大和・柳生城は、築城時期は、定かではないが、戦国時代に大和・柳生荘の豪族だった柳生氏が山上に築いた山城です。柳生氏は関白藤原頼道が大和国四箇郷を春日大社に寄進した時、小柳生郷の荘官となり子孫が柳生氏(本姓は菅原氏)を称したのが始まりである。天文13年(1544年)に山中衆とともに柳生氏は、大和に勢力拡大をはかる筒井氏に抵抗したが、筒井氏の大軍に攻められ、善戦するも落城し、柳生氏は筒井氏に降った。織田信長の大和侵攻に功あって所領を得たが、豊臣秀吉の文禄検地で隠し田が露見して所領は没収された。文禄3年(1594年)徳川家康に見いだされ、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦功により柳生の旧領2000石を与えられ、柳生家を再興した。寛永13年(1636年)12500石に加増され、大名に列し、江戸常駐の定府大名となった。寛永15年(1638年)、城の北の曲輪に柳生家菩提寺芳徳寺を建立し,遺領から200石を寺領とした。さらに寛永19年(1642年)、山城の柳生城から今川で隔てた西の台地上に陣屋を築き居館とした。
[所在地:奈良県奈良市柳生町]
<アクセス>JR笠置駅から徒歩約60分(3.7㎞)
▼山上が主郭
▼芳徳寺は城の曲輪に建立されました。
2013/04/20 訪城