霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

性なる夜の過ごし方

2009年12月24日 23時59分59秒 | 雑学
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。佐藤亜衣とかいう奴宛の郵便物が届いて困っておる霧島である。ちなみに私のリアルネームと比べると一字とて合ってない。しかも何が入っておるかと思えば口紅(の試作品)であった。何か新品サンプルプレゼントキャンペーンに当選しましたとか書いてあるんだが、住所は間違いなく私の家である。謎だ。佐藤亜衣とかいう奴は今すぐ申し出る様に。早晩捨てるぞ。


閑話休題。そう言えば今日は二十四日だな。性夜である。ナザレのヨシュアの記念日だ。中学ぐらいまでサンタを信じてた身としては何か贈答品がもらえる日という印象があるんだが、流石にこの歳になると無理だからな。最近はスルーしておる。

まぁ、所詮大工の小せがれの誕生日だ。聖なる夜だって、日本に来れば性なる夜である。メリケン連中は丸焼きチキンとか食べるみたいだがな。いつどこで聞いたかは忘れたが、高級ホテルでもこの日は偉い騒ぎになるそうだ。初めての共同作業的な意味で。つまり、別にそこらの若いのががっついてるだけではないということである。

元々日本人は性行為と神聖さを厳格に区別する民族ではない。これは西洋人の発想だ。基本的に西洋人の発想はイコールキリスト教の発想な訳だが、キリスト教は世界史上稀に見る女嫌い宗教だからな。本来のキリスト教はそうでないとかイエスはそんなこと言ってないとかあーだこーだ言う奴もいるだろうが、そういうものとして歴史上展開してきたのは事実なのである。

アレだ。本来ならキリスト教よりは男女同権を考慮するイスラム教が、今やブラジャー着けるだけで異端にされる状態になってるのと似たようなものだ。何度目か判らんが、一夫多妻制なのだって男が少なすぎてどうもならん状態だったから導入された制度なんだからな。

そもそも、『好き』という感情と『犯りたい』という感情は二つで一つである。そうじゃなかったら人類が滅亡する。性行為は気持ちよく、だから性行為をする、そしてその性行為によって子孫が生まれる。だから、性的な欲求を抱くというのは非常に自然なことなのである。

以前、性行為について取材した事があったんだが…ああ、もうちょっと正確に言うと出会い系サイトの取材である。もっと言えば援助交際の取材だ。今書いてる小説は時代劇風ファンタジーTRPGだが、当時は現代劇を書こうと思っててな。んでそういったダークサイドに属してるキャラを出してみたいと思って色々と聞きまわったり本読んだりした時期があったのだ。

話がそれたが、その取材を続ける内にアナルセックスが何故気持ちいいかって話を読んだ。それは勿論前立腺が刺激されるからで、その前立腺は肛門から直腸に繋がる部分にある為、ここに何かを出し入れすればそれは当然気持ちいいという仕組みだ。しかし、直腸から肛門へ移動するのは、普通は便である。

そう、排便は気持ちいいのだ。何故なら、排便が苦痛であったら生きていけないからである。まぁ気持ちいいと言ってもいまいちピンと来ないだろうが、排便前と排便後だと、出した後何となくスッキリするだろう。アレである。つうか、排便する度にイってたらそれはそれで生きていけん。

斯様に、人間が生きていく為に必要な行為というのは自然と"快"の感情を得る様になっており、逆に危険な行為に対しては"苦"を与えられる様になっている。もし痛覚がなかったら、縫合中誤って針が指を貫通したりしても「おおうミスったミスった」程度にしか思わん。これが高じると、車に轢かれても「おお、びっくりした。まぁ何ともな…ん?歩けないぞ?」とかなったりする訳だ。

そして、性行為というものは子孫を残すという至上命題を背負っているものである。ゆえに気持ちよくて当然なのだ。しかし、性行為そのものはいいとして、四六時中発情してる訳にもいかん。性行為を欲求するスイッチが必要となるだろう。ここで思い出すのが、大分前に読んだ話だ。

これはいわゆる聞いた話であり正しくない可能性も非常に高いんだが、まぁどんな話かって、脳内麻薬ってあるだろう。エンドルフィンとかドーパミンとかな。その分泌量を調べてみたところ、好きな人もしくは裸体等の美男or美女とかを前にした「ヤりたい」という状態の分泌傾向と、クスリをキめてる時の分泌傾向が極端に類似してるらしいのだ。

