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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

舛添氏のお粗末さ

2010年03月22日 | 政治問題
 少し古いニュースだが、何かと話題に上る自民党の舛添要一氏が鳩山邦夫の離党問題で次のように語っているのをテレビが伝えた。
 「鳩山政権を倒す事が国民のためになる訳ですから……」
 冗談じゃない。それはあんた達のためになるのであって、国民のためになる訳じゃない。なぜなら、国民は民主党を支持したのだ。だから民主党政権が誕生したんじゃないか。政権発足わずか6ヶ月で内閣支持率が4割を割ってしまったが、それは鳩山政権を全面的に支持しないのだ、との意思表示ではないはずだ。単に内閣の人気投票ではないか。そしてその不支持は政権の方針に対してではない。政治とカネに対する不信感なのだ。だから、鳩山政権が国民の支持を全面的に失っているのだと言うのなら,自民党のどのような政権に対しても全く同じ反応が起きるはずである。カネまみれなのは、自民党の方がずっと年季が入っている。

 舛添氏のこの発言で、同氏を始めとして、自民党がいかに皮相的な見方しかしていないかが明確に分かってしまった。彼等が考えている事は絶対に「国民のためになろう」ではない。政権の争奪戦しか考えていない。国民が本当にどう考えているのかをまるで歯牙にかけず、自分達の利益だけを重んじている。国民のためになる良い政治とは何か,ではなく、単に自分が政権与党になりたいだけの事である。だからこそ、「現政権を倒す事が国民のためになる」などと短絡的な事を安易に口走るのである。
 国民のためになる良い政治と、自民党と同じようにかけ離れているのが民主党にすり寄っている公明党。そんなに民主党が好きなら、何で自民党とくっついていたんだ。国民のための政治なら、自民とくっついていた時だって、そう主張したら良かったではないか。

 私の周辺では参院選を楽しみにしている人が少なくない。民主党がどこまで落ちるか、自民党がどこまで駄目なのか、を見届けたいと思っている。みんなの党が森派だってよ、と、そうした人達に話してみたが、森なんかもう力が無いんだから、大丈夫だよ、と言う。そう、民主党だって、小沢の力が無くなれば、もっとずっとすっきりと人気のある党になれると思うものね。でも本当に不思議な人ですねえ、小沢って人は。抜け目が無いのか、抜けているのか、わたしゃ、さっぱり分からない。

「与党のうまみ」とは何か

2010年03月20日 | 政治問題
「与党のうまみ」とは何か
 1週間前の東京新聞に〈手放せぬ「与党のうまみ」〉の見出しの記事が載った。そこに政治評論家の次のような言葉があった。
  「一度、与党を経験すると、与党でなければ組織が維持できなくなる。いわば禁断の果実を食べてしまった」
 これを記事は「と、与党のうまみを指摘する」と書いている。
 一度与党になると、与党でないと組織が維持出来ないとはどのような事なのか。それが「与党のうまみ」と言うからには、与党とは相当旨い物のようだ。しかも「禁断の果実」なのである。アダムとイブは禁断の果実を食べてしまったがために、楽園を追われた。そこから人類の苦難が始まっている。
 つまり、与党とは苦難知らずの「濡れ手で粟」なのらしい。それは誰もが知っている事のようだが、具体的な姿をあまり知らない。許認可の利権で業者側からは大枚のお金が貰えるんだろうなあ、とは薄々感じているが。
 そして、与党でないと組織が維持出来なくなる、と言うからには、党内のすべての人々が旨みを味わっていると言う事になる。それが与党であればこそなのだ、とつくづくと感じている、と言う訳だ。

