「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が23日、厚生労働相に、接種の中止や副作用被害者の救済を求める要望書を提出したそうだ。救済を求めるのは当然のことだが、なぜ接種の中止を要求するのだろうか。どんな権限があって推奨の中止では飽き足らず、更に他人の「接種する権利」まで奪おうとするのだろうか。
私が感情的になっても仕方が無い。彼らの感情を推測すべきだろう。「被害者が出ているのに予防接種を続けるのはおかしい。厚生労働省は薬害を反省していない。」と考えているのだろう。これは正当な考えだろうか。もし飲酒運転事故を起こした人が飲酒運転を繰り返しているなら、反省していないという批判は正しい。しかしこのケースは事情が違う。被害者には残酷な言い方だが、被害者としての甘えと我儘、迷惑な気晴らしと八つ当たりに過ぎない。航空機事故の遺族が飛行機の全廃を求めるようなものだ。加害者側の弱みに付け込んだ悪質な嫌がらせだ。
このワクチンのメリットとデメリットについては6月15日付けの「子宮頸癌ワクチン」で検討しているので詳しくはそちらを参照して頂くとして、このワクチンによる副作用の発生率は0.02%に過ぎない。万一ではなく「万二」ではあるがそれなりに安全性はあり、99.98%の人にとっては副作用の無い良いワクチンだ。もし予防接種を中止すれば、予防できる筈の恐ろしい病を予防する権利が奪われる。彼らは接種が中止されることによって子宮頸癌に罹る人に対して責任を負う覚悟はあるのだろうか。そんなことなど全く考えていまい。副作用は悪い、悪いものはやめろ、という程度のことしか考えていないだろう。
気に入らないものを「禁止せよ・中止せよ」という主張を最近よく見掛ける。これは権利意識の肥大だろう。泣き寝入りをしろと言うつもりは無いが、自分の基準を他人や社会全体にまで押し付けようとするのはやめて貰いたいと思う。
卵アレルギーの人が卵食を禁止せよと訴えて誰が納得するだろうか。卵を食べる権利は誰にでもある筈だ。他人から卵を食べる権利を奪うのではなく自分だけが食べなければ済むことだ。「他人の権利を奪う権利」など誰も持っていない。
禁止や中止は権利を奪うことになる。勝手に他人の権利を奪おうとすべきではない。仮に副作用があっても不運であり自己責任だという覚悟を持ってまで接種を希望する人の権利を奪おうとすべきではない。
私が感情的になっても仕方が無い。彼らの感情を推測すべきだろう。「被害者が出ているのに予防接種を続けるのはおかしい。厚生労働省は薬害を反省していない。」と考えているのだろう。これは正当な考えだろうか。もし飲酒運転事故を起こした人が飲酒運転を繰り返しているなら、反省していないという批判は正しい。しかしこのケースは事情が違う。被害者には残酷な言い方だが、被害者としての甘えと我儘、迷惑な気晴らしと八つ当たりに過ぎない。航空機事故の遺族が飛行機の全廃を求めるようなものだ。加害者側の弱みに付け込んだ悪質な嫌がらせだ。
このワクチンのメリットとデメリットについては6月15日付けの「子宮頸癌ワクチン」で検討しているので詳しくはそちらを参照して頂くとして、このワクチンによる副作用の発生率は0.02%に過ぎない。万一ではなく「万二」ではあるがそれなりに安全性はあり、99.98%の人にとっては副作用の無い良いワクチンだ。もし予防接種を中止すれば、予防できる筈の恐ろしい病を予防する権利が奪われる。彼らは接種が中止されることによって子宮頸癌に罹る人に対して責任を負う覚悟はあるのだろうか。そんなことなど全く考えていまい。副作用は悪い、悪いものはやめろ、という程度のことしか考えていないだろう。
気に入らないものを「禁止せよ・中止せよ」という主張を最近よく見掛ける。これは権利意識の肥大だろう。泣き寝入りをしろと言うつもりは無いが、自分の基準を他人や社会全体にまで押し付けようとするのはやめて貰いたいと思う。
卵アレルギーの人が卵食を禁止せよと訴えて誰が納得するだろうか。卵を食べる権利は誰にでもある筈だ。他人から卵を食べる権利を奪うのではなく自分だけが食べなければ済むことだ。「他人の権利を奪う権利」など誰も持っていない。
禁止や中止は権利を奪うことになる。勝手に他人の権利を奪おうとすべきではない。仮に副作用があっても不運であり自己責任だという覚悟を持ってまで接種を希望する人の権利を奪おうとすべきではない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます