昔の和式便器には蓋があった。物を落とさないためでもあり、何よりも汲み取り式だったから臭いを拡散させたいために蓋が必要だった。水洗式になってからは蓋は見られなくなった。
洋式トイレにも蓋が付いていた。多分これも当初は臭いを拡散させないためだっただろうから、水洗式になった時点で本来、不必要になるものだ。しかし西洋では蓋が役に立った。バスとトイレが隣接するので入浴するために脱いだ服を置く場所として利用できたからだ。
日本で洋式トイレの蓋が無くなり始めたのは10年ぐらい前からだろう。それまで誰も見直そうとしなかったのは、見慣れた物を正しい物と人は考えてしまうからだ。
駅や商業施設や学校などで蓋を撤去することは利用者・管理者の双方にとって役立つ。
利用者にとっては蓋を開けるという無駄な動作を省略できるので緊急時には助かる。水洗レバーを押す時も蓋が邪魔にならない。無駄な時間が減ればその分、早く用が終わるので次の人の待ち時間が減る。
管理者のメリットはもっと大きい。部品が減るのだから設置費が下がるし運送費も少しぐらい減るだろう。余計な部分が無くなれば故障が減るし清掃時間も短縮される。トイレの回転率が上がれば客数が増えてもトイレを増設せずに済むから施設の面積効率が下がらない。
以前、総合企画本部に所属していた私が蓋の撤去を大真面目に発表したら散々批判された。「臭いが広がる」「安っぽい」「流さない人がいれば汚い」などだった。巷の便器から蓋が取り払われつつある現状を考えるなら、これらの批判が的外れだったことは明らかだ。
和式の便器に蓋が付いていれば誰もが「これは何だ?」と思うだろう。ところがと洋式トイレの蓋についてはそんな無駄な構造が疑われずに何十年も放置されていた。
可動式の便座が今も使われているが、これも大半の公衆トイレでは無駄な機能だ。便座を上げることの無い女子トイレや「大」専用の男子トイレであれば固定式のほうが壊れにくいし安上がりだ。人は固定観念に凝り固まり勝ちであり見直すことが苦手な動物だとつくづく思う。
洋式トイレにも蓋が付いていた。多分これも当初は臭いを拡散させないためだっただろうから、水洗式になった時点で本来、不必要になるものだ。しかし西洋では蓋が役に立った。バスとトイレが隣接するので入浴するために脱いだ服を置く場所として利用できたからだ。
日本で洋式トイレの蓋が無くなり始めたのは10年ぐらい前からだろう。それまで誰も見直そうとしなかったのは、見慣れた物を正しい物と人は考えてしまうからだ。
駅や商業施設や学校などで蓋を撤去することは利用者・管理者の双方にとって役立つ。
利用者にとっては蓋を開けるという無駄な動作を省略できるので緊急時には助かる。水洗レバーを押す時も蓋が邪魔にならない。無駄な時間が減ればその分、早く用が終わるので次の人の待ち時間が減る。
管理者のメリットはもっと大きい。部品が減るのだから設置費が下がるし運送費も少しぐらい減るだろう。余計な部分が無くなれば故障が減るし清掃時間も短縮される。トイレの回転率が上がれば客数が増えてもトイレを増設せずに済むから施設の面積効率が下がらない。
以前、総合企画本部に所属していた私が蓋の撤去を大真面目に発表したら散々批判された。「臭いが広がる」「安っぽい」「流さない人がいれば汚い」などだった。巷の便器から蓋が取り払われつつある現状を考えるなら、これらの批判が的外れだったことは明らかだ。
和式の便器に蓋が付いていれば誰もが「これは何だ?」と思うだろう。ところがと洋式トイレの蓋についてはそんな無駄な構造が疑われずに何十年も放置されていた。
可動式の便座が今も使われているが、これも大半の公衆トイレでは無駄な機能だ。便座を上げることの無い女子トイレや「大」専用の男子トイレであれば固定式のほうが壊れにくいし安上がりだ。人は固定観念に凝り固まり勝ちであり見直すことが苦手な動物だとつくづく思う。