俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

高血圧

2014-09-12 10:22:16 | Weblog
 全く自慢できる話ではないが、健康診断の度にɤ-GTPの値が高いと判定される。ほぼ毎回保健指導値を越え、時には受診勧奨値をも越える。しかし薬を勧められたことは1度も無い。肝臓の薬が無いからなのか飲酒が原因だと分かっているからなのかは知らない。
 検査数値を下げるのは簡単だ。前日の飲酒量を減らせば必ず下がる。薬で数値を下げるよりも確実だし安全だ。原因が分かっていれば対策も明白だ。
 高血圧と判定された人はそうではないようだ。降圧剤を勧められるらしい。血圧が高くなる原因は人様々だと思うのだが原因を調べることも無く薬によって血圧を下げることが治療と言えるのだろうか。
 日本人の高血圧症の90%が原因不明の高血圧でありこれは「本態性高血圧症」と名付けられている。原因が分からないのに病名がありそして治療薬まであるとは何とも不可解な話だ。まさしく典型的な対症療法だ。このことだけでも充分に胡散臭い。原因不明のままでただ降圧剤が処方され続ける。血圧が非常に高ければ自覚症状があり心疾患の恐れもあるから、原因不明であっても治療が必要なことは納得できるが、少し数値が高いだけで自覚症状も無い人は本当に患者なのだろうか。
 実に奇妙なことだ。肝機能であれば薬によって数値を下げようとしないのに高血圧は安易に薬に頼る。医師にとって本態性高血圧症の患者こそ美味しい患者だと言われている。少し高い程度であれば容態が急変することも無いし、薬で血圧を下げているだけだから薬をやめれば血圧が上がる。患者は死ぬまで薬を飲み続けることになる。これは雑誌や新聞の定期購読者のような有難いお得意様だ。
 ノバルティスファーマ社による研究論文捏造事件は多くの人が記憶しているだろう。京都府立医大などを舞台にした大規模な論文捏造事件であり、バルサルタンという降圧剤の薬効が捏造されていた。大金を投じてデータを捏造してまで売ろうとするのだから余程儲かる美味しいビジネスなのだろう。
 軽度の本態性高血圧症の患者にとって降圧剤は何のメリットも無く副作用だけがある。医療が仁術ではなく算術に化けている。昨年の医療費は39.3兆円だったそうだ。そのうち調剤費は7兆円だった。半分とまでは言わないが3割ぐらいは無駄あるいは有害な薬代だろう。

幸福者

2014-09-12 09:45:48 | Weblog
 生活に最も満足している日本人は専業主婦らしい。博報堂の調査では20代女性の34.6%が専業主婦を希望しているそうだ。時間に追われず他人から指図されずに自由時間もたっぷりある。育児という人間として最もクリエイティブな行為が生活の中心であり、これで良き夫にも恵まれていれば文句無かろう。
 逆に最も満足していないのはシングルマザーではないだろうか。時間的制約が多く生活にゆとりが無い。まるで親子が生きるだけのために働いているような生活だ。とは言えこれは赤の他人が勝手に想像しているだけであって本人はそんな生活を楽しんでいるのかも知れない。
 就活の女子大学生にこんな話をした人がいるそうだ。「年中無休で16時間勤務、しかも泊まり込み。深夜に起こされることもあって責任も重大。こんな仕事に就きたいですか?」
 大学生は一様に怒りを隠さなかった。そんな酷い仕事があるとは信じられなかった。ところが「これがお母さんの仕事です」とタネ明かしをされることによって母親という役割の大切さを痛感したとのことだ。
 主婦業を現象面で捕えるなら奴隷のように描ける。妻を「性生活を伴う女中か?」と問うたのは石川達三氏の「幸福の限界」だ。主婦の立場を奴隷や女中のように解釈することは可能だ。しかしこんな解釈は内面に踏み込んでいない。
 例えば締切が迫った作家や漫画家であれば缶詰状態にされて碌に眠ることさえ許されない。これを人権侵害と考えるべきだろうか。
 あるいはサラリーマンが自らのライフワークとばかりに猛烈に仕事に取り組むこともあろうし、研究者が寝食を忘れて没頭することもあるだろう。これらは単なるワーカホリックだろうか。
 個人の幸・不幸を決めるのは客観的事実ではなく主観的事実だ。やりたいことをやっている時、人は自分を幸福と感じる。社会的評価とは無関係だ。
 「主婦業の呪縛から逃れて社会参加すべきだ」と主張する人は自分達の価値観を押し付けようとしている。主婦としての業務を蔑視するから専業主婦を古い価値観に支配された愚かな女だと信じる。しかし子育てでは知育・体育・徳育・食育など総ての教育を網羅せねばならない。こんな難しい業務を片手間で全うできるものだろうか。彼らは育児を舐めている。子育てとは本当の総合教育であり、学校教育のような薄っぺらでおざなりな教育とは全く質的に異なる。
 私は現在の隠居の立場に満足している。田舎住まいは不便ではあるが、基本的には好きな時に好きなことができる。サラリーマン時代のように仕事の合間に生きるのではなく自分が生きたいように生きられる。「社会貢献せよ」と言われてもご免蒙りたい。同じように主婦にも社会に利用されないことを選ぶ権利がある。