霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

ヘルシンング的人間賛歌への見解

2009年06月05日 15時42分45秒 | 雑学
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。ようやく用事が片付いてほっこりしてたら某大学院の説明会逃した霧島薫である。まぁ、第一回説明会だから問題はないとは思うがな。むしろ、大学院となると流石にサークル紛いのノリは通じんから、研究計画書とかいうのを気張って書かねばならん。


あと試験勉強と卒論な。


他の専攻の教授にヘルシング布教してる場合じゃないぞ私。



まぁそれは置いておいて。ヘルシングは面白いから、私は全巻揃えてる(データではなく)が、10巻がようやく出てからまたちょろちょろと読んでおった。んで気付いたのだが、ヒラコーの脚本は神の御業である。びっくりした。

特に10巻の少佐の人間のくだり、5巻頭のプロゥジート!!、9巻頭の涙するアーカード、8巻のイスカリオテ、同巻ラストのアーカードの談話二つ、5巻終盤のベルナドット隊長のロンドン談話、全てが非常に素晴らしい。諸君も一度、朗読してみると良い。台詞のみでしかストーリーを語れない漫画において、脚本がいかに重要であるか良く判る。

んまぁ本題は別なんだけどな。


私は、例えば女王陛下に会った時の「今こそが確実に美しいのだ」とか、9巻で死神版ウォルターに言った「老いたお前はあんなにも美しかったのに」とかの台詞の意味がよく判っておらなんだ。また、アンデルセン最終戦の「やはり人間は素晴らしい」「夢のようだ!人間は夢のようだ!」とかの意味も全然判らなかった。

が、この歳になってようやく意味が判った。アーカードの言いたい事が判った。老いるという事が如何に美しいかという事がようやく判った。

あの漫画だと吸血鬼が不老不死の化物として出てくる訳だが、連中は一応不老不死である。一応、セラスの30mmハルコンネンで原形留めないぐらいに破壊されたり、ランチェスターの銀十字溶かして作った弾をボコボコ撃ち込まれたら死ぬがな。

とは言え、ロンドン上陸戦とかヘルシング本部襲撃戦を見る限りではよほどの攻撃を受けない限り死なないし、「俺達よぼよぼの爺さんだったんだから」とか言ってたし老いるという事はないのであろう。ウォルターも若返ったしな。一種の完成されたものであると言えよう。

一方、人間はすぐ傷つきすぐ死ぬ。老いも寿命も逃れられない。人間というものは未完成なものである。しかしこれを逆に言えば、完成されてないから半永久的に完成へ向かうものであるとも言える。逆に吸血鬼の様な存在は完成してるからもうどこにも行かないのだ。

人間は、未完成だから素晴らしいのである。

最も完成に近い未完成こそ完璧に美しいのだ。

老いから逃れようとする話というのは洋の東西を問わぬ。不老不死の薬を神秘学的に探求したり(ソーマとかな)する話もそうだが、醜い老い方をする奴もいる。確か葉隠聞書について書いてあった話だと思うが、若い武士が年老いた武士と話をしておると、昔は愛用の長刀を何回振り回しても平気だったのに今じゃ十回で息があがる、と言って嘆くのである。

んで、若いのが「ご老体なのですから無理せずご自愛下さい」みたいな事を言ったらこの老人、顔を真っ赤にして怒り狂い、日本語になってないような言葉をぶつけてきたんで、若いのは(愚かであるのう)と思いながらなだめたっちゅう話である。

この老人は美しくない。ウォルターのいうように老いすら楽しむのが人間だ。若い最盛期の自分にしがみつき、過去の栄光にしがみつき、老いから目を背けただひたすら拒否するのは醜さの限りだ。女でも同じである。いつまでも若く綺麗でありたい。しみを嫌い肌質の低下を恐れ美容整形にも手を出す。まぁ、モデルだとかいった美しさが重要な仕事とかしてたらそれはまた別だ。

つまり、よくいう「綺麗な老い方」というのが重要なのだ。

未完成な生き物である人間が、明日を求め永久に完成へ向かう事こそ、人間が人間たる理由なのだ。歳をわきまえ、老兵として若手の育成に尽くし戦争で経験を活かす事。容貌の劣化に無理に逆らうのではなく、むしろそれを受け入れ、歳相応の美しさを求める事。こういった運動こそが人間の要諦だ。

アーカードのいう様に「人間でいることにいられなかった」「弱い化物」というのは、身体の筋力に対抗する事を諦め、容貌の劣化に抵抗する事を諦め、人間である事を捨てて安易な道を選んだ愚か者だという事だ。完成されたものはもう前へ進む事はない。今日と過去の為に未来を捨てたのだ。

安易な道を選んだ者は二度と進む事はない。明日はなく、未来もない。どこにも行く先はない。何故なら、人生の全てを売り払ってしまったからだ。アーカードもバレンタイン兄弟もトバルカインもリップヴァーンもゾーリンもウォルターもですらだ。

アンデルセンは登場した時点で結構人間やめてるが、化物になるという安易な道を選んだ訳ではない。銃剣の技はアーカードのいう様にアンデルセンが練り上げたものだし、アンデルセンの力は決して安易なものを選んだ故ではない。

逆に安易な道を選んだのがルーク・バレンタインとかである。ルークは人間をやめる事で強くなったが、本人がどう考えていたかはともかく、結局は安易な道を選んだ愚か者でしかない。安易に手に入れた力だこそ、より大きな力を前にすれば何も出来ない。

アンデルセンは人間として、どんな絶望的な状況にあろうと絶対に安易な道を選ばなかった。まぁ最終的にはエレナの聖釘使っちゃった訳ではある。だが釘を使うまでは、人間として化物を憎み倒す事、義務を果たす事、戦うという意志、これらを絶対に曲げる事はなかった。

アーカードが「おまえはおれだ」と言ったのは、結局、諦めず戦い抵抗し続けた結果勝てる道理がないと気付いてしまったからだ。人間としてどんなに努力しても実は結ばれぬと気付き、最後の最後で外法を選んでしまった。最後の最後で諦めてしまった。だから、人間でいることにいられなかったと述べられているのだ。泣きたくないから鬼になったのだ。


ま、アーカードにしろアンデルセンにしろこいつらはかなり特殊な例だから人間一般には適用は出来ん。アーカードが吸血鬼化しなかったら、まぁアーカードも領民殺したりはしたが、オスマントルコがドイツとかフランスあたりまで突破してたかもしれんから、どっちにしろ誰かがどうにかしてトルコをおさえねばならん訳で、ある意味正解と言えば正解だ。んでまぁ人間であれば必ずやってくる老いってものを媒介させた訳だ。

老いに対抗する為の整形、過去の栄光にしがみつく老醜。こういうのは醜い。だが、分をわきまえ老いすら楽しむ者こそ、老人特有な悠々たる生活をして老いすらも楽しむ者こそ、美しい、真なる人間なのである。




まぁ、ヘルシングにおいて一番深刻な謎はヘルシング教授がどうやってアーカードを倒したかだが。しかし読み返して見ると最後の大隊の連中本当に総統閣下の事どうでもよさそうだな。

2 コメント

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Unknown (ジャスミン青田)
2009-06-05 18:43:03
つ『カーズ』
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Unknown (霧島)
2009-06-06 17:46:59
飛んでいっちゃって戻ってこないじゃまいか…
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