俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

中国史試論

2013-08-26 10:14:32 | Weblog
 中国現代史についてはこれからしっかりと腰を据えて勉強するつもりでいるが、構想の概略を試論として書く。間違いがあれば指摘して頂きたい。
 古代史はともかく中国の近現代史は惨めだ。800年近くの長きに亘って世界に恥を晒し続けている。これでは歴史を改竄したくなるのも無理は無い。
 1279年に宋が滅んで以降、中国は異民族の支配を受け続けている。途中で明により漢民族による王朝が復興しているが満州人に征服された。私は中国が世界に冠たる文明国であったのは宋までだと思っている。中国による四大発明はいずれも宋代までのもので、それ以降は訓詁学の時代になったのではないだろうか。
 清の末期は惨めそのものだ。イギリスに負け、フランスに負け、日本にも負けた。正に百戦百敗だ。勝ったのは中華人民共和国が誕生してから、第二次大戦後のドサクサ紛れのチベットとウィグルに対する侵略戦争だけだ。
 内政も惨めだ。大躍進政策では数千万人の餓死者を出し、文化大革命も数百万人の犠牲者と国力の低下を招いた。天安門事件の評価は未だ定着していないようだが、私は全く評価していない。
 唯一有効だったのは小平氏の先富論だ。「豊かになれる者から先に豊かになるべきだ」という考えに基いて大胆に市場原理を導入した。しかしこれも検証が必要だろう。一人当たりのGDPが日本の1/10なのだから貧富の差は酷く、公表されてはいないがジニ係数は世界最悪クラスだろう。こんな矛盾を放置したままでの共産党独裁体制が今後も存続し得るとは到底考えられない。近いうちにシリアやエジプトと同様の内乱状態に陥るだろう。

他人の権利

2013-08-26 09:40:00 | Weblog
 「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が23日、厚生労働相に、接種の中止や副作用被害者の救済を求める要望書を提出したそうだ。救済を求めるのは当然のことだが、なぜ接種の中止を要求するのだろうか。どんな権限があって推奨の中止では飽き足らず、更に他人の「接種する権利」まで奪おうとするのだろうか。
 私が感情的になっても仕方が無い。彼らの感情を推測すべきだろう。「被害者が出ているのに予防接種を続けるのはおかしい。厚生労働省は薬害を反省していない。」と考えているのだろう。これは正当な考えだろうか。もし飲酒運転事故を起こした人が飲酒運転を繰り返しているなら、反省していないという批判は正しい。しかしこのケースは事情が違う。被害者には残酷な言い方だが、被害者としての甘えと我儘、迷惑な気晴らしと八つ当たりに過ぎない。航空機事故の遺族が飛行機の全廃を求めるようなものだ。加害者側の弱みに付け込んだ悪質な嫌がらせだ。
 このワクチンのメリットとデメリットについては6月15日付けの「子宮頸癌ワクチン」で検討しているので詳しくはそちらを参照して頂くとして、このワクチンによる副作用の発生率は0.02%に過ぎない。万一ではなく「万二」ではあるがそれなりに安全性はあり、99.98%の人にとっては副作用の無い良いワクチンだ。もし予防接種を中止すれば、予防できる筈の恐ろしい病を予防する権利が奪われる。彼らは接種が中止されることによって子宮頸癌に罹る人に対して責任を負う覚悟はあるのだろうか。そんなことなど全く考えていまい。副作用は悪い、悪いものはやめろ、という程度のことしか考えていないだろう。
 気に入らないものを「禁止せよ・中止せよ」という主張を最近よく見掛ける。これは権利意識の肥大だろう。泣き寝入りをしろと言うつもりは無いが、自分の基準を他人や社会全体にまで押し付けようとするのはやめて貰いたいと思う。
 卵アレルギーの人が卵食を禁止せよと訴えて誰が納得するだろうか。卵を食べる権利は誰にでもある筈だ。他人から卵を食べる権利を奪うのではなく自分だけが食べなければ済むことだ。「他人の権利を奪う権利」など誰も持っていない。
 禁止や中止は権利を奪うことになる。勝手に他人の権利を奪おうとすべきではない。仮に副作用があっても不運であり自己責任だという覚悟を持ってまで接種を希望する人の権利を奪おうとすべきではない。