 そんな奥歯に物の挟まったような言い方をしないで、もっとはっきりと言ってくれよ、と言いたい。
 この記事と同じ頃、「高速料金上制限 先送り」の大きな見出しが新聞に載った。「JRなどに配慮」とある。高速道路の料金を引き下げる事でJRの乗客が減る事を懸念していると言う意味だ。もちろん、配慮しているのはJRに対してだけではなく、フェリー会社に対してでもある。ただ、フェリーはJRなどとは違って大打撃になっている。それだって、あまり必要もないような海上橋を作った事が要因になっている。確かに車で島と島が繋がるのは便利ではある。だが、その便利さと引き換えに失われる物もある。一概には言えないが、往々にして、その失われる物の方が便利さよりもずっと貴重だったりする。それは過去の多くの事柄が雄弁に語っている。もちろん、橋の工事で潤沢にカネが回って来た人々が存在している。
 そのJRに対する配慮だが、これは国鉄を単なる利益優先の民間会社にしてしまったがために考えざるを得なくなっている事である。こうした配慮に関して、国民の利益とは幸福とは、と言った観点がまるで無いのが特徴である。
 つまり、これまもた与党の旨みなのか。JRやその他の業界に配慮する事によって、大きな利益を与党として得られるのではないのか。
 トラック業界の一部は、現行の割引制度よりも割高になるケースがあるからと反対しているらしいが、それがJRの利益を守る事の応援になってしまうのは筋が違う。消費材の運搬費を安くしながら、高速料金も引き下げる事は出来るはずだ。たとえ、それがJRの利益減少に繋がるとしても,一体どちらが優先されるべきなのか。
 マイカーの通行料金も引き下げになるから、そうなると、マイカーへの配慮とJRへの配慮と、どちらを優先するかは難しい問題だと思うが、それはマイカーは果たしてそれほどにも必要なのか、とか国鉄の民営化はどれほど国民の利益になっているのか、と言うような大きくて難しい問題にも関わって来る。従って、簡単に結論の出るような話ではない。
 弱気で周囲に要らぬ気を配っている鳩山首相や利権の巣窟のように見える小沢幹事長がワンマンぶりを発揮している民主党内閣に出来るような事ではないだろう、と私は思っている。

自衛隊違憲論法

2010年03月13日 | 政治問題
 最初に。以下には私の考え違いがあるかも知れない。情けない事に、普段あまり考えた事が無かったので。
 自衛隊は違憲だと言う意見がある。複雑な事は私は苦手なので、よく分からないのだが、自分の国を自分で守るのがなぜ憲法違反になるのだろうか。そして他国、アメリカに守ってもらう事は憲法を遵守している事になるのか。社民党の福島党首が自民党に批判されて渋々と合憲と認めたとニュースが伝えているので、改めて考えさせられた。
 自分で守ろうと、他人に守ってもらおうと、結果としてはよく似ている。もちろん、他人に守ってもらう方がずっと危なっかしい。その他人がいつ敵に回るか分かったもんじゃない。防衛してもらう事は憲法遵守だと言うのなら、そんなのは売国奴的発想だと私は思う。自らの手を汚さず、汚い事をするのと全く同じではないか。いやいや、責任を他人に押し付ける事になるのだから、もっと悪質である。
 自衛隊は違憲だと言うからには、どうしたって、アメリカに守ってもらわなければならなくなる。そうしたら、普天間基地の移転なんか、冗談じゃない、と言う事にならないか。社民党は一体日本がどうなれば良いと考えているのだろうか。

 自分の国は自分で守らなければならない、と私は思う。だからこそ、日本国憲法は戦争をする事を禁止しているのではないのか。自衛と戦争を仕掛ける事は全く違う。
 非常に重要な事を、その実質を考えずに安易に表面的に考えてしまう傾向が我々にはあると思う。とても重要な、自衛隊が違憲なのか合憲なのかで対立していて、どうして同じ政権を担えるのだろうか。これは日本の基礎ではないか。民主党が社民党と国民新党と連立を組んだ事を私は唾棄すべき事だと思っている。単に参院で多数派になりたいがために、節操を守らない、としか見えない。そんなだらしが無い事をするから、国民の支持率が2%にも満たない弱小政党に付け入れられるのだ。そしてそんな弱小である事を歯牙にもかけず、堂々と自説を述べて威張っている二つの弱小政党に私は嫌悪と言うか、憐憫と言うか、そんな感情しか持てない。
 前にも言ったが、2%にも満たない政党が過半数の支持を得た政党と同じつらをするのは、明らかに欺瞞であり、詐欺行為である。選挙できちんと自分の意思を表明した国民への裏切り行為その物である。この2党は国民を舐めていると思う。 

