最高裁が、水俣病認定。
新聞の、大きな見出しです。
最近は、水俣との行き来はあまりありませんが、以前は水俣で胎児性の患者さんとワークショップをしたり、有機生産物を扱う反農連とは生産物の交流もありました。
又、水俣のみなさんがなのはな村のおまつりに来て下さったりと、熱い熱いお付き合いを重ねていました。
反農連、正式名称は「反農薬生産者連合」と言い、寄って行くと切られてしまうような凄みのある名称でしたが、中身は優しい優しい方たちばかりでした。
現在は「はんのうれん」が正式名称です。
水俣の痛みがフジサキにどれほど分かるか、と言われると俯くしかありませんが、
宮崎県の土呂久と水俣は、フジサキの中に錘のようなものを下ろしています。
ところで、きょうの新聞紙上で石牟礼道子さんが語られています。
最後に、「かすかな、かすかな希望です」と語られています。
人は、それで生きていこうと思うし、生かされていくんだな、と、きょうは少ししんみりした気分で過ごしています。