければならないのだが、元になる原稿が800字に届かない。分量はあっても、同じ事が繰り返されている事が多々あるので、筋の通る、分かり易い記事にするにはかなりの部分を省かないといけない。
 でもそうすると、分量が足りない。足りない分量の原稿をどのようにしたら規定の分量になる記事に仕立て上げられるのか。
 様々な資料を物色する必要があり、それでは手間が掛かってどうしようもない。普段から自分が考えている事が記事になるなら、効率は良いのだが、たいていがある同じような商品の宣伝だったりするので、そうも行かない。

 今回提出したリライトは、自分としては出来の良い方だと思っているのだが、相手がどう思うか。まあ、気に入られなければ次の仕事は無いだろうし、あった場合にもどのように時間配分が出来るかはその時次第になる。
 何事も汗と努力の賜物だと言うから、しばらくは汗をかき、努力をしよう。

被害の請求には、被害の実額の証明が要るのではないか

2011年11月06日 | 暮らし
 東京電力の被害者に対する賠償は細かな被害の明細を添付しなければならないらしい。あの地震で、息子が加害者の立場に立ってしまった。熱帯魚の水槽の水がこぼれて、下の家に洩ってしまった。熱の感知器と照明器具に水が入り、そこからベッドとカーペットに水が垂れた。その被害を私は当日見た。息子も帰って来て見た。
 熱の感知器と照明器具の損害はすぐには分からないとの事で、報告を待った。
 感知器は壊れていなかったが、万一の場合を考えて、新品に取り替える事にした。照明器具も同じ。残るはベッドとカーペットの水濡れに対する損害である。

 そして出て来た請求書がそれらに加えて壁とサイドボードのクリーニングが含まれていて、けれども明細は全く無いのである。壁とサイドボードは当日見た限りでは被害など見当たらなかった。本人の指摘も無かった。感知器だけは設置会社が調べているので、正確な金額が分かっている。聞くと、明細は無い、と言う。時間が経っているので、請求書など捨ててしまった、と言うのである。クリーニングは週に二回の室内クリーニングに含まれているので、明細は分からないと言う。
 そんな話があるもんか。相手に被害の弁償をさせるのだから、その被害に限った費用があるに決まっている。それが出せないのである。

 元はこの建物の管理組合の副理事長をしていた人である。元理事長に聞くと、ずるい事を考えるような人ではない、と言うのだが、一つ一つの正確な金額が分からずに、どうやって総額を出せるのか。それを追及すると、じゃあ、出る所に出ようか、と脅すのだ、と息子が怒って言う。もちろん、出る所に出ればそんな請求は通らない。ただ、こちらも時間もカネも掛かる。
 で、息子は言いなりに払ってしまおう、と言う。まあ、そんな大金ではないから、それでもいいかな、と思うが、筋が通らない事には変わりは無い。まあ、以前からこの建物じゅうで、一番うるさい夫婦だ、との評判だから(奥さんは2年前に亡くなっている)、面倒な事になるのも嫌だ、との思いもある。私は堂々とた立ち向かえるし、息子も自分は平気だと言う。しかし、母親が辛い目に遭ったら困る、と心配をする。そんな心配が杞憂には終わらないような、そんな性格の相手なのである。普段からの挨拶などでそれは分かる。

 この男性の奥さんは、私達が入居した時に、じきに我が家にやって来て、自分はガンの治療をしている。それなのに、お宅の洗濯機の音がうるさくて辛い、と言うのである。私はどのような音が伝わっているのかも確認せず、それは辛いだろうと同情して、すぐに洗濯機を取り替えた。多少古くはなっていた洗濯機だが、まだまだ十分に使えたし、新しいのが来るまで一週間も我が家は洗濯が出来なかった。後から、住人達に、そんな事する必要は無かったのに、と言われた。うるさい家だ、との評判はその時に聞いた。非常にがっちりとした構造なので、滅多な事では音漏れはしない。そしてその洗濯機はそんな騒音は出していなかったのだ。

 前に私は自分がどのような被害を相手に与えているのかを確認せずに相手に同情してしまった。だから今度はきちんとその被害を確認しなければ弁償をしたくない。そのためには被害を回復した支払い金額を知る必要がある。今、これを書いていても腹が立つから、私一人なら敢然と立ち向かうのだが、息子も妻も居る事だし、息子の言う通りにするしか無のかな、と思っている。

電気料金の原価に宣伝費が入っているのはおかしい

2011年10月23日 | 暮らし
 電気事業連合会の会長(関西電力社長)が、東京電力の経費見直しをした政府の第三者委員会の報告書に反論した。報告書は電気料金算定の基礎にオール電化を推進する宣伝費などが含まれている事を問題視している。
 会長は「我々は最大限の効率化を織り込んで原価を算定している。中長期的に見て電気料金が安くなり、低炭素化にもつながる。原価に織り込むのは適切だ」と言っている。

 しかし電力会社は独占企業である。おととい書いたが、読売新聞のコラムは九州電力に対して、「弊社がお気に召さない方は、どうぞ買えるものなら、よそから電気をお買いあそばせ」と言わんばかりの図太い神経には恐れ入る、と言っている。独占にあぐらをかいた商売で、何で宣伝費が必要になるのか。
 オール電化はガス会社に対する挑戦である。これ以上独占に大きな顔をさせてはならない。そしてオール電化がいざ事故が起きた場合にどうにも手の打ちようが無い事は、あの大震災で経験済みである。一つだけの手段に限らず、色々な手段を講じているのが安全で安心なのは誰もが心得ている。エアコンをガスにしても、その起動には電気が要る情況なのだから、電気があってガスがあって、それで我々の暮らしは上手く行くのである。それをオール電化にせよと言う。我々の暮らしなどどうでもいいらしい。
 どこまで行ってもカネの亡者から抜け切れない。

 ガス会社と言う他者を潰し、自分だけの繁栄を図るそんな自分勝手な企業の宣伝費を我々が背負う必要は毛頭無い。そうやって更にカネ儲けを企んでいる。我々の暮らしに損害を与え、その上、我々の懐まで圧迫しようと言う、その人でなしのやり方には我慢がならない。
 因みにこの会長の名前は、八木誠である。どこに「誠」があるのか。勝手な言葉「言」を「成」しているだけではないか。恥を知れ、と言いたい。もっとも、人でなしには恥も何もありゃしない。

東京の富士見坂が消えてしまう

2011年10月22日 | 暮らし
 東京の話だが、都内の山手線の内側で唯一富士山が望める地として残っていた荒川区の「日暮里富士見坂」から富士山が見えなくなると言う。6キロも離れた所に高層ビルが建ち、それで山頂と右側稜線だけを残して見えなくなるとのシミュレーションの結果である。地元は貴重な風景遺産を何とか残して欲しいと訴えているが、建設する側はそうは行かない。今から建設中止には出来ず、大変残念だが、御理解頂きたい、と言っている。

 でも、風景遺産がどんどん無くなっているのはもうずっと前からである。唯一の富士見坂だからこうした展開になるのだろうが、貴重な風景遺産は様々にあったはずである。それをまるで考えずにどんどん高層建築が建って来た。私は常々、高層建築ばかり多くなって嫌だなあと思っている。だから、ヨーロッパの都市のせいぜ五、六階建ての建物が中心の風景を羨ましく思う。
 高層なんて少しも美しくない。単に貧乏臭いだけである。そうでしょう。土地を何十倍もの価値にして金儲けしたいだけの事なのである。欲の深い話だから、切りが無い。建てられれば奴等は百階建てでも建ててしまうだろう。あの東北大震災で、東京の湾岸にある高層マンションからは抜け出したいとの希望者が増えていると聞く。私の住まいは12階だが、やはり出たいと思っている。13階や14階の人も皆同じ事を言っている。でも簡単に売れて、別の物件を買うのは難しいから、皆あきらめているらしい。

 たとえ地震で倒壊しなくても、エレベーターは止まってしまうし、どうしようも無い。私の所など、牽引のケーブルが切れて、四日間もエレベーターが使えなかった。
 何で企業は東京にばかり集中するのか。一つには原子力村のような一カ所集中の利点がある。これまた金儲けである。
 本当にガリガリ亡者どもが、寄ってたかって東京を住みにくく、醜くしてしまう。

 富士山と言えば、私の住まいからはほとんど遮られる事なく、富士山が見える。手前の丹沢山塊の姿も見える。でもそれも一年の内の限られた季節と回数である。富士山が見える事は楽しいが、だからどうなんだ、とも言える。富士山が見える見えないに関わらず、高層建築の野放し状態は何とかしてもらいたい。

良い本の校正は楽しい

2011年10月11日 | 暮らし
 先日急ぎの校正を頼まれた。急ぐのはあまり嬉しくはないが、その校正は私の知らない有用な事の書かれている本だった。自然食品の話である。なぜ自然食品が体に良いのかが、分かり易く丁寧に書かれている。そうは言っても、完全に実行するのは私にはとても難しいが、一部だけでも取り入れたい。
 そして国がいかに食品の正しい表示について不熱心なのかも分かった。食品に関連する仕事をしているにも拘らず、食品に対する知識が欠如しているのが原因である。それで国の重要な仕事が出来ていると思っているし、現実に出来ているから恐ろしい。
 私の知らなかった事の一つを挙げる。かつお節の表示である。

 かつおをさばいてて成形し、ゆでた物が「なまり節」である。なまり節を燻煙乾燥させた物が「荒節」である。荒節にカビ付け処理をして熟成させた物が「本節」または「本枯節」である。
 一般には荒節の段階で削って製品化した物が多く流通している。
 普及品はかつおの荒節を削った物で、「かつお削り節」と表示される。
 高級品はかつおの本枯節を削った物で、「かつお節削り節」と表示される。

 何と、普及品と高級品の表示の違いは「かつお」と「かつお節」の、「節」の有る無しの違いに過ぎない。大体、我々は「かつお削り節」と「かつお節削り節」の違いに気が付かない。そして更には、荒節と本枯節の違いがある事も知らないし(別に威張って言う事ではないが)、その違いがわずかの表示の違いで示されているなどとは思いもしない。まあ、値段がかなり違うはずだから、それで分かりそうだとは思えるが、店頭の値段なんて、当てにはならない。

 校正の話に戻るが、自慢ではないが、私の校正はいわゆる「ざる校」ではない。ざる校とはぼろぼろと漏れている事が多い校正である。そして表記よりも書かれている中身に重点を置く。書いてある事に間違いは無いか、が最も重要になる。そうは言っても、知らない事の校正ではそれは完璧には出来ないが、完璧に近付く事は出来る。文章を正確に読み取る事でそれが可能になる。前後の文脈も総合して、書かれている事が正しいのか間違っているのかはほとんど分かる。
 中には、うっかりと文章がおかしくてその結果間違った事を書いている場合がある。それも、文章のおかしさは分かるから、簡単に間違いが分かる。ただ、本当に文章が下手な執筆者も居るから、文章が悪くて結果的に間違ってしまっているのか、初めから間違っているのかの区別が出来ない場合もある。けれども、全体を読んでいれば、それも分かって来る。

 私は言葉に関してはプロだと自負しているから、いい加減な事では済まさない。けれどもあまり細かい指示を入れると、多分、編集者も執筆者も嫌になるだろうから、そこは抑えている。校正は結局はあら探しである。あらを探すには真剣になって注意深く見る必要がある。人の振り見て我が振り直せ、と言う。校正をしていると、文章はこうあるべきなのだ、と痛感させられるから、私にはとても役に立っている。