アメリカとの外交密約

2010年03月11日 | 政治問題
 アメリカとの外交上の密約が、以前からあるある、と言われ続けて、政府は無い無いと否定し続けて来た。政治家達は日本の存立にとって苦渋の選択だった事は認めよ、と言う。確かにそれはあるだろう。無理を平気で押し通す大国アメリカを敵に回さないためには、仕方が無かったのだろう、と思ってしまう。
 だが、秘密にすると言う事は、国民には嘘をつく事になる。それは国民が真実を知ったら怒るだろうと言う事を意味する。ならば、国民はアメリカを敵に回しても構わないと考えていて、それは日本の国益には反する、と言う事になってしまう。そんな馬鹿な話は無い。アメリカが敵になるとはどのような事かもきちんと理解しているはずだ。だから今だって、危ない牛肉は拒否すべきだ、と堂々と言っている。郵政民営化など、アメリカに押し切られたのは、政府とマスコミが揃って国民を騙したからに過ぎない。アメリカこそ日本を敵に回しては駄目な事を知っているはずだ。日本に力があるからではないだろう。そんな事をしたら、アメリカは世界で孤立してしまうからだろう。

 秘密にせずに堂々と公開した場合に、国民はどのような対応をするだろうか。自分自身に深く関わる事なのだから,いい加減に判断するはずが無い。いや、国民は信用出来ない、と言うのは思い上がりである。本能的に察知する力は庶民の方が強いと思う。
 政治家だけが、時の首脳陣だけが正しい道を知っているのだ、などと思い上がったり、国民が変にへりくだったりする事はやめるべきだ。そんな大事な事なんだから,それこそ民意を問うべきなのだ。国民のみんなが道を誤るなら、それはそれで仕方が無い。それだけの覚悟を持って意思表示をしているはずだ。だからこそ、普段から国民が正しい判断を出来るような方策を取っておくべきなのだ。それを全くして来ていない。
 信じられない事だが、いまだに「知らしむなかれ」の精神が生きているらしい。それが政治の世界だけではなく、マスコミの世界でも通用していると言うのだから恐ろしい。

 首脳が密約を結んだのは、ひとえに自分達の身の安全のためではないのか。国民を平気で裏切って何とも思わない。国の頂点に立つと言う事は、いざと言う時、国のために犠牲になるくらいの覚悟が無ければ出来ないのではないか。覚悟の有無はともかく、アメリカに背いて抹殺された人々の事を我々は知っている。少なくとも知っているつもりだ。

日本はまさに米国の52番目の州。いや、それ以下だ

2010年01月31日 | 政治問題
 私のブログ、「三権分立に本当になっているのだろうか」に、流蛍さんが「証拠をお見せします」とコメントを送ってくれた。ところが、「証拠」が消えていた。再度送ってくれたが、それもまた消えている。そこでメールで送り直してくれた。様々な問題を含んでいるし、私一人で読むのはあまりにももったいないので、ここに御紹介したい。

小沢氏は夏木さんが説くように、金権政治家かもしれませんが、それは何の証拠も無く、マスゴミが一方的に流している噂にすぎません。同じことをやっている政治家はたくさんいると思われるのに、なんで今、小沢だけが狙われるか、なのです私が疑問に思うのは。
それに倫理的にいえば、金権政治はけしからんのであって、夏木さんに同感なのですが、法律で罪とならないものは、罪ではないのです。悔しくてもそれが法治国家というものです。
小沢の場合は政治家が4億円ももっているなんて、ということだけで、彼ほどのベテランが法律を抜け道にして金儲けをしたとバレるようなことをするはずがありません。
「なんとなく、けしからん」ばかりが先行しており、それだけをマスゴミが煽ってるのが露骨です。

以下もまた妨害されるかもしれませんが、
検察がなぜ法律で取り締まれない話をでっち上げるかを理解できる話なので、お送りします。

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[小沢一郎ネタ] 福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る?検察の暴走と恐怖

「知事は日本にとってよろしくない。抹殺する」
取り調べ中の検事の言葉です


「私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう……」

<東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは「栄佐久氏の悪口を何でもいいから言ってくれ」「15分以内に言え」「想像でいいから言え」「もう図は完成していて、変えられないんだ」と執拗に迫られたという。>

「いま『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」

<佐藤氏も約50日間に及んだ拘置中に精神的に追い込まれ、ほぼ全面的に供述してしまった。>

「逮捕後2日間は検事と怒鳴り合っていましたが、次第に『私が自供すれば支持者は解放される』『早く“火の粉”を消さなければ…』『検事に身を任せよう…』と思うようになったのです。私は“ストレイシープ(迷える羊)”になっていました」

<一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。>

「検察に『私から“天の声”を聞いた』と証言した元県幹部は、私の事件に絡み、競争入札妨害罪で特捜部に逮捕されましたが、起訴を免れました。公判の過程では、この人物の口座に約3000万円の出所不明な入金記録があることが発覚。特捜部はこのカネの流れを取引材料に県幹部を締め上げ、“天の声”をデッチ上げたのではないかと思っています」

特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った
<東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞ヶ関官僚の行動原理の縮図」と映る>

「ダム建設や原子力行政と同じで、一度決めた方針を覆そうとしない。いかにムチャな方針だろうと、保身に走って突っ走ってしまう。完全に『経路依存症』に陥り、捜査そのものが自己目的化しています。検察の正義は国民にとっての正義であるべきなのに、国民不在の捜査が今も続いています。政権交代を選んだ国民の意思を踏みにじってまで、強引に小沢捜査を進める必要はあるのか。はなはだ疑問です」

<佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。>

「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになった。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思う、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

<佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。
小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>

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小沢捜査?何が目的で誰のためにやっているのか


検察の捜査を見ていると、つくづく、こう感じてしまう。とにかく、その執念のすさまじいこと。政権交代前から、執拗に小沢を追いかけ、まさしく、政治生命を抹殺しようとしているのが歴然だ。

ターゲットは小沢ひとり、それも狙い撃ちではないか。小沢が角栄のごとく、誰が見ても黒幕、巨悪であるのならば、それも分かる。しかし、政治団体が不動産を買うのはおかしいだとか、岩手ではゼネコンは小沢に逆らえないとか、“この程度”で巨悪か?

小沢がクリーンな政治家だとは言わないが、少なくとももっと露骨で、金に汚い政治家はゴマンといる。検察の捜査には大きな疑問符がつくのである。
(中略)

本来であれば、特捜部が暴走すれば、検事総長がストップをかける。しかし、樋渡利秋検事総長は赤レンガ組の法務官僚で捜査の現場経験がない。それが佐久間の暴走を許している。

「それと、誰が指示したわけではないが、霞ヶ関全体が検察を応援しているという側面もあるでしょうね。小沢幹事長の政治生命を潰せば、永田町は混乱する。政治が混乱すれば、役人の出番になる。そんなアウンの呼吸が検察を後押ししているのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

よこしまな野心や怨念、権力闘争。さまざまな側面が見え隠れするのだが、少なくともそこに正義はない。これが小沢捜査なのである。

(日刊ゲンダイ 2010/01/27掲載)

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デフレ大不況下で国民は苦しんでいるというのに、国会は予算そっちのけで政治とカネの問題に明け暮れているが、事態はそんな状況ではない。
検察の狂奔、暴走捜査のおかげで国民は殺されかけようとしている。

また、コメントによる情報提供を紹介します。

★週刊朝日、検察リーク認める!! (⇒2010/01/26 「日々坦々」)

★石川知裕議員逮捕は違法逮捕だった! (⇒2010/01/26 「トニー四角の穴を掘って叫ブログ」)

ということで「週間朝日 2/5号」を買ってみました。
ジャーナリスト魚住昭氏と郷原信郎元検事の対談記事の最後で、魚住氏はこう言っています。
<(小沢氏の)弁護士はおそらく公判対策上、小沢氏に説明するなって言っているんじゃないかな。説明したら、検察にその矛盾点を突かれますからね。
その事情はわかるんですけど、もうそんなことを言っている場合じゃない。検察と相討ちになるくらいの覚悟でやらないと、日本の政党政治がダメになってしまいますよ。
小沢氏が日本に真の議会制民主主義を根付かせるために働いてきたというのなら、多少向こう傷を負ってでも、その気持ちに殉じてほしい。>
“これはヒドイ!”というのが分かります。買う価値はあると思います。




検察と小沢氏の問題で、私は間違って考えているらしい

2010年01月28日 | 政治問題
 検察の謀略に私が気づいていないとコメントを頂いている。確かに私は甘過ぎるらしい。私は国家権力は非常に危険で恐ろしい存在だとは思っているのだが、今回、小沢氏の何か庶民を馬鹿にしたようなやり方に目をくらまされた。これは言い訳になってしまいそうだが、小沢氏に目を奪われるとそうなってしまうのではないか。
 小沢氏対検察で、小沢氏の肩を持てば検察が悪くなる。検察の肩を持てば、小沢氏が悪くなる。我々は「正邪」の戦いだと思っている。まさか「正正」の戦いとも、「邪邪」の戦いとも思わない。本当は、私は「邪邪」の戦いで、「邪」の程度が大きいか小さいかの違いだと思っている。

