なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

学習する力

2007-04-20 11:39:31 | 日記
昨日の浜うりでのこと

運動公園の芝生に荷物を置いた。手入れの行き届いた芝生、モクマオウ、ユウナ、クワディーサー、テリハボクなどが、みどりをたたえる。

いざ海へ。
サンゴのかけらだらけで、足を取られて転ぶ子続出。
靴のままなので、足の裏は大丈夫なのだが、転ぶと危ない。危ないというより、痛い。ギザギサの岩だらけ引っかき傷になるのだ。
うまい具合に手を着く子はまだいい。ギザギザが、見た目も痛そうなので、手を着くことに躊躇したら膝がひっかかれる。

我先にと、海に向かって歩く。気が急いているので足元に気が集中しないのだ。
友だちに後れをとりたくない。と急ぐ。
もちろん、ゆっくりゆっくり、一歩一歩マイペースで歩く子は転ぶことが少ない。

気早い子は、なんどもなんども、イテッとよろけることになるのだ。
しかし、10メートル~20メートル~と歩調を進めている内に、足元のごろごろ、ごつごつを感覚で覚えてしまう。すると、バランス感覚が目覚めてしまうのだろうか、転ぶ子はほとんど居なくなる。

水の中の深さを読みきれずにザブンザブンと波と戦う子。しかし、水の中でゆれている岩場も足と目とで距離感を体験すると。
10分もすると、読み方を学習する。すると、ザブンと悲鳴を上げる子は確実に減る。

これはこの海でしか学べないこと。

さて、さざ波の間にゆれる色々な生き物がある。触ってみるとその違いが解る。
触らなくてもその違いが解るようになるにも、そう、時間はかからなかった。
マリカが、「もずくみつけたよー」とわたしの真似をしてゆらゆらゆれている海草を採る。
「これはもずくじゃないの、ほら触ってごらん。柔らかくてぬるぬるしているのがもずくよー」と教える。
マリカは手で触り、「あっホントだぬるぬるしている」とすぐに自分の持っている海草との違いがわかった。

それからというもの、的確にもずくを見くけることができたのだった。
岩場にゆれているもずくを手でもぎ取る。その後、もずくを、その場でゆらゆらとすすすいでから、ビニール袋にいれるのだと説明すると。それもすぐに理解して、手早く塩水でもずくをすすぐのだった。

コウヤもハルキもナツキも、一度の説明でしっかりと理解し、
その後は、岩場でゆれている海の草を、手にふれずに上からゆれ方をみただけで違いを理解したのだった。
静かに行動するマイペースのコウヤは何も言わずに「はい」と手に余るほどのもずくをせっせと収穫。そして「はいとれたよー」とわたしのビニールに放り込むのだった。それはもう見事なほど。
昨日の、もずくとりに関しては大人のわたしと子どもたちとの間に収穫量の差はほとんどなかった。

「子どもはわからないもの、子どもはできないもの」
と、勝手に決めつけている大人が大勢いるが,それこそ失礼な話で、

昨日は「こんなにも見分ける能力があったなんて・・・」とわたくし、子どもたちに、脱帽したものです。

やりたいときに、必要なことを体験させることで、子どもの能力も研がれるのだ。教えこむよりさせてみることだ。と、いうことが子どもを見つめいるとわかる。
子どもの可能性の高さに触れたとき、私たちの仕事はますます面白くなる。

あさから爽やかな太陽。きもちいい~。
庭の楓の木が一気に若葉をたたえ、春の息吹を発散している。一週間でみどりがしっかりとしてきた。
樹木も、日々成長しているのだ。さて、わたしは?・・・。

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