霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

病室の霧島からの伝言です。

2010年02月20日 17時25分19秒 | これら以外の何か
※この日誌は十七日に書き始められたものである。何日かに分けてちょこっとずつ書かれておる為時系列がずれて話が矛盾したり、クスリがリアルにキマった状態で書いててたりする可能性があるんで生暖かい目でみてやってくれ。

※本当はほったらかしたままの米返信記事やらリクエストに応えたいのだが、手元にインターネット環境がない(この記事も病室で書いて知人にアップしてもらっておる)為、書きたくても書けぬ。どういうコメを貰ったかとかいう以前に、自分がどんな記事を書いたかも確認できんのだ。


さて、ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。病室にパソコンを持ち込むんのに成功した霧島である。流石に無線LANは飛んでおらんし、WANはWANで、そもそもこいつはWANが使える形式ではない。何せ一年前の今頃買った、レッツノートの最高級品の型落ち品だからな、流石にそんな機能はついとらん。

十万以上買い叩いたしな。これ以上はないものねだりである。

仕方ないからPC上でやる作業は、今私の太股の上にあるノートPCのみで且つオフラインででやることにした。全治三ヶ月らしいからな。家に帰らないとネットが使えんから、どうにものならんのである。手術ってのは、種類にもよるが、安全にやると二週間かかり、傷が治癒してあるけるようになるにはまた二週間必要。つまり向こう一ヶ月は入院生活という事だ。

逆に言えば、一ヶ月経てば帰宅できるかもしれんということでもあるがな。待ち遠しい限りだが…今回の骨折に問題があって、折れ方がなかなか特殊なのである。私は最初、足首が折れたか間接が抜けたかとどっちかだと踏んでおった。何せありえない方向に物凄い勢いで回るからな。集まって関係者が一人「どうせ仮病だろ」みたいなノリで骨が四箇所折れた右足を振り回すという蛮行に及んだ為、久しぶりにガン切れしつつ病院に送られたんだが…

私がアイススケートのリンクでくたばっておったという時、当然、保健体育の学位を持っておった人もたくさんいた訳である。で、症状をみてて「折れたって音聞こえた、絶対折れてるって!」と猛然にアピールしていたにも関わらず捻挫じゃない?と爆弾発言してくださったお陰で私にとっては美味しくない事態になった訳だがこの日誌的には大変美味しいから問題ない。

まぁそんな訳で、救急車を呼ぼう救急車を呼ぼうと言う中、何人かが「タクシーで病院に行かせるべきである」と頑強に抵抗勢力がいた。担架どころか怪我人を送る設備が何もないタクシーより救急車がいいのはわかりきってる話だがしかしなぁ。ついついニヤニヤしてしまうな、諸君^^

んで、なんだかよくわからん田舎の病院に連れて行かれた。しかし諸君、こういった病院を馬鹿にしてはならない。そりゃまぁたしかに建築から相当経ってるそのままSIRENに出せそうな気配バリバリだが、建物ってのは年月経てば怪しくなって当然なのだ。逆に、私が以前連行された某高田中央病院は、建物自体は新しくて綺麗だったが医者の技量から看護婦のレベル、衛生環境に至るまで糸冬了してた訳だからな。

そしてタクシー型救急車(実際そこらの救急隊よりか患者のことを考えておった)に連れられて病院の救急外来に行った訳だが、そこの外科(整形外科かもしれんが)の先生が私の脚を見て一言「ああこれ折れてるねぇ」とか言った上でも一応レントゲンとっとこうかと言ったのである。

だから言ったろうという喜びと、入院確定という哀しみが、私を襲うのであった。

んで、今は知人というか恩顧ある人の紹介で知った病院に入院しておる訳である。
おしまい。
まる。

…というのが普通だが、ここで終わらないのが霧島クオリティである。伊達でこんな日誌を書いてる訳ではない。今回は病院自体は比較的良好なのだが、裏での大学の動きがマズい。

表にしてみよう。

2月

13日 骨折、応急措置
14日 入院できない(主に大学のせいで)
15日 入院、装具交換&期末試験時間割発表
16日 手術用人間ドック的調査
18日 手術。合併症発症、集中治療室へ
19日 病棟に生還。最低限向こう一週間絶対安静と診断
21日 期末試験開始(二次試験)
25日 ついでに受験期間開始


