金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

78 破壊の右手

2007-01-03 16:29:31 | 鋼の錬金術師
78 破壊の右手

ロイは秘書課から押し付けられた若い秘書嬢に朝一番で赤いバラを渡した。
彼女は今まで『相性が悪い』と思っていた上司にいきなり花束をおくられ目を白黒させている。それでも東方の色事師の腕は落ちていない。涼やかな笑顔(エドなら嘘臭いと表現する笑顔)で秘書嬢を納得させてしまった。
50分ほど前だ。罪のない顔で『おばちゃん』発言した14歳。そのとたん言った当人以外の全員がそれぞれの理由で硬直した。一秒後。電話のベルが固まった空気を切り裂いた。
電話の相手は今の秘書嬢であった。「急な会議のため少将以上に呼び出しが来ています。
マスタング准将には秘書長から特別呼び出しが来ているのですぐお越しください」
少将以上の呼び出しならブイエ将軍も当然かかわる。となるとホークアイも当然急いで出勤しなくてはならない。
現役軍人2人は大急ぎで軍服に着替え飛び出していった。
「あわただしいもんだ」
のんびりとコーヒータイムを楽しむのはハボック一人である。
その後、彼も呼び出された研究所に向かう。
第7研究所。もともとは傷病軍人のリハビリセンターであったが最近名前が変更されている。同時に管轄が大総統府下の錬金術研究課に変わった。主な目的は錬金術による治療の研究と実践とされている。
ベルトコンベアー式に500人の傷病軍人、あるいは退役者が軍医達の検査を受けた。ハボックもその一人だったが治療の見込みなしと診断された。
予測していてもやはり多少の落胆はある。
とりあえず今日は軍の宿に泊まるように言われたが知り合いのところにいるのでと断った。すぐに田舎に帰るつもりだったが今夜一晩くらい大将の話し相手になってやろうと緑陰荘に帰った。
「だめだったのか」
「わかってたけどな」
エドのベッドの脇に車椅子を留めて第7研究所の話でもしてやる。
錬金術による治療を目的とすると聞いてエドが首をかしげた。
「何でラッセルは呼ばれないんだ?」
治癒系なら当然呼ばれるはずである。
「別に呼ばれたくないな」
いつもさらさらの髪が乱れている。弟と共謀したブロッシュに無理やり病院に連れて行かれ脳波・心電図・レントゲン・血液検査・肺機能検査・胆液採取・肝機能検査・心理テスト・血糖抵抗検査・ドラクマからの密輸入の最新医療機械による心臓造影…と30項目にも及び調べ上げられた。その上明日も続きをと言われて不機嫌極まりない。それでもエドの部屋に入る瞬間見事に不機嫌を忘れ去った。今は呆れ顔のハボックを尻目にエドの口元におやつのパフェをスプーンで運んでいる。
完全に自然体の16歳二人を見るとこれが特別なことでないのはいくら鈍くてもわかろうというものだ。
こっそりとため息をつくハボックだが二人はそれにすら気づかない。
最後にエドの唇に残ったクリームをラッセルは細い指先でふき取った。
何気なくそのまま口に持っていく。ハボックは目を閉じた。
数秒後目を開けたときにはラッセルは部屋を出掛かっていた。
( 大佐がいたら燃やされちまいそうだ。それとも公認かよ、まさか昨日切れた原因その辺じゃないだろうな)[乾いた笑い]
ラッセルと入れ替わりで入ってきたフレッチャーに治癒の邪魔になるからとハボックは部屋を出された。

