梅の花満開! なのはな村農場です。
今年は、梅の当たり年の予感がします。
週末あたり、樹の下にゴザでも敷いて花見酒、産みたての卵をこっそり盗んで、フキノトウも、野蒜も、芹も調達できます。
どなたか御希望の方がいらっしゃったら、フジサキお付き合いしますよ。
<o:p> </o:p>
手前の赤い葉っぱは、3年目のブルーベリー。お手入れをしっかりしてあげて、夏の実りのときを楽しみに待ちます。野鳥さんたちは、待たなくて良いですよ。
<o:p> </o:p>
山の端にしがみつく様に建っているのは、歴史あるなのはな村の鶏舎。
なのはな村と名づけたこの土地で、フジサキがまず始めたのは、土地を耕すこと、ニワトリを飼うこと。
「自然養鶏法」中島正先生の教えどおり、隣の山から孟宗竹を切ってきて組み立てようとしたフジサキに、待った、の一言。なのはな村の最初の理解者・設計士の村崎さんです。
「台風銀座の都城では、それは持ちませんよ。」「お金ないですよ。」「私に任せてください。」と、村崎一家(土木屋さん、大工さん、左官屋さん・・等々)を総動員。みんな、ボランティアでやります。ということで、立派な鶏舎が建ってしまいました。築26年になりますが、まだしっかり建っています。
もう亡くなられましたが、自閉症の子の父親でもある村崎さんには、本当に色んな事を教わりました。当時、小学生だったT君にも。思い出します。初めて我が家(施設ではありませんでしたので)に泊まったT君、食事に出したゆで卵をあっという間に食べました。そう、そんなに好きなの、ということでどんどん出すと、どんどん食べてしまいます。翌日、迎えに来た村崎さんにその事を話すと、「Tは嫌いなんですよ、良く吐かなかったな。」と、呆れ顔。
フジサキ、思い出すと今でも顔が赤らんでしまいますが、T君は自閉症の講師として実に有能でした。T君と同様に出会った一人一人が、有能な講師でした。Yっこさんは、今でもフジサキを教え諭してくれます、が。