 以前、当時の橋本首相に現金1億円を提供したとの話で、本人は知らぬ存ぜぬで通し、村岡長官が罪人になってしまった。この時、裁判長は村岡氏無罪の判決を下し、せめて今日一晩くらいはゆっくりと桜を楽しんで下さいと口頭で付言をした。その後またまた有罪となってしまった。
 この事件でも、多くの人々は1億円もの現金を知らぬはずが無い、と思った。今回はもっと多額の金だ。事務責任者に任せたから自分は全く知らない、との話は通らないと庶民は思う。だから小沢氏対検察の構図が正しく見えなくなる。人の善意を信じている庶民も少なくない事を考えれば、小沢氏のだんまりは判断を誤らせる危険があると思う。
 真実、公明正大だと言うのなら、堂々と詳細を公表すべきではないのか。政治資金には庶民の税金も入っている。我々の台所情況などは、個人であれ法人であれ、洗いざらい出す事になる。大金を使って「合法的」な節税方法を編み出す事など不可能だ。だから、思慮の浅い人間はざるのような脱税をして捕まっている。
 小沢氏のような立場の人ならどのような「合法的」な手段をも手にする事が可能だ。「合法」なのだから、何も躊躇する必要は無い。

 世の中の汚い仕組みをよく知らない人間を誤解させるような事をして、一体、何の得があると言うのだろうか。真実、小沢氏に何の後ろ暗い所が無いと分かれば、そんな事を突っついて小沢氏を陥れようとした検察に対する世間の非難はそれこそごうごうたる物になるはずだ。それほど我々は馬鹿じゃない。私は馬鹿だが、それほどの馬鹿ではない。

政治資金の収支報告書を国会議員が見ないなんておかしい

2010年01月27日 | 政治問題
 鳩山氏も小沢氏も大臣達も、みなさん、信頼出来る人に任せているから報告書など見ないとおっしゃる。そして、その信頼出来る人がミスを犯したら、その責任はミスを犯した「信頼出来る人」に被せられる。それで良いのだろうか。信頼出来る、と判断したのは任せた議員である。結果としては信頼出来なかった訳で、それなら、信頼出来ると判断したのが間違いだった訳で、その責任は議員が取るしかないではないか。任せる、とはそうした事である。
 自分が出来ないから他人に任せる。しかしだからと言って、任せっぱなしで良いと言う事には絶対にならない。細かい事柄は任せるが、大本の所はしっかりと握っているはずだ。大本の所まで他人に握られてしまうようなドジな事を議員たる者がするとはとても思えない。そんなお人好しのタマじゃないんだから。一癖も二癖もあるような人間が議員になっているケースが圧倒的に多いんだから。

 それにしても国会での菅大臣の答弁には本当に頭に来たね。私は彼が好きだし,この人なら何かやってくれると期待している。それなのに、自民党の森まさこ議員が、「全大臣にお尋ねします。収支報告書を見ているかいないか」と質問したら、彼は何と「私は全大臣と言う名前ではない。ちゃんと菅と言う名前を持っている。だからそんな質問には答えられない」とぬけぬけと言ったのだ。
 馬鹿を言うもんじゃない。そんな形式的な事にこだわっているから、せっかくの民主党政権に対する失望感はますます高まってしまうのだ。自分の駄目な所をそうやってごまかそうとする所など、彼自身が暴いた旧厚生省の役人の腐敗と全く同じではないか。

 人の本質は本当に何気ない所に現れるものである。無防備な部分だから、何の対策もしていない。しかし、庶民はそうした部分に敏感に気付く。多くの人が本音で生きているからどうしたってそうなる。裏の世界とか難しい事を考えなくても、いや、そんな事はとても考えられないから、自分の分かる事だけで判断している。それについて誰も批判など出来ない。
 そうでしょう。そうした言うならば「無知で善良な」庶民によって議員は選ばれているのだから。我々は「無知で善良」であってはならない。悪い奴らが権力を持ってのさばっている世の中では、「善良」は通じない。奴等に立ち向かうためには「ずるく、悪く」なる必要がある。それは方便であって、悪い奴らが一掃されれば、我々は元の「善良」に戻ればいい。「ずるく、悪く」なるには知恵が要る。それは「無知」では出来ない。

