なのはな村通信 (都城市 社会福祉法人なのはな村)

宮崎県都城市「社会福祉法人なのはな村」理事長・フジサキが発信するブログ。日々のよしなしごとを、つれづれなるままに。

4月19日

2013-04-19 18:13:02 | なのはな村日記

フジサキ、「宮崎県社会就労センター協議会」の監事を仰せつかっていまして、きょうはその監査の日で宮崎市まで出かけました。

 

ただ、その要件だけでは時間がもったいないので、少し増えてきた自然卵の売り込みも兼ねて、です。こちらは、結果、良しです。

 

本題に戻りますと、ただでさえ数字に弱いフジサキですから、頭の中がぐるぐる回るだけで数字に追いつけません。

もう1人の監事の方が、経営の神様という異名も持つお方なので、そのお方の支持通りにページをめくるだけで、終りました。

 

あ~あ、疲れた。一仕事終えてのお昼ご飯、おいしかったです。

相棒監事の、福祉事業所のお弁当でした。

豪華! です。


4月18日

2013-04-18 08:43:07 | なのはな村日記

花いっぱい!

 

もうすぐ、緑肥として田んぼにすき込みます、レンゲの花

 

早く空を飛びたい、たんぽぽの花。

 

にわとりさんのおやつになります、ブロッコリの花。

 

「蕎麦・遊楽」店頭を飾る花・花。

 

おまけは、来年もよろしく、たけのこ。


4月17日

2013-04-17 17:05:14 | なのはな村日記

最高裁が、水俣病認定。

新聞の、大きな見出しです。

 

最近は、水俣との行き来はあまりありませんが、以前は水俣で胎児性の患者さんとワークショップをしたり、有機生産物を扱う反農連とは生産物の交流もありました。

又、水俣のみなさんがなのはな村のおまつりに来て下さったりと、熱い熱いお付き合いを重ねていました。

反農連、正式名称は「反農薬生産者連合」と言い、寄って行くと切られてしまうような凄みのある名称でしたが、中身は優しい優しい方たちばかりでした。

現在は「はんのうれん」が正式名称です。

 

水俣の痛みがフジサキにどれほど分かるか、と言われると俯くしかありませんが、

宮崎県の土呂久と水俣は、フジサキの中に錘のようなものを下ろしています。

 

ところで、きょうの新聞紙上で石牟礼道子さんが語られています。

最後に、「かすかな、かすかな希望です」と語られています。

人は、それで生きていこうと思うし、生かされていくんだな、と、きょうは少ししんみりした気分で過ごしています。


4月16日

2013-04-16 09:47:43 | なのはな村日記

朝、5時30分。

農場の周りを巡る田んぼ道、フジサキの散歩コースです。

もう少し若い時は、何はともあれ目が覚めたら畑に直行でした。

堕落でしょうか。

 

 

樹木に絡まって、天まで伸びようとする、山フジ。

きょう1日の、元気をいただきます。

 

そんなことを言いながら、コサンダケ(あく抜きの必要ない、タケノコ)はまだかな、と竹林を覗き込んでいるフジサキです。


4月15日

2013-04-15 16:04:48 | なのはな村日記

なのはな村は、最近、取材づいています。

きょうは、「なのはな食堂」

「取材の方が見えています。」と、電話を頂いたのは朝の10時。

気合が入っている記者さん。

フジサキ、取り合えず食堂へ駆けつけました。

色んな話をしながら、料理が並ぶのを眺めています。

 

料理のそばに、さりげなく置いてあります。

良いですね。

この絵を描いたのは、きっと支援員のKさん。

(4/16  上記の文章を訂正します。この絵、文章は栄養士・調理のHさんでした。みなさん、色んな才能を隠してらっしゃる。でも、この文章は栄養士さんのなす業です、ね。スミマセンでした。)

 

野菜の多い、なのはな食堂ですが、食べなきゃ、という気にさせてくれます。

 

並んだ料理から、記者さんがお皿に盛っていきます。

これぞ、盛り付けの見本。

でもこんなに食べられたら、赤字になりません?

写真撮影の後、記者さん、見事に平らげられました。

「カレーもおいしいんですよ。」

「いやー、もう無理です。」

なのはな食堂の料理の数々、記者さんのお腹でしっかり消化されて、ステキな記事が出来上がりますように。