柳生宗矩は、寛永13年(1636年)、所領2000石から12500石に加増されて大名に列し、江戸常府大名となった。寛永15年(1638年)、柳生家菩提寺の芳徳寺を大和・柳生城の北側の曲輪に建立し、寛永19年(1642年)、宗矩は、大和・柳生城とは別に小高い丘の上一帯に居館としての陣屋を築きます。これが柳生陣屋で城とは谷を挟んで反対の南西側にありました。以後、柳生氏が12500石を領して明治まで続いた。現在は公園として整備されています。
[所在地:奈良県奈良市柳生町]
<アクセス>JR笠置駅から徒歩約60分(3.7km)
▼この丘の上一帯が柳生陣屋跡
▼柳生陣屋屋敷図
2013/04/20訪城
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[問題]江戸時代の医者によると、家老は、どういう病気になることが多かったか?
[★模範解答は、最後にあります。]
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▼柳生家の系図
▼柳生新陰流の概要
▼柳生藩家老屋敷(奈良県有形文化財)
▼間取り図
▼家老小山田家の分家の屋敷[非公開]
2013/04/20 訪問
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[答]過労です。⇒家老(過労)と言いますから(笑)。