人間の「好き」というのは、性行為や性欲という要素を欠かす事ができんということだな。


一時期プラトニック・ラヴとかいうのが流行ったな。子供の頃の話だからよく覚えておらんが、セックスレス夫婦がTVで紹介された時期もあった。ああいうのは、こういった見地からしてみれば極めて不適切であり「私は敗北主義者です」と書いたプラカードを首からぶら下げるべきである。

判りにくいギャグだ。

ともあれ、「好き」と「性」の関係は本来こういったものである筈だ。日本もそうだな。江戸時代から明治、大正にわたって大きく変容した(と言うか江戸以前と江戸以降の日本人はほぼ別の民族)が、基本的に「恋」という概念は日本にはなかった。あるのは「色」であり、まぁ要するに性欲と愛欲がワンセットになった考え方だ。男は惚れた女を抱いて当たり前、女は惚れた男に抱かれたくて当たり前。嘘みたいな話だが、講談なんぞ見てると同居してるのに自分を一向に抱こうとしない男に、もう私は嫌いなのね的な攻撃を加える場合が結構ある。

これはこれで極端だという話もあるが、これの真逆が西洋人である。と言うかキリスト教。連中は性行為が嫌いで嫌いで仕方なく、愛と性を厳格に区別する。はっきり言ってあいつらは病気だ。何せ、夫妻が仲良く愛し合ってるところを使用人に見られ、道徳にもとるとして立件されたぐらいだからな。中世の話だが。

恋とか愛ってのはあくまで精神的なものであって、肉体的なものであってはならんのだ。だから修道女なんかは結婚しないし、神父も結婚しない。当然子作りもしない。当たり前だな、性行為は忌むべき行為なんだから。

まぁ、なんだ。

つまりこいつらの理想を実現すると一世紀ぐらいで人類が絶滅するな。

汚れた性行為を下々の連中にやらせといて、自分は宗教的貴族気取りですか。うどんで首を吊りつつ豆腐の角に頭ぶつけながら臍噛んで死ね。

…ついいつもの癖が出たな。まぁ私がキリスト教嫌いなのは周知の事実だからいいとして、要は別に聖なる夜だろうが性なる夜だろうがどっちだっていいじゃねーかって話である。世の中何でもほどほどで丁度いいんだからな。そいつらはそいつらなりに楽しめればそれでいいのだ。



…オチがないな。

仕方ない。

愛人随時募集中。

4 コメント

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Unknown (ごてぃ)
2009-12-25 01:53:46
今年の24日は、ストパンの原作者がエスコン6のディスク叩き割ったことについて調べてたらいつの間にか終わってました。

今現在、隣の部屋のアメ公がファッ○しているのがうるさくて仕方無い様子を見ると、「汝姦淫するなかれ」の条項が無ければこいつら多分見境無いんだろうなぁと思えてきます。


あと、何というか、お大事に。
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Unknown (霧島)
2009-12-25 11:41:33
あら、ストライクパンツの原作の人まで割ってたんですか。実は買ったはいいけどまだやってないんですよね、6。笑いながらできるクソゲーならいいけど、ただひたすらつまらないゲームだとしたら…ってなると萎えるんです。

メリケンはしょうがないです。一般国民の方向性はアラブ諸国とあんま変わらないし。そしてご心配していただいてありがとうございます
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Unknown (バロスの中身)
2009-12-25 13:30:43
>「私は敗北主義者です」と書いたプラカードを首からぶら下げるべきである。

…判りにくいギャグだ。

凄く・・・判りやすいです・・・or2

>修道女なんかは結婚しないし、神父も結婚しない。当然子作りもしない。

しかし裏ではお偉いさんが・・・
天使と悪魔では冒頭に殺される教皇が子供作っちゃってるし
しかも犯人息子だし

因みに性夜はキリストではなく太陽神の誕生日・・・キリストは3月生まれ(ボソッ
太陽信仰を改宗させるためにキリスト教のお偉いさんたちがキリストの誕生日ってどうでもよくね?って変えたらしい
そう考えると性夜で合ってるかも
確か太陽信仰って性儀式あったし

穴<ANLから白ポが逆流する!?・・・アッー!!
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Unknown (霧島)
2009-12-26 10:05:21
元々ユダヤ教からキリスト教に至る文化はゲルマン民族のものじゃないですしね。西洋史で時代をさかのぼるとだんだん東に…まぁ、男根崇拝とかはどこにでもある話ですしね。娼婦が巫女だったり

あとキューブ、本来逆流が自然だ、それは。
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