「(弟から)逃げているのか」
リビングではラッセルがソファで横になっていた。エドの部屋では気づかなかったがいくぶんだるそうだ。
「俺も准将のこと言えませんよ。フレッチャーに隠している。これからも言う気はないんです」
「お前の弟ならあの話を聞いても平気だと思うがな。(なにしろ東方の女神をおばちゃん呼ばわりする度胸があるんだ)」(笑)
「フレッチャーなら平気ですよ。あいつは強い。(術の)腕も俺よりいいし。ただ」
ラッセルは自嘲の笑いを浮かべた。
「俺が言いたくないだけです」
何しろあの話をしだすとあの鋭い弟のことだ。兄が隠していることにも気づくはずだ。ファーストのこと。ブルーのこと。タイトスカートのこと。芋づる式に言わされそうだ。
ラッセルは身震いした。
絶対に、言えない。
(だるい)
検査に使われた造影剤が体に残っている。低血糖、低体温、低血圧と3拍子そろっているため新陳代謝が低下している。普通なら1時間もあれば排泄されるはずの薬剤がいつまでも体の底に沈殿する。
(うっとおしいな)
薄いカーテンでも引いたかのように視界がかすむ。
軽く目の周囲を揉み解すがそれで治るわけではない。
(ブロッシュさん、まだかな)
朝、工場に送ってもらおうと思っていたら弟に捕まった。素直に検査をうけないと外出禁止にすると脅された。考えてみればおかしな話である。弟は軍人ではないし、ブロッシュに命令できるわけはないのだが。それでも最初から、ラッセルのことに関しては弟の言葉はブロッシュに対して絶対的な強さがあった。
「フレッチャー君が言うなら仕方ないですよ」
この一言で決定である。ラッセルがどれだけ頼もうと無駄なのだ。
よく考えるとそれもおかしな話である。ブロッシュは貸し出されているとはいえ、ラッセルの部下である。命令すればいいのだが、ラッセルは出会ったときからお願いはしても命令はしない。
病院では二人は老医師の指示で別行動を取らされた。ブロッシュはラッセルについているつもりだったが彼自身の胃潰瘍の検査で婦長に連行された。ようやく合流したのは帰る直前である。
帰りの車でふくれっつらのラッセルは19時に工場への送迎を頼んだ。今日から休暇が終わるまで工場の研究所に泊まり込むつもりである。
(まだかな)
横になったまま時計を見る。鎖につながれた銀時計。旅の間はここに置いていたがセントラルではいつ軍人に捕まるかわからない。国家錬金術師が銀時計を持っていないとそれだけで反逆罪にされかねない。
ふわり
柔らかい物がかけられた。
ぼやけた視界に毛布がうつる。
「転がっていると風邪引くぜ」
(ブルー、のわけないか。タバコのおじ…)
「ハボック少尉」
気持ちはありがたいが寝る気はない。
数日分の着替えその他を用意したブロッシュが階段を下りてきた。後7日間。休暇の残りは工場の研究所に缶詰の予定だ。
(こいつ、妙に汗ばんでないか)
セントラルは雨も少なく、年間を通じて冷涼な気候である。ここ数年降雨量がさらに減り乾燥気味の気候になっている。そのためか気管系の患者が増えている。第一汗を掻くような季節ではない。
ラッセルは目を開けてはいるがどこを見ている様でもない。
(ガソリンが切れかけだな。無駄骨どころか邪魔をしていたと聞いてショックが大きかったか。
だいたい大佐の秘密主義が一番悪い。
それにしてもいい勘だ。あの程度の情報でアルの行方をあそこまで追い詰めた。まぁ、大佐もそれを認めたから話す気になったんだろうが)
「大佐は准将のことだったのですね。あの時はアームストロング大佐だと思っていました」
ラッセルがブロッシュにゆっくり起されながらふと言い出した。
「一気に出世したんだな。(あるべき姿だ。いいとこの坊ちゃんだしあのことを除けば軍功も多い)最終的にスカーをとっ捕まえたのも少佐、大佐だろ」
「近くで見ていたけどすごかったですよ。あれだけの大質量練成は始めて見ました。     強かった」
ラッセルは自分もスカー逮捕の功労者であることはよく忘れている。その功で本来なら少佐待遇のはずの軍属の身で中佐に出世しているのに。彼にとってはエドが無事ならそれでいいのである。
「ラッセル君、背中」
明らかな熱気。老医師に言われるまでもない。また暴走しかけている。
「ん、   言いたくない」
「7日も持ちませんよ」
「わかってる」
ハボックには理解できない会話である。
「わかっているなら工場に行く前に抑えましょう。私からも言いますから、今日ならちゃんと病院にいったしご褒美があってもいいと言えますからね」
(この雰囲気まるっきり子守だな。変なとこだけお子様かよ)
「……いや、いい。自分でも抑えられないと何かのときに困るし、今は痛みがないから」
「抑えられますか?」
「完全じゃないけど、大丈夫。そんなに遠くじゃないし本当に困ったら帰ってくればいいから」
「仕方ないですね。我慢しすぎは」
「わかってる」
「軍曹、と今は少尉か。あれからデートしてるのか」
「女とはとっくに別れました。あんなものと遊んでいる暇はないですから」
「おいおい、あんなものって」
(こいつ、俺より女好きと思っていたんだが)
(まさか、男に転向した?・・・悪い冗談だな。しかし、軍では珍しいな。同性のお守りか)
ラッセルに毛布をかけたとき銀時計が見えた。
(こいつも鎖もちか)
だとしたら今回の推理力、あのときの精神力も納得できる。もっともこの納得は幾分世間の感覚とは異なる。ハボックの知る鎖持ちはまずロイ、そしてエド、鎖もちではないがそれに匹敵するアル、アームストロングである。一癖もふた癖も三癖もある連中だが才能と実力が化け物レベルであることは共通している。ハボックの基準は高い方向にずれている。
才能と実力にあふれた国家錬金術師は変なところで世間知らずである。専門馬鹿の極致とも言える。そこで軍では無用のトラブルを避けるためお守り(副官)をつけている。国家錬金術師はたいてい男である。男女比率は19対1と公表されている。軍はあらゆる面で国家錬金術師を管理するため異性の副官をつける。そのために国家錬金術師の副官は世間では公娼呼ばわりされている。ロイやアームストロングが副官を遇するやり方は世間では例外だった。

