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ぼくとけっこんしてくにになろうその8

2011-10-22 23:26:38 | APH
ぼくとけっこんしてくにになろう8回目

 G8の内容は経済エネルギー人権など多岐にわたる。日本の復興振りが話題に出たり、あれだけの災害を受けてこの時期にパリまで来れるほど菊が元気になれるとは,日本国民の底力恐るべしと言うところである。
日本に言わせれば、それは復興を助けてくれた世界の人々のおかげである。特に遠方にもかかわらず救助犬まで連れてきてくれたドイツ、さらに険悪な空気だったにも関わらず作戦を展開してくれたアメリカには深く感謝している。
 
 2011年5月27日、会議は終わった。なんだかんだ言いつつ今回はなごやかであった。ただ1国をのぞいては。 その1国の隣人であるフランシスはパリの自宅に直接帰らず隠れ家に寄った。
 わずかに期待していたのだが、ギルベルトからの連絡はこの隠れ家にも無かった。郵便物もメールも何もない。留守電も空っぽのままだ。いつもならしばらくここに来れないときはメールなり留守電なりにメッセージがある。それすらも今回は無い。まるでプロイセンという存在が消えてしまったかのように。
 
 背中に走った悪寒をフランシスは否定した。そんなはずはない。あのうるさすぎるぐらいやかましい男が消えるはずなど無い。ギルは王を、国名を、土地を、国民を、政府を、地図上の名さえも失っても生き延びた。あのギルが消えるはずはない。背中に走った悪寒は寒さのせいだ。
 5月も末であるのに石造りの建築物は寒い。暖房を入れればいいのだが一人ではそんな手間を掛ける気にならず、フランシスは足元のムートンの敷物を拾い膝にかけた。

 ギルはしょっちゅうこの敷物の上で猫みたいに丸くなって寝ていた。寝心地のいいベッドも大きなソファもあるのになぜだかギルは床の上で眠る。だからフランシスは床を埋め尽くすように暖かい敷物やら毛皮やらを敷き詰めた。ギルがどこで眠ってもいいように。ギルがここで眠っていた最後の記憶は昨年の10月。ドイツ再統一20周式典が終わった後である。それまで公式行事にはほとんだ姿を見せなかったギルがこの式典には出席した。久しぶりの公式行事に疲れたのか、ギルはこのムートンの上で丸くなっていた。

 不安がフランシスの背中を押した。携帯を開きドイツの電話番号を押す。心配も限界だ。ギルのことはドイツに訊けばいい。それが一番早い。大丈夫だ。あいつらは兄弟だ。それも同じドイツだ。フランシスは自分に言い聞かせながら携帯のボタンを押した。最後のキーを押そうとする手が止まった。

 あり得ないと思いたいが、もしも、ギルが消えていたら。
フランシスは携帯を握りしめる。余分なキーにあたったらしく画面の表示がエラーになる。
 もしもギルが消えていたとしたら、あの若い国はそれを受け入れられるだろうか。兄の死を否定し兄はどこかの居ると信じ込むのではないか。他国である自分がギルの事を訊くことによってそのバランスを崩れたら。 昨今の世界は安定しているようだが、現実には今もあちこちで戦火があがっている。フランス軍も戦場にいる。NATO軍も戦場にいる。
 あの二回目の大戦を「最後の戦争」とさらりと言える日本は、奇跡の国だ。
 もしルートが大きなショックを受け、そのショックを一人で処理できなければどうなるか。国民が影響をうけ、それはたやすくヨーロッパの不和につながる。その影響はいまだに分権傾向の強いドイツをたやすく引き裂くだろう。
 フランシスの手から携帯が落ちた。携帯の落ちた床には黒ずんだ染みがあった。
フランシスはその染みの理由を知っている。それはギルベルトの血の痕。20年、もうすぐ21年になる、ドイツが統一に酔っていたころ、ドイツの州によってリンチを受けたプロイセンが流した血。
 


 
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