俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

マナー

2013-08-08 09:57:48 | Weblog
 近年、世界中の観光地で中国人のマナーの悪さが問題にされている。エジプトの遺跡に落書きをするわ、ホテルの備品(テレビまで)を盗むわ、航空機内で暴れるわ・・・こんな例を挙げれば切りが無い。
 こんな時に便利なのはアメリカの旅行会社エクスペディアが発表する「ベストツーリスト」だ。残念ながら2010年以降は発表されていないようだし、2009年版ではそれまでのワーストの常連だった中国人とインド人が対象外にされている。2008年版のワーストはやはり中国人で、インド人、フランス人と続く。
 ではなぜ中国人はこんなにマナーが悪いのだろうか。まず考えられることは中国が文明国ではないということだ。少なくとも西洋文明を充分に理解しているとは思えない。それなのに経済大国になってしまったことで、文明度と意識との間にギャップが生まれている。
 もう1つの理由は中国文化そのものにあると思われる。中国はルールの国であってマナーの国ではない。人民を支配するための「法」はあっても人民のための「法」は無く、倫理性を高めようという意識が中華文化では欠落しているようだ。仏教がその欠陥を補完していたのだが残念ながら衰退してしまった。勿論、儒教には「礼」という重要な概念がある。しかし日本語の礼儀とは全然違って、これは身分差に基いて権威主義的に秩序を作り出そうとするものであって、平等や対等といった考え方は完全に欠落している。聖徳太子の時代から「和を以って貴し」とした日本とは顕著に異なる。
 日本人は昔から「話し合い」や自治を大切にしていた。中国のような権力者による統治国家ではない。日本は世界でも稀な女性原理に基く協調社会であって中国のような男性原理の競争社会ではない。このことが世界一レベルの高いマナー社会を育んだのではないだろうか。
 因みにベストツーリストには毎回日本人が選ばれている。最早、農協ツアーやキーセン観光の時代の恥ずかしい日本人ではない。いつまでも卑下してばかりではなく誇りを持っても良いのではないだろうか。

真と善

2013-08-08 09:22:03 | Weblog
 残念ながら真と善が予定調和する訳ではない。汎神論の立場を採らない限り真=善とはならない。しかし真と善には密接な関係がある。
 真のためには善(倫理性)が必要だ。客観性や謙虚さ、言い換えれば自らの誤りを認める勇気と誠実性を欠けば真に至ることはできない。自分とは異なる意見を正しく理解して弁証法的に止揚できなければ真に到達することは不可能だ。
 善のためには真が不可欠だ。真を欠いた善は危険だ。ナチスやオウム真理教が信じた善は限りなく悪に近い。善は事実に基かねばならない。
 異論はあろうが、働かなくても全員が豊かな暮らしを満喫できることは1つの理想だろう。しかしこの理想は実現不可能だ。誰も働いていなければ快適な暮らしはあり得ない。理想は現実的でなければならない。
 かつて進歩的文化人と称する、事実よりもイデオロギーを優先する奇妙な輩がいた。彼らは共産圏のやることは総て正しいと信じて、今では中国でさえ否定している文化大革命や批林批孔を絶賛し、北朝鮮を「地上の楽園」と讃えたものだ。彼らはこれらの誤謬をどう総括したのだろうか。
 事実重視者の中には否定主義者もいる。例えば人の美しさは皮膚1枚であり皮膚を剥がせば化け物になる。彼らはこのことを根拠にして「人の本質は醜い」と言う。しかし皮膚を剥いだ姿が真実であるように皮膚を纏った姿も真実だろう。どちらかだけを「真の姿」と決め付けるべきではなかろう。人の体内には汚物がある。それでも人間はただの汚物袋ではない。