「それじゃあ、ハボック少尉、エドワード君をお願いします」
やけに大きな荷物をブロッシュは抱えている。まるで旅行のようだ。
「おいおい、俺も明日は帰るぜ」
「もう少しいていただけませんか。せめて7日間」
7日後には休暇は終わる。また午前中アルバイトさながらに軍に行き、午後は弟と交代してエドの面倒を見て夜に工場の研究所に行く生活に戻すつもりである。今日から工場の研究所に缶詰になるつもりの7日間だけでもいてもらえればエドの気晴らしになるだろう。見たところエドはこの大男に懐いているようだし。
「まぁ、俺は退役しているから問題は少ないしそれぐらいはいいかもな。どうせあわてて帰る理由もないし」
母親が心配するので早く帰るべきだが、長いこと離れていた親と一日中顔を会わせるのも気詰まりな面もあった。お互いに少しほっとしてもいいかもしれない。それにフュリー曹長のことも気にかかる。マスタング軍団の中では一番トラブルとは遠そうなフュリー曹長が最初に営巣入りしていた。ホークアイはそれをロイに伝え、うやむやのうちに殺されないように手を回しに来ていた。ハボックと重なったのは偶然である。

ラッセルは車の後部座席に座っていた。体の中に検査薬が残っているのか少しぼうっとしている。石のことを考えようとしているのにどうにも気が散ってしまう。少し寒気がする。砂漠を離れたら治まるはずだが熱がぶり返したのだろうか。
(ブルー、あ、しまった。まだ捜索してもらっているんだ)
うっかり忘れていた。あれが偽者だった以上あの辺りを掘っても無駄だろう。
金はもうどうでもいいが、暑い砂漠でブルーに無駄骨を折らすのは気の毒だ。
(連絡を…5番街を使うしかないか)
ノリスの町には電話はない。それに連絡先も聞いていない。
ラッセルは気が進まなかったがブロッシュに寄り道を頼んだ。一人ではとても行き着けない。目的地は繁華街の近く。通称を悪人通り。5番街の店はその一角にある。
「あんなところに?」
「少し用があるんだ」
車で入る訳には行かない。プレートナンバーで軍関係者とばれてしまう。
ラッセルは通りの少し手前で車を降りた。
「ここで待ってください」
「だめです。一人であんなところに入るなんて」
「平気だよ。この通りは初めてだけどどうやっていくかはだいたいわかっているし」
通りの雰囲気はどこの裏通りも似ている。わからなければてきとうなチンピラを殴り倒してそいつに案内させればいい。ラッセルにとってはシルバー時代に慣れた行為である。
「ラッセル君、帰りは戻ってこられないでしょう」
そういえば帰りのことは忘れていた。
どうしょう…。
一人で帰れるとはとても言えない。過去に軍の中でさえも何十回迷子になったことか。そのたびに秘書課の女性達を総動員して探していた。おかげでラッセルはすっかり彼女らのペットになっていた。
結局少し戻ってアームストロング(財)系のホテルに車を預けた。軍のにおいのするものはすべて置いていく。厄介なのは銀時計。やむを得ずホテルのフロントにかばんの中に隠してから預けた。
歩くと遠いのでブロッシュがホテルに交渉して車でぎりぎりまで送らせた。1時間だけ待つように言うと二人で通称悪人通りに入る。
5番街は意外にすんなり見つかった。最初にいちゃもんをつけてきたチンピラを、ブロッシュが殴り倒して案内させたので。
「ブロッシュさん。素人が手を出しては後がうるさいよ」
現役軍人を素人扱いするのはラッセルぐらいである。
「私がいるときに手を汚すことはないです。それにまだ、感覚が戻ってないでしょう」
「…ばれたか」
まだ手足の感覚が鈍い。麻酔が完全には切れていないようだ。
「ここまででいいよ。中には俺一人で行くから」
店の入り口で足を止める。案内のチンピラを放り出した。
「30分経って帰ってこなかったら入りますよ」
「大丈夫。この手の店は慣れてるから。すぐ戻るよ」
(やれやれ、ラッセル君の大丈夫ほど信用できないものはないけど)
服の内側の銃を確認する。軍の正式銃ではない。裏ルートで手に入れた品である。ほかにも手榴弾や小型の発光弾もいつも持ち歩いている。
10分後、店のドアが開いた。一見ホテルマンを思わす上品そうな男が出てきた。しかし、動きが違う。あまりにも隙がない。やはり裏社会の者である。
「シルバー様のお連れ様でしょうか?」
ホテルマン並みの礼儀作法である。
シルバーという名は初耳だがおそらくラッセルの通り名だとすぐわかった。