色々酷いな、こうして冷静に考えてみると。

だがまぁここでポイントなのは、骨折したのは我が大学の授業においてであり、言ってみれば骨を折ったのは大学のせいということである。勿論私にも責任はある。躓いてこけただけだが一応ある。まぁそれぞれの責任は半々、半分は大学のせいでもう半分が私のせいだとしよう。それでも、大学の授業がなけりゃ骨折しなかったのだ。

14日については色々な要素が絡み合ってるから除外するとしても、骨を折ったのも入院して勉強どころではなくなった事も大学のせいである。そして一番の問題は、大学のせいでそこの大学院を受験できなかったどころか、むしろその大学のせいでその大学を卒業できなかったというハイパーウルトラCが可能性として浮上するのである。

絶対安静圏内にある二科目は両方必修だから落としたら終わりだ。更に25日も絶対安静圏内だからアウト。仮に卒業できたとして、この時期に入院なんざしたらマトモに勉強できんし、落ちる可能性は極めて高いのである。

ま、そんな訳でどうもならん毎日を送っておる次第である。さっきも言ったが、無線が飛んでおればスリッパ1確狩りでもするんだがなぁ…携帯でちょろっと検索してみたんだが、ノートPCに挿せば無線LAN飛んでない地域でもネットに繋げるアイテムだかサービスだかもあるらしいんだが、正直よく判らん。何処のどれが良いのかもし知っておる人がいたら是非教えて欲しい。一、二週間も使えれば後はいらんっていう使い捨てみたいなので充分だって話だから余計にな…


以上が、現在の私の状況である。

お陰様で、今年の私の予定は完全に崩れた。今度の卒業論文提出を最後に大学生をやめる、つまり卒業するが、進路は大学院一本だった訳である。就職活動一切なしで、ひたすら大学院生になることのみ考えておった。

じゃあ受験に向けて真面目に勉強しておったのかと言えばそんなもんありえる理由がない訳だが、まぁ大学院受験一本に絞っておった訳である。そしてその受験である二月終盤~三月初頭の時期に響くばかりか、むしろ受験資格となる大学卒業が危なくなる二月後半を直撃する時期に事故った訳だ。


となるとだな。

私は本来、卒業&合格、もしくは卒業&浪人という状況だけを想定していたのである。んで今は横浜に居るが学校の事も含めて色々あって横浜にいる。しかしだな、落ちたんだったら京都戻って来いて言われておるのである。実際あんまり儲けてないからな、私。京都本社のお仕事しながら受験勉強やりなおすというのは正しい。面もある。その一方、合格した場合はそのまま現住所に留まって二足草鞋継続だ。

しかし今回の事件で留年&合格という可能性が出てきてしまったのである。当たり前だが留年したのに合格すると不合格扱いになる。しかも留年になる可能性は結構高い。絶対安静状態で試験だからな。


でどーすんのって話に今なっとる訳だ。

2 コメント

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Unknown (ごてぃ)
2010-02-20 19:13:58
なんかそこまでなってるんだったら、試験終わった後に教員とアポ取ってガチ面談すれば温情で単位貰えそうな気がしますけどね。
ただ、出席が考慮されないとはいえ死学概論の彼が許してくれるかどうかは分かりませんけど。

ちなみに大学院は、外部ならともかく内部進学だったら、普段の素行(主に論文関係)次第でかなり大目に見てもらえそうな気がしますよ。
史学専攻の内部進学についての方針がどうなってるのかはさておき。
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Unknown (バロスの中身)
2010-02-23 00:56:14
安西先生曰く「諦めたらそこで試合終了ですよ」
目標があるのならその目標に向かうべきである
まぁ色々とややこしい状態なのはわかっとるが・・・

俺みたいに後悔するくらいなら・・・
バカやれるのは学生のうちくらいですし・・・ってちと違うかw
まぁ後悔するくらいならできるだけのことはやんなさいよという年寄りの説法でした


できればもう一度小学生からやり直したいor2
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