俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

限定品

2013-08-28 10:05:59 | Weblog
 アサヒビールのドライプレミアムがギフト限定品として売られていた。いつもながらアサヒビールの戦略は巧妙だ。ギフト限定の希少品として付加価値を付けてから一般品として売り出すつもりなのだろう。ギフト限定にしておけば値崩れも起こらない。
 ところがアサヒビールらしからぬヘマをしでかしてしまった。「ギフトだけの特別限定醸造」と印刷したままの製品がセブンイレブンに出回っているらしい。多分これはアサヒビールの意向ではなく問屋が勝手にやったことだろう。
 アサヒビールも時々失敗をする。原発事故で日本中が騒いでいる最中に、第3のビールのクリアをnew clear(nuclearは原発)と改名してしまった。その後newが外されたがプライムリッチではnew clearの肩書きが復活した。
 この程度のことは大した問題ではなかろう。ラガービールを「生」に変えてシェアを激減させたキリンビールによる日本マーケット史上最大級の失敗と比べれば可愛いものだ。キリンビールは対応策も誤った。キリンラガー・クラシックを売り出したのはその数年後でありファンは既に離れていた。実は似た前例がある。アメリカのコカコーラが味を変えて暴動まで起こるほどの騒動になった。コカコーラはコカコーラ・クラシックを急遽発売して難を逃れた。キリンビールはこの前例を真似るべきだった。速やかにラガー・クラシックを売り出すべきだったのにそれを怠った。
 アサヒビールは早急にコンビニに出回っている「ギフトだけの」と表示したドライプレミアムを回収すべきだろう。事実と違った表示を放置することは企業としての信頼性を損なうことにしかならない。

王者と覇者

2013-08-28 09:39:43 | Weblog
 中国の統治形態として王道と覇道がある。前者は徳によって、後者は武力によって国を治める。勿論、古来、前者が理想とされている。しかし残念ながら堯・舜・ウを最後に、徳による治世は廃れた。その後の皇帝は、禅譲という形式を取っているものもあるが総て覇者だ。
 覇者による統治にはどんな正当性があるのだろうか。第一に彼は武力を持っている。武力があれば治安維持力がある。第二に彼の元には命懸けで働く部下が大勢いる。このことを、彼に「徳」があることの証とこじつけることは可能だ。こうして覇道がずっと続いた。
 しかし覇道は不合理だ。意見が対立した時に殴り合いをしてそれに勝ったほうを正義とするようなものだ。喧嘩で勝つことと意見の正当性は必ずしも一致しない。現在の中華人民共和国も共産党と国民党による内戦の覇者に過ぎない。
 では王道は不可能なのだろうか。現実離れした理想に過ぎないのだろうか。実は意外な形で王道が可能になる。国民全員で最も徳の高い人を選べば良い。何のことは無い、大統領を直接選挙で選べば良いのだ。中国人の長年の理想が大統領選挙によって実現するとは何とも皮肉な話だ。
 現在の共産党による一党独裁制は王道から最も懸け離れた統治形態だ。武力で権力を握ったに過ぎない共産党内で、国民が全く与り知らぬまま支配者が決められている。中国人民にとっての古来の理想を実現するためには大統領制が最も相応しい。共産党による一党独裁支配が崩壊すれば大統領制が生まれるだろう。それが中国人民の国民性に合致した制度だからだ。