なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

うーとーとーで安全祈願

2007-04-02 16:27:34 | 日記
朝目覚めたとき、死んだ母のことをおもった。
用意もなく、ことばがすらすらと流れ出た。
「かあちゃん、今日から保育園が始まるよー、見守っていてねー」と。

背伸びをし、窓を開け天に向かって大声でもう一度唱えた。
これから年度が始まるぞー。勢いおいよくベッドを跳ねる。
さて、無事に入園式をすませた後
母のお仏壇まいりにでかけた。

車で10分。
母が居なくなった途端、訪問する回数が減ってしまった我が家である。
定年退職後、悠々自適な暮らしぶり、不良少年のような兄が、虫の写真を取るために
大きな重たそうなカメラを片手に出迎えてくれた。

とはいえ、鍵がかかっているわけでもない家だ。
玄関だってあけッはなしの家だ。不用心というよりもそういう暮らしなので。
学校の校長を退職した後、ひとりでチョウチョを追いかけたり、星を追いかけたりの
じままな兄である。

「入園式なので、かあちゃんに線香をあげにきたよー」と花を仏壇にそなえた。
そうかそうかと仏壇の観音開きの戸を開けて電灯を灯してくれた。
ニコニコ笑顔の母の顔。八十八才の祝いのときの写真だ。
とてもいい笑顔の写真ダナー。と、改めて母親の笑顔を見つめる。

いつだって保育園の子どもたちの安全を祈願してくれていた母だった。
園の敷地毎年ちゃんとと清めてくれていた。
神様が守っているから大丈夫と。屋敷の神様が園を見守っているから安全だと。
なんだかほっとした。
母の笑顔で、今年も安全祈願。

義姉がでかけているので、「何も無いからこれでも食べてー」と兄が熟れたバナナを紙袋からゴソゴソ出してきた。
3本もらって帰って来た。
わたしがいることもしばしば忘れて、この兄はカメラの手入れに夢中だった。

兄の育てたホウライカガミが全島に広がった。そして栄えている。石垣の学校での赴任の時に持ち帰って種をまき、どんどん育てて誰にでもあげた。
沖縄中に広まったのかも。
あっちこっちでオオゴマダラを楽しむ会を作り会長におさまっている人だ。
西表のイリオモテヤマネコを発見したのもこの兄である。
久しぶりに兄とじっくり眺めた。鼻が相変わらず赤いなーとおもった。

進級・入園式

2007-04-02 11:01:36 | 日記
暖かな春、というか初夏
今日から新しい年度が始まった。

早寝早起き朝御飯・保護者へのご協力はこれ一本に絞る。
味は記憶、小さなとき、食べた記憶は必ず脳のどこかに残る。
すっかりと忘れていた料理を、食べた途端、「むかし食べたことがある料理だー」「お母さんがつくっていたよねー」と思い出したという話はよく聞く。

よみがえるのである。

食べるということは命の維持と同時に豊かな心にもつながる。
そのことを保護者へお願いした。
保護者にとっては、
保育園に子どもがいる間、この時期6~7年間が一番忙しい時代だ。
そのことを重々理解しながらも、手間隙かけることをお願いした。

若い保護者、ねをあげることもあるだろうが、その時はしっかりと支えるつもりだから大丈夫。
やれと突き放すわけではない、一緒にやりましょう。と、心を合わせることで
乗り切れることを願っている。

新しいお友達11人。
また新しい出会いがある。うれしいことだ。人が居てわたしがいる。その気持を忘れずに今年も頑張りたい。