「こちらにどうぞ」
どうやら何かあったらしい。これだからラッセルの大丈夫は信用できない。
店の中は予測と違い明るい。
奥の部屋に通された。
上等そうなソファにラッセルが座り込んでいた。
かなり動揺しているようだ。
「ご伝言をお渡しした後情報を伝えましたら急に倒れられました」
ラッセルの唇がわずかに動いている。声は出ていない。目は開いているがブロッシュが来たのも気づけないようだ。
ブルーごめん俺があんなことを頼んだから
ラッセルの唇を読み取る。
(ブルー?誰だ?)
「伝言というのは、それに聞かせた情報は?」
一見ホテルマン風の男に尋ねる。
「伝言はわかりません。預かっていたメッセージBOXを渡しただけです。情報は西でブルーが変死した、それだけです」
とにかくここで倒れさせているわけにも行かない。
ブロッシュはホテルマン風の男に聞いてラッセルを適当なホテルに連れて行った。こんな場所にあるにしては内装の上等なホテルである。レースのカーテンの値段だけでブロッシュの月収ほどもする。
「飲めるかい?」
ルームサービスで紅茶を頼む。まず一口飲んで毒見した後、ラッセルに渡した。
「俺が、殺したようなものだ。ブルーに砂漠の捜索を頼んできた。アルを探してもらうのに」
問うまでもなくラッセルは話し出した。言わずにはおれないようだ。
「俺が、あんなことを頼まなければ。
ブルーはハーブが好きだった。ハーブの作り手と一緒に住んでた。ブルーは平和な男だった。子供がいて。今度帰ったら流しはやめてずっと一緒にいるって約束して。俺があんなことを頼んだから」
「ラッセル君」
落ち着けと言うべきなのか、考えるなと言うべきなのか、君のせいじゃないと言うべきなのか。名を呼びはしたがブロッシュは次の言葉が出てこない。どういっても意味がない。
(こんなとき大佐がいれば)
アームストロングがいれば安心して任せられる。だが、頼りになる上司がいない以上ブロッシュは自分で考えるしかない。
今日医者に心臓にこれ以上負担をかけないように言われている。砂漠でたちの悪い風邪を引いたらしくかなり悪くなっていると言われた。ストレス、発熱
、睡眠不足。何が引き金になって致命的な発作を起こすのかわからない。医師の話では今のところ不自然なほど安定しているそうだが…。その理由は後にマルコーの口からあかされることとなる。
結局ブロッシュは慰めの言葉を選ばなかった。下手に慰めると気力が切れる。そうなったら何もかも崩れる。
「落ち着いてください。エドワード君に影響します」
あえてきつい口調で言う。以前にフレッチャーに教えられた。兄がどうしようもなく手におえなくなったらエドの名を使えと。
効果はブロッシュの予測を超えていた。今までがたがた震えて、俺が殺したと自責の言葉をつぶやくばかりだったラッセルが不意に立ち上がった。
「遅れている。早く工場に行こう」
まるで今までのことはなかったかのような豹変振りだ。
いつ崩れても不思議がないように見えた不安定な表情が消え、硬質ガラスを鋳型にはめて作ったような取り付く隙のない顔になった。ラッセルが軍で普段使用している表情だ。
方法を誤ったかとブロッシュは後悔した。この手のかかる上司についてから後悔することがあまりにも多い。胃潰瘍にもなるというものだ。
ラッセルは胸ポケットから新しい薬ビンを出し白い錠剤を冷めた紅茶で飲んだ。
前のボトルは昨日で空になっていた。ぎりぎりで間に合った。この薬は老医師がラッセルの体質に合わせて作らせたどの精神安定剤より効果がある。さっき受け取ったファーストの伝言BOXに入っていた。
『依存するな』のメモとともに。
もう遅いよ、とつぶやいてラッセルは薬ビンを胸ポケットに入れた。
ホテルを出て5番街の情報屋にもう一度寄る。
残った金をブルーの遺族に届けるように手配する。正式の妻ではないらしいが、ラッセルにとってそんなことはどうでもよかった。
ごめん、ブルー。今はこれしかできない。5年たったら
ブロッシュは横目で無意識に動くラッセルの唇を読んだ。
5年とはいったい何のことだろう?尋ねるわけにもいかない。
数ヵ月後、このときの遺族への好意が裏目に出てラッセルは危うく女に殺されかけることになるが、この時点ではまだ誰にもわからない。


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