 新聞もテレビも見なければ始まらない。でも見たそのままを信じてはいけない。こう書いているけど、こう言っているけど、本当かな、と思う必要がある。それは少しずつやって行けば、いつかは「習い性」になる。自分の都合の悪い事だけに疑いの目を向けるのではなく、都合の良い事にも、あるいは何の関係も無さそうな事にも目を向ける事で、そうした習慣は身に付くと思う。
 だから私は「騙されないために」と言う単行本一冊分の原稿を書いた。テレビは証拠が残らないので、新聞や書籍、辞書などの書いている事柄を対象にしている。我々は年中、そして至る所で騙されている。どこか世を憂える出版社が出してくれないかなあ。

天皇誕生日とA級戦犯の処刑

2009年12月24日 | 政治問題
 12月23日の天皇誕生日がA級戦犯の処刑日だったとは知らなかった。知人がラジオで聞いたと言う。皇太子殿下の誕生日が来るたびにA級戦犯を思い出せようと言う魂胆だったらしい。皇太子はいずれ天皇になる。そこまで考えていたのだろう。何とも恐ろしいGHQのやり方だ。偶然だとすれば、何でこんな押し詰まった時に処刑をしたのかと疑問に思う。
 日本国民は天皇の誕生日を祝うたびに、A級戦犯の事を思わなければならず、それはひいては昭和天皇の戦争責任を問わせる事に繋がる、と普通は思う。
 ただ、昭和天皇の戦争責任に関しては両論がある。
 一つは,昭和天皇は戦争責任を逃れるために、戦犯にその罪をなすり付けた。
 一つは、昭和天皇は戦争の責任はすべて自分にあり、国民に罪は無い、とマッカーサーに訴えた。
 私は後者だと信じている。おめでたいと言われようが、何と言われようが、それが日本人としての誇りだと信じているからだ。
 ただ、A級戦犯に関しては複雑な事になっている。アメリカを主体としたあの裁判の正当性についての問題と、戦争を遂行した政治家達の日本国民に対する責任問題と、この二つがごっちゃになっている。そこに靖国神社で合祀する問題が絡んでいる。

 こうした事を一つ一つ切り離して、きちんと考えるべきだと思う。
 ノーベル平和賞をもらった佐藤栄作が、核持ち込み禁止にしておきながら、いざと言う時には沖縄のそれも明確に基地を指定して、持ち込みを許可する文書を裏で交換していたと言う裏切り行為がある。多分、裏では本当に日本国民を裏切る行為が幾つも、しかも今もなお行われているに違いない。
 我々は本当に善良過ぎると思う。日常生活においては、相互信頼は絶対に必要だ。だが、事、政治に関しては下手な信頼は自分を窮地に追い込む事にしかならない。鳩山首相のぐだぐだした言い訳を聞かされてなおの事、そう思った。

亀井さん、態度が大きいのでは?

2009年12月16日 | 政治問題
 衆参両院合わせて2%にも満たない国民新党が、民主党と連立を組んだからと言って民主党と同等の態度を取る事に私は大きな不満がある。自民党だって50%に近い支持率がありながら、小選挙区制のために議員を出せない選挙区があって、負けたのだ。そうした大幅な支持率を持った政党が黙っているのに、わずか2%ほどの政党が大きな顔をしている。
 これは選挙制度のおかしさだ。一票の差を問題にする人々もいるが、それよりももっと大きな差別がある。確かに50万人に選ばれた議員と20万人に選ばれた議員とが同等では、30万人の人の意思が無になると考えられる。しかし小選挙区制では50万人もの人の意思が無視される場合も少なくない。

 全国の選挙区をならして、頭から順番に当選を決める。そうなると、多分に選挙民の多い選挙区の候補者が有利になるだろう。しかし、だから一票の差は無くなる。ただし、それだと人口の少ない地域の意思が反映されなくなる恐れがある。地域の特殊性と人口の多寡は関係が無い。
 さて、これを何とか整合性を持たせる工夫をするのが議員達の役目ではないのか。誰もが既成の体制にのほほんとして乗って、単にその時々の勢力争いに夢中になっている。確かに選挙制度を抜本的に改革するのは難しいだろう。だが、その難しい事をするのが議員の仕事である。誰もが出来る事だけをしているのでは、誰だって議員になれる。現在の議員達は世襲だったり、看板があったり、地位があったり、それが、それだけがとは言わないが、それが議員の資格になっている。
 だから目新しい事は何も出来ない。今度の民主党政権の各省庁の仕事の仕切は、我々の待ち望んでいた目新しい仕事の一つだと思う。初めての事なんだから、失敗など恐れていてはいけない。思慮が足りないとか何とかかんとか言う人々が居るが、それは無責任な雑音と考えるべきだと思う。何事も最初から完全に出来るはずが無い。

●世界一のスーパーコンピューターが必要な理由
 スーパーコンピュータへの予算削減で、ノーベル賞受賞者の野依氏がアメリカや中国に遅れて後世に恥をかいた、その責任を誰が取るのかと言っている。そしてスパコンに対する予算の削減は見直された。
 でもさあ、世界一のスパコンでなければ駄目だと言うその理由は何なんだ?
 世界第二位だったら、第一位のスパコンのような研究が出来ないとでも言うのか。一位とか二位などと言うのは単なる比較の問題だ。たとえ世界一位だとしても、その質がとても威張れた情況ではない事だってあり得る。
 要は、スパコンを使っている人の素質次第になるのではないのか。
 「世界一」の言葉に騙されてはいけない。我々はともかく、ノーベル賞受賞者が騙されていては駄目だろう。いや、そうじゃない。彼は騙されてなどいないだろう。「世界一」の言葉で我々を騙しに掛かっているに違いない。そうでもなければ、あまりにも考え方が幼稚だと私は思う。
 世界一のスパコンで、一体学者達は我々のどのような幸福を保障しようと言うのだろうか。私は、学者としての満足感以外の何物でもないのでは? と疑っている。

連立政権とは何か

2009年12月09日 | 政治問題
 民主党副総理の管さんと国民新党の亀井さんがドンパチをやったとテレビで騒いでいる。取材陣が退場したあとだから、残念ながら、我々はその絶好の見物を見る事が出来ない。こうした時こそ、その人の本質が現れるから、本当は我々国民が見なければならない場面なのだ。取材されていないからこそ、やったのかも知れないが。
 亀井さんは「連立政権なんだから、民主党の勝手にはさせないよ」と言っているらしいが、そんなに大威張り出来る立場なのかなあ。政権交代が実現したこの間の衆議院総選挙で民主党が獲得した議席数は308、それに対して国民新党は3、社民党は7である。まあ、参議院では民主党の議席は全体の48%、115だから、連立が必要になるのは分かる。で、参院での議席数は国民新党が5、社民党も5である。
 衆議院も参議院もそれこそたいした数ではない。

 「連立」の意味を国語辞典で調べた。
・幾つかのものがそれぞれに位置を保ちながら、全体で一まとまりになっている。並び立つ。
・同じ資格を持つ者が二人になる。ぞれぞれの性質・立場・主張などは違うが、ともかくまとまった一つの組織を作る。
・二つ以上のものがならびたつ。
・二つ以上のものが並び立つ。いくつかのものが並び立ちながら、全体として一つにまとまっている。
 これらの説明に共通するのは、「全体で一つになる。それぞれが並び立つ」である。全体で一つではあるが、それぞれが並び立っている所に「連立」の意味がある。ではその「並び立つ」の意味は?
 これは同等のもののはずである。一つの辞書は明確に「同じ資格を持つ者が」と言っている。それでも小型辞書ではあまり明確ではないが、大型の『大辞泉』では次のように説明している。
1 並んで立つ。
2 対等の位置に並ぶ。同等の勢力をもつ。「諸大国と並び立つ」「両雄並び立たず」

 この説明で明確に分かるように、同等の勢力を持たなければ並び立てない。この場合の「対等」と言うのは「あなたも私も人間としては対等なんですよ」と言うのとは意味が違う。
 さて、それで、国民新党は民主党と同等の勢力を持つと言えるか。国民は民主党を支持してあの選挙結果になった。国民新党を支持してでは絶対にない。それをまるで、国民の支持は国民新党も民主党と同じだ、と言うのは間違っている。「連立」の言葉を自分勝手に、自分に有利に解釈しているに過ぎない。亀井さんがどのように考えようと自由だが、結果として、衆参両院を合わせて58.6%の民主党とわずか1.1%の国民新党が同等だと言うなら、選挙民を愚弄している。1.1%の意見に58.6%が歩み寄らなければならない道理は無い。それでは選挙は何の意味も持たなくなる。
 参院で過半数にするために連立を組んだ事は、それが政治手法として正当だと言うなら仕方が無いが、私は情けないと思う。そしてその民主党の弱みを利用したかのように見えてしまう亀井発言は筋